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来月は父の命日

どうも、のーこです。
休職してからそろそろ一ヶ月が経ちます。気力・体力ともに少しずつ回復してきています。
ゲームを好きなだけして、漫画を読みたいだけ読んで、ゴロゴロして過ごしてます。来月からボチボチと職探しを始めようと思います。

来月3日は父の命日なので、久しぶりになんやかんや書こうかなと思います。
ゆるりとどうぞ。



父がこの世を去ってから、今年で10年になる。
まだ10年かぁ。もう数十年経ったような感覚だよ。
この10年で色んな変化があった。

私は乳がんの治療が終わって、8年付き合った人と別れて、ニートを脱却してガムシャラに働き始めた。
姉は結婚した。それ以外に特に話を聞かないから、平和なんだと思う。

私が今の就労移行支援を志したきっかけの一つは、父の自殺である。
東日本大震災後の不況による影響で、父が経営していた蕎麦屋は潰れた。詳細は別記事に書いてたりするので、ちょっと端折ります。

元々メンタルが強い方ではない父はお酒に逃げる日々が続き、とうとういなくなってしまった。

父の生い立ちは詳しく知らないけれど、今で言うネグレクト状態だったのだろう。
中学を卒業してすぐに上京し、なんやかんやあって蕎麦職人となった。

父は蕎麦職人としての生き方しか知らない人だった。
店が潰れ、やけになって酒飲んで階段から落ちて、半身麻痺になった父は「もう蕎麦打てねえや」と小さく嘆いていた。
自分のアイデンティティを失った父がどれほどに絶望していたのか、私も年齢を重ねるにつれて理解を深めていくのは、皮肉にも感じる。

仕事しなくても生きていける。
しかし、仕事しなければ生きていけない人もいる。
それは経済面だけではなく、その生き方しか知らない人にとっては自己を奪われてしまうもので。
だから私は、就職を支援するお仕事に就こうと決めた。
それは私なりの父に対する贖罪でもあった。

これは本当にたまたまなのだけど。
実は今の職場は、実家と同じ地域にある。
元々所属先は別の事業所に決まっていたので、さすがにそれはないだろうと油断していた。
このことは職場の人も、私の家族も誰も知らない。私は初めてその地域に来たフリをしている。

プログラムで利用者さんと一緒にウォーキングへ行く時、橋をよく通る。
「多分ここから飛び降りたんだよなぁ」って、なんとなく思う。

仕事を失って命を絶った人がいる場所で、仕事を見つけるために頑張る人たちがいる。
そして私はその両方に関わって、色んな生きた方があるなと思案する。
結局笑ってるのが一番なのよ。

自殺は絶対に肯定できないけれど、そこまで苦しんで生きた父を責めることはできず。
私たち家族はバラバラになってしまったけれど、のーことしてはこれが一番みんなが幸せになる道だと思っている。

誰もが生きやすい世の中だったらいいのにね。
でもそうはならないんだ。悲しいけれど。

もしあと10年生きていてくれたら、何かは変わっていたのだろう。
でも父が自分に対して幸せになることを許さなければ、何も変わらなかったのだろう。

全ての物事はたらればである。
そのたらればに希望と絶望のどちらを託すのかは、その人の選択次第である。

とりあえず、何も期待せず生きていけばいいんじゃないかな。
でもさ、期待も何もなきゃ生きるのってつまらないよな。

来世は平穏に暮らせよ。
笑って楽しく過ごせよ。
心折れてもいいけど、人の優しさをちゃんと受け止めていきなよ。

私は幸せだよ。人の優しさに包まれとるよ。
だからあなたも、この先いつまでも幸せであれ。

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