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ああ、いま全然本気じゃない。"ふっ軽"と"思考停止"は全然違う

フリーランスになってからというもの、同年代の今まで仲良くしていた人たちとは考え方が全く合わなくなった。

旧友と飲みに行っても上司や旦那の愚痴ばかりで、仕事の話もしない。それにサラリーマンが多いから、そもそも仕事に関しての話を私がすると「将来大丈夫なの?」と決まって言われる。

友達やってるくらいだから悪い人たちではない。本当に心配してくれているんだろうなって伝わるし、仮に私の知らないどこかでこの飲み会のように話題にされていても、特にこれといった感情は湧かない。

だけどこんなことを考えながら飲むお酒は全然美味しくないし、やっぱり話題にはなんとなくしか追いつけない。
話が全然噛み合わなくなるって、ちょっと寂しいことなんだなと思った。

そんなことを考えながら歩く帰り道で、私はちょっとだけ泣いてしまった。

友達との楽しいはずの時間もなんだかすれ違ってしまって悲しいし、それに引き替えられたものが"今の仕事"っていうのも、今の仕事を選んだからこその"今の生活"っていうのも悲しいから。

これだけ自由に生きているのに悲しくなってしまったのは、多分、全然本気じゃないことが原因。辛いと楽しいが共存するのが人生だってことをすっかり忘れて、辛いから逃げるために思考停止になっていた

最近、たくさんの辛いことがあった。でもその分、楽しいことも幸せなこともたくさんあった。比べるものじゃないけど、幸せのほうがきっと多かったとも思う。

ふっ軽と言いながら、好きなことから目を逸らして、何も感じないようにと感情の幅を最小限に抑えて、失敗したときのダメージを少しでも減らすために常に言い訳を考えていた。

そんな今本気じゃない自分が、失ったものの大きさや重さを"今"と天秤にかけて、勝手に悲しくなっている

行動しながら考える、ワクワクするほうにとりあえず進んでみる。こういうふっ軽はとても良いことだけど、それは同時に思考停止に向かっているんだと気づいた。

「とりあえず」今やっていることを続ければ生活はできるし、「それなりに」楽しいから

間違っているとは思わない。そんな生活を好む人もいるだろうし、そう生きるしかない人もいる。だけど私は嫌だ、絶対に。

"後退するのは良くないから、せめて足踏みくらいはしておけ"みたいな言葉をよく聞くけど、スランプに陥っている人にとって現状維持は1番辛いと思う。っていうか、今実際にそう思ってる。

仕事だけじゃなくて良い。家庭とか恋愛とか勉強とか趣味とか、そうやって自分に密接に関わっているなにかに本気になれれば、沼から這い出すことはできる。

だから私は今、ここで感情に本気で向き合って書いてみた。頭の中にある散らばってゴミのようになっていた思考が、少しは整理整頓されて出し入れしやすくなった気がする。

フリーランスになって友達との会話の楽しさを失ったと考えるなら、超えるほどの楽しい仕事と、それに本気で向き合っている自分で最高に充実した生活を手に入れたら良い

思考停止はもうやめて、行動も思考もふっ軽を極めていこうと思う。

家に着いたら泣くのはやめて、もう少しだけお酒を飲もうかな。

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