note連続更新が止まってもまた走るよろし〜誰かに向けた応援歌〜
人の習慣として定着すると言われる66日間、毎日note投稿する企画「66日ライティングランニング(通称ライラン)」を、みんなと一緒に走り始めた。
普段から書かない日々を送っていると、なかなか書けない。
自分の中ではネックになっていた完璧主義を捨てて、途中であろうと投稿するというマイルールでなんとか走り続けた。(嗚呼、ズルいとか言わないで……🙉)
いつも日が変わるギリギリに投稿していたのだけれど、5月3日に少しルーチンが変わってしまったこともあり投稿を失念。脱落した。
連続投稿56日目にして脱落したことで落ち込むかな? と思っていたけれど、思いの外落ち込んではいなかった。
……つもりだった。
翌日から気持ちを切り替えて、ハッシュタグ
"ひとり66日ライラン"
をつくり出して、また走り出したからだ。
うん、大丈夫。走れる。
と思ってた。
私が入っている社会人ライティングサロンの放課後ライティング倶楽部。
主宰者のウエダヤスシさんが、脱落した後日にこんな記事を投稿した。(※後半の名言集はメンバー向け有料記事)
タイミングも合わせて明らかに私に向けたエールだった。その気持ちが嬉しくて、グッときてハッとした(←昭和だね〜w)。
名言やキャッチコピーというカタチの応援メッセージ、ガッチリと頂戴しました!感謝。
そのまましばらくひとりで走り続けていたら、ふと気になって参加していたマガジン(申請したら66日ライラングループ承認される)を久しぶりに覗いてみた。
なんと! 走り続けている人たちが52人もいる。しかも、ランナーたちの汗と涙と血ヘドが混じった毎日投稿数が2,431本もあるじゃないか!
これを見たときに、「みんな今も頑張って走ってる。嗚呼、コースアウトしちゃったんだな……オレ」とはