見出し画像

ダンス素人の見方⑤ 「舞踏駅伝 2024」 六本木「ストライプハウス」

「舞踏駅伝2024」
2024年1月7日(日)
ストライプハウススペース (六本木)
・踊り手も見る人も2000円。
☆15分ずつ4組続けて踊り、15分休憩を繰り返す

1st setは間に合わなかったので 2nd set からとはいえ、1セットに4組連続で出て一時間、それを3セット見たので、3時間。セット間に15分休憩があるとはいえ、途中で軽いめまいがするなど疲れた。私が興味を覚えたダンサーは秦真紀子、若尾伊佐子、宮保恵、キム・ウンギョン、深谷正子。

まずは、秦真紀子! 正統派のダンサーです。どこかで見たことがあるはずで、きちんとした踊り手はそういう存在として名前を憶えている。出てきた瞬間に神経の行き届いた立ち姿で目を引き付ける。全身がかゆいなど、わかりやすいモチーフを増殖させていく。不安神経症的な表現として抜かりなく作り上げられていた。面白く、また見ていて快かった。

次に、若尾伊佐子! さりげない動きのようでいて、あらゆる細やかな仕種に表現力が突出している。何かに巻き込まれるのに抵抗するとか、得体のしれない不安に押しつぶされそうなど、ありがちなモチーフでも、それを「演じている」のではなく、「まさにそれがそのようにそこにある」と見えるのは、若尾ならでは。何かに打ちのめされて疲れ果てた女が壁に寄りかかっている、それだけで一本の映画になりうるのだ、と思わせるのは、さすが。ただ、今回は斜めに「頽れる」ような受動的な積極性もなく、かろうじて踏みとどまって持ちこたえる、という風に見えたのは、彼女の指向性や年齢ゆえに必然ではあるが、あまりにも早い衰弱を感じさせる。最後の解放の動きは取ってつけたようでもあり、今回は浅く潜って浅く生き返った感じですね。彼女の屹立した背筋には燃え上がるような爆発的な情動がまだ腹蔵されているはずであり、枯淡の境地には早すぎる。現状の打破には何か起爆剤が必要では。

最後の四組は全員ガチ勢で固めてある。宮保恵! 今回の最大の収穫は彼女のコンテンポラリー・ダンスを見ることができたことだ。何かの動画で見て存在は知っていたが、正攻法の技術もさりながら、その颯爽としたたたずまいがすばらしいです。しなやかでダイナミックな動きは小気味よく、さばけた表情など、すべてがすがすがしくかっこよい。この世に降りかかる悲喜こもごも、あらゆる出来事に小細工なしに立ち向かっていく、意気軒高たる精神を感じられるダンス。人生絶好調の人間ならではの自由なエネルギーが充満している。佐多稲子じゃないけど「体の中を風が吹く」とはこのことだ。

キム・ウンギョン! 老かいなダンサーかと思いきや、若いです。思ったよりもすごく、若い。トウシューズを履く、というパフォーマンスから入っており、自分の踊りのルーツをおさらいするということなのか? つま先立ちなど、典型的なバレエの動きそのものです。バレエというのは舞踏とは対照的というか、対立物なのでは?と思うのだが。特に妖美なバイブレーションなどもなく、みずみずしく、素直で丁寧な表現でした。うーん、彼女は何者なんでしょうね。これから他の出演者のような「特異な踊り」の世界に入っていく覚悟があるかどうかは見極めがつかず。基礎的な技術は十分に備えている。まあ、彼女が先天的及び後天的に身につけている危うい美しさは、武器にも凶器にもなりえるもので、とうてい既成の型にはめて馴致できるものとは思えず、否応なくいろんな出来事に巻き込まれていってしまうに違いない。自分の身を守り自分の運命を制御することが、表現者としても一個人としても、密接不可分の課題となるはずだ。

深谷正子! 今さら私ごときが四の五の言うまでもない、有名な方です。といっても私は「季刊ダンスワーク」という専門誌でその名前をよく見たというだけで、実物は初めて。「舞踏駅伝」の看板に偽りなし、となっているのはひとえに彼女の存在による。肉に内蔵されたうごめきから徐に手足へ移るあたり、舞踏の影響が強いと思われ、手指の曲げ方が先に来るような一般的な「ダンス」とは全然違うが、舞踏そのものでもない、多様な要素が絡み合っている感じです。「老い」や「記憶の集積物」ということがテーマになりうるのだ、という実践として貴重。宮保のダンスが「踊ることは生きること」だとすれば、深谷は「生きることが踊ることだ」とでもいうわけで、生活にまとわりつく動きからにじみ出る「リアリティという名の自我の囚われ」と格闘していくが、体力的に力づくで突破というわけにはいかないので、思考と身体の限界と可能性が試されてくる。静寂の中でわずかな動作の差異で視線をくぎ付けにするのは、さすが練達の境地、と思わせておいて、いきなりA-witchiみたいな派手なヒップホップ・ソウルが大音量で鳴り響く! 舞踏とコンテンポラリーとヒップホップを融合させたような独特すぎる踊りを見せる。この日、未知のことに挑戦していると思わせてくれたのは、この大ベテランの深谷だけです。彼女の表情にはそれこそ中村メイ子のような存在感があり、僕が映画監督志望の若者なら彼女を主人公に劇映画を撮る、いや誰かが撮るべきでしょう。彼女のやってる表現は石川真生が沖縄の女を撮った写真みたいなもんで、こういうことができるのは選ばれし者だけだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?