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晴れた日は晴れを愛し、雨の日は雨を愛す。


ニュージーランド在住の野田です。

こちらは昨夜から雨が降り始め、天気予報を確認したら、今日は1日雨の予定。
夜中は風も強く、目が覚めたら、案の定暗くてどんよりとした空、雨がしとしと降っていました。

今週は悲しいこともいくつかあって、何となく気が沈んでいました。

「これが晴天だったら、気分も晴れていただろうになぁ」なんて思いました。

その時思い出したのが、この一節。

晴れた日は晴れを愛し、雨の日は雨を愛す。楽しみあるところに楽しみ、楽しみなきところに楽しむ」

吉川英治

「三国志」や「宮本武蔵」を書いた歴史小説家、吉川英治の言葉です。

「晴れた日に晴れを愛する」。
つまり「楽しみあるところに楽しむ」のは、比較的簡単です。

「雨の日は雨を愛す」。つまり「楽しみなきところに楽しむ」のはどうでしょうか。

これは、なかなかデフォルトの反応では難しいと思う方、多いんじゃないかな。

まあ、「雨」くらいなら

  • 雨の音に聴き入って、心を無にして落ち着く、とか

  • 雨の中、外に出て、自然のエネルギーを全身で感じる、とか

  • ウキウキする柄の傘を新調して、出掛けてみる、とか

  • 雨を理由に家でのんびり、映画を見まくる、とかして

「雨」を「晴れ」と同じ様な意味で「楽しむ」事はできそうな気がします。

これが、「冤罪で刑務所に入れられた」という事態ならどうでしょうか。
(かなり極端な例ですが)

「冤罪で刑務所に入れられた」のを「晴れ」と同じ感覚で、「楽しむ」のは多分難しいですよね。


もう一度ここで、吉川英治さんの言われる「楽しみなきところに楽しむ」の意味を考えてみます。

私の解釈は
「その中に置かれた時、またはそれを考えた時、全くポジティブな感情が起こらない状況において、如何に「喜び」を見つけるか」
ということかな、と思います。

そこで私が考える「楽しみなきところに楽しむ」ための鍵です。

  1. 小さな楽しみを、逃さずに堪能する。

  2. 自分がコントロールできることの中で、楽しみを見つける。

1 の「小さな楽しみを、逃さずに堪能する」ためには

楽しい」ことに関する自分のレーダーの感度を上げる事。
そしてそのレーダーにかかったものに感じる「喜び」を堪能する事

が大事だと思います。

例えば「雑草の花が咲いているのに気づき、近接して見て、自然のデザインに感心する」とか
「柔軟体操をして、昨日よりも動く範囲が少し伸びた自分を誇りに思う」とか。

これには、意図的なトレーニングが必要ですが、意識していると段々容易になります。

2 の「自分がコントロールできることの中で、楽しみを見つける」については、何を自分がコントロールでき、何はできないかを意識する事が大切です。

自分がコントロールできない事にフォーカスして、嘆くのではなく、自分のコントロールできる事を自分が変える事で、いかに「楽しむ」ことができるか。

ナチスの強制収容所に入れられたヴィクトール・ フランクル氏が、その著書「夜と霧」の中で書いています。

人は、この世にもはや なにも残されていなくても、
心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、
ほんのいっときにせよ 至福の境地になれるということを、
わたしは理解したのだ。

ヴィクトール・フランクル

「収容所にいる」という自分の状況を変えるのは自分のコントロール外でも、「自分が何を考えるか、どんな行動を取るか」は、自分のコントロールが及ぶ事です。

脳」を使って無理やりポジティブな「考え方」をするのでなく、「心」でちょっと「喜び」を感じる。

そんな事で「楽しみなきところに楽しむ」事が可能になる気がします。


今度、「楽しみがない」状況にいる自分に気がついたら、いかに「楽しめる」か意識してみると、新しい発見があるかも知れません。

追記: 実際に吉川英治さんに、どんな意味で『楽しみなきところに楽しむ』と言ったのか、訊いてみたいなあ。


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