【民俗学漫談】七夕
一年には二度の区切りがある
年中行事には、神様にお願い事をするイベントがあります。
願いという漢字は、頭が大きくなるところをかたどったものらしいですね。
共同体の願いは、祭でかけられますが、個人的な願いはどこでしますか。
まず、初詣があります。もう一つは、七夕ですね。
夏と冬に一度ずつ。
日本は、四季があります。
一年を4つに分ける。
また、半年ごとに分けることもあります。
昔むかしは、半年で年が移り変わると考えられていました。
そこで大祓(おおはらえ)は夏と冬にやる。
また、日本の神話に出てくる天皇、おおきみが百何十歳まで生きていたという記録がありますが、ただの伝説と片づけてしまわなければ、半年で一歳と考えられていたわけです。
まあ、聖書となると例えば、ノアさん、箱舟作った方ですね。900歳まで生きていたそうです。
いくらなんでも、無茶な気がします。
浮世絵の七夕
で、まあ、個人が公式の場で願い事をかけるなんていうのは、昔はなかった。
個人で願をかけるには、そっとするか、非日常に出向く。夜中に神社に行くわけです。
初詣が盛んに行われるようになったのは、明治以降、それも、鉄道が整備されてからの事ですし、七夕の行事が現在の形になるのは、江戸からです。
歌川広重の名所江戸百景の『市中繁栄七夕祭』
これは、19世紀ですからね。
日米修好通商条約が調印されるかされないかくらいの頃ですよ。
これ見ると、短冊らしきものがすでにある。
黄色い紙には、字ですかね、書かれていますね。
模様じゃないですよね。
願い事を書いて、天まで届かせようとしています。
他にも、千両箱、模型でしょうが、千両箱や大福帳がつけられていて、商売繁盛を願っています。
西瓜もあります。
なんで西瓜?
なのかと言えば、季節ものとして珍重せられているのもありますが、西瓜の種を北斗七星の形に見立てているという話もあります。北斎も描いていますね。
宗教施設の観光化
江戸が都市として機能してくる。そこに市民社会が現れてくる。
当然の流れとして、個人が一人の人間としての意識を持ち始める。
思想を持ち始めるわけですね。
商人は経済力を持ち始めますし。
そうした、個人の自意識を持って行く場、持っていきどころとして、年中行事が、祭りが再整備されていったんじゃないかと思います。
当然、宗教施設も、信仰の場というより、行楽の場となってゆく。
願いをエスカレーションする場として、寺社が再構成されていったのが一つ。
そうして、経済力を持ち、かつ自意識が大きくなった者が行けば、飲み食いしながらはしゃぎたくなる。
それが観光化ということです。
年中行事も、個人の願いをかけるためのツールとして再構成される。
笹の葉も短冊も。
デザインし直されるわけですよ。
時代の需要に合わせて。
リ・デザインですね。
デザイン的な、配置、またはアイデアを練り直す。
行事にふさわしく言葉も変えてゆく。
人々は、自分のイメージを思いにしたかったんですし、その思いを向けるイメージがほしくて、絵馬でも、七夕の笹や短冊でも、ツールとしてほしかったんでしょう。
絵馬でも短冊でも自分の中にある願いを外に向かって表したかった。
一つの表現行為によって浄化するという行為です。
冬の絵馬に夏の短冊です。
思いを昇華させる時と空間が必要とされ、そのデザインをどういう場でいかにしてゆくか。
これは、現代のコミュニティ・デザインでも同じですよ。
たとえば、バーがありますが、そこでは、いろいろな願いが錯綜する。薄暗い灯、お酒、バックグラウンドミュージック、椅子にカウンター。そうしたものが願いを昇華させるために都合よく配置されているわけです。
小説も、自分の書きたい事ではなくて、人々の思いを昇華させるものを書けば受けるんですけどねえ。
七夕
七つの夕べと書いて、本来は「しちせき」と読みますが、これを「たなばた」と読みます。
七の夕べと言うと、ホラー小説の章タイトルみたいですが、七月七日の夕べということです。
日本語って、こう言う事が出来ますよね。
或る文字に別の文字の読みをハイブリッドさせて、二つの意味情報を一つの言葉で示せるという。
「本気と書いてマジと読む」は、違いますね。読み方を買えただけです。何の情報も加味されていません。
「たなばた」の「たな」は、棚です。「精霊棚(しょうりょうだな)」というのがありまして、お盆に棚を作って、お供え物をしたりして、先祖の霊を慰める棚です。
「たなばた」の「はた」は機械の機と書くんですが、これは「はた」と読みます。
機(はた)織りのはたです。
棚と機がセットになったのが七夕なんですね。
これは、日本独自の信仰で、夏の時期に、ああ、七夕の季語はなんと秋なんですが、まあ、夏ですよね。その夏の時期に、「カミ」が別の世界からやって来る。
その場に設けた棚と、「カミ」のために織った機とがセットになった信仰が七夕の一つのもととなっています。
て、ことは、やっぱり鎮魂儀礼なんでしょうか。
この場合の「カミ」は、まだご先祖様レベルでしょうし。
予祝儀礼的なものとは、雰囲気が違います。
民俗のハイブリッド
七夕は、織姫と彦星の伝説が元ですね。
この話は、ブロックしたくなるくらい聞いているでしょうが、若い相思相愛の二人が一緒になったら、そりゃ仕事も放って、遊んじゃいますよね。致し方のない話です。
で、その伝説と、また別の話、七月七日に、七本の針に色とりどりの糸を通して、庭に出して、針仕事の上達を願ったという行事。これが習合した。習慣が合わさったわけです。
似たような時期にあるのなら、一緒にやってしまえ。というわけです。
こうやって、神話も、年中行事も、民俗はハイブリッドしてゆくわけです。
