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言葉にする事のむずかしさ

子供のころから読書が趣味だった。
ひとりっ子で鍵っ子だったから、図書室で本を借りては友達と別れた帰り道読みながら帰ったり、家族が帰ってくるまで読んだり、寝る前に読んだり。
読む本はだいぶ偏っていたが、趣味が読書といえるほどにはすきだった。

ただ、なぜか「国語」も「読書感想文」も苦手だった。
国語は授業自体はすきだけど、よくある設問「作者はどういう意図で書いているでしょうか」「作者の気持ちを述べなさい」が苦手。
読書感想文は、先生も「本たくさん読んでるのにね〜」と首をかしげるほど幼稚な感想しか書けなかった。

大人になった今わかるのは、「わたしには読解力がない」ということ。
物語として読み進めるだけだから、何を伝えたいのか意図することがわかってないらしい。

以前の職場でもこんなことがあった。
そこでは朝礼で本の紹介をしていた。
自分が読んだ本の内容をかいつまんで説明し、自分の感想や今後へどう生かすか話すものだった。
基本的に紹介者が話した後に、他の人から質問や感想を述べるだけ。
私が担当の時も同じ様に話をして、他の人から言葉をもらったが、最終的には「感想、解釈がおかしい」「それはこういう意味だと思うんだけど?」と主に年上の方々から罵られて終わった。
それほど私は解釈がおかしいのか?と当時はすごく落ち込んだ。
これだけ読んでいても意味を履き違えていたら読む意味がないと。

ただ今思い出して思うのは、何のために朝礼で習慣化していた事なのか考えると、落ち込まずにそういう意味もあるのか!と再度読み返すべきだったという事と、周りの年上の方々が大人気なかったという事。
本の意味は読み手によって変化すると思う。
実際昔読んだ時と年を重ねて読んだ時、見え方が全く違う。心に残る一説がが異なることがよくある。
相手の解釈を否定せず、柔軟に受け入れられる大人になりたいと思う。
だいぶ年を重ねて、どんどん頭が固くなっている自分に改めて言いたい。

今も読書感想文は苦手だ。
読書記録のためにアプリを活用しているが、感想がまともに書けない。
一番の難関は、今の自分の気持ちをどう言葉にすれば伝わるのかわからない事だ。常に回りくどい言い方をする。

今もそう。「本を読むのがすきだけど、書評・感想が苦手」
その一言なんだろうけど。

でも、回りくどい言い方も、小説家になったような気分になれてすき。
(作家さんが回りくどいというわけではない)

そして思いを言葉にするとスッキリする。

いつか、目で見て肌で感じた事が言葉にできるようになればいいな。

そしてそれが誰かに伝わると嬉しい。

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