ちなみに、私の誕生日は、12月25日なんですよ。
もうお分かりですね。
私には、クリスマスがなかったんですよ。
クリスマスと私の誕生日が習合してしまったわけなんですね。
誕生日にケーキが出る。そのケーキはクリスマスケーキでもあり、かつ、誕生日のケーキでもある。
その日の蝋燭は、キャンドルナイトの為でしょ。
私の年齢分立っているんですよ。ケーキの上に。クリスマスに讃美歌じゃなくて、「ハッピーバースデー」なわけですよ。吹いて消すんですよ。
誕生日プレゼントをもらいながら、後ろには、ちょっとしたクリスマスツリーがあるわけですよ。
そのプレゼントは、サンタクロースからじゃないんですよ。もう、完全に親からなんですよ。親もサンタクロースの恰好なんてしないんですよ。
で、プレゼントが、赤い長靴に入ったお菓子なんですよ。
そのように、誕生日とクリスマスがハイブリットしたイベントに参加していた私は、はなからサンタクロースの存在を考えませんでした。
そりゃ、後になまはげイコールサンタクロースとか言ってますよね。
日本に伝わってから
で、そのように、すでに中国でハイブリッド化していた七夕の行事なんですが、当然、日本に伝わってきます。
奈良時代には、宮中で、星合(ほしあい)、星と星、織姫と彦星とが合うのを願ったり、また、針の上達の行事などが行われるようになりました。
平安時代になると、葉っぱに貴族が願い事を書いていました。まあ、歌の形式でしょうが。
針の上達だけでは、もつたいない。ついでに願い事を書ける日にしてしまおう、と考えたわけですね。
それから、ずっと下って、江戸になり、短冊に書かれるようになりました。
これが現在の七夕に直接つながります。
現代人に対するホモ・サピエンスみたいなものです。つながっています。
こうして、神話も行事もハイブリット化して現代にいたると。
ストレートに来ているものなんであるわけがないんですよ。
なんで笹?
夏越(なごし)の祓(はらへ)という行事が六月の晦日に行われます。
一つの区切りの時期ですね。
この辺の時期に行われるのは、京都の祇園会もそうなんですが、疫病を払うという意味合いがあります。
だから、都市で夏の祭が発達するわけですよ。
それ以降になると、鎮魂行事ですね。お盆です。
七夕は、もともと鎮魂行事とも結びつけらますが、夏越(なごし)の大祓(おおはらへ)からデザインは持ってきていると思います。
時期的に大晦日と同じで、この世とあの世の境があいまいになる時期ですし。
ちょっとやばくなると、非日常との境をわざとあいまいにするんですよ。
輪っかをつくってくぐるとか。
その時に、茅(かや)、かやぶき屋根の茅です。その茅で、人が通り抜けられるような輪を作ります。今でも、各神社でありますよ。
6月30日か、12月31日に神社に行けば見られます。人々が通り抜けてますよ。
半年分のケガレを払うために。
今、6月30日か、12月31日と言いましたけど、やはり現代は、一年は一年、365日なんですね。6月30日と言っても書いてもときめきませんが、12月31日っていうのは、言うだけで気分がたかまりますね。
で、茅の輪ですが、夏の場合、両側に笹がつけられた。
笹は、おにぎり包みますよね。
殺菌作用があるんですよ。
現代の菌に効くかわかりませんが、昔は効いた。
夏越の大祓は疫病を防ぐ意味合いもあったはずですから。
当然、それのシンボル的なものも持ってくるわけですね。
それが笹だと。
江戸の七夕
それから、七夕が、江戸市中の行事になる時に、その笹だけ持って来た。
茅は燃やしますから。
願い事を書いて燃やせば、天に届くわけですよ。
火によって、別の世界のものへと、変化させるわけです。
それを江戸っ子は、長い笹竹に願い事を書いた短冊を括り付けて直接天に近づけさせたわけですね。
気が短いですから。江戸っ子は。
当時の景色は壮観だったと思いますよ。
江戸は、町家や商家においては、二階建てまででしたからね。寺社や幕末以外は。
屋根より高く、五色の紙をつけた短冊が上がるわけです。
しかも、今のように、何日も前から出すなんて願いが漂うようなことはしません。前日に一斉にあげて、七夕が終われば、一斉におろしていたんですよ。
イベントとして、祭として、効果を考えていたんですよ。
今、クリスマスツリーは、一か月以上前から出ていますが、驚いたのが、何年か前にスカイツリーのソラマチに行ったら、クリスマスツリーに短冊がつけられて、願い事が書かれていました。
あれ、もしかしたら、ほしいプレゼントを書いているのかもしれませんが、冬は違うでしょ。絵馬があるでしょうに。
同じことを繰り返す。
でも、新鮮。
それが伝統というものです。
追記
2021年7月6日に神田明神に詣でたのですが、七夕飾りがありまして、それが七色の短冊ではなく、金銀の紙に願い事をつるしていまして、さらには、笹を貫いて竹が立ち、てっぺんに星までいただいていたのがありまして、デザインモチーフとしてはクリスマスツリーですよね。
てっぺんの星も、これ、ベツレヘムの星じゃないですか。
東方から博士が来ますよ。三人くらい。
そういえば、数年前にソラマチあたりのクリスマスツリーに願い事を下げているのを見た覚えがあります。
20世紀に比べて、街並みがつまらなくなったというのは、看板のデザインや建築から語られるのであろうが、宗教儀礼や年中行事から『別世界』を追いやったがため、象徴化されていない平板なこの世ならざるものがそこかしこに現れて来た物と言えないだろうか。
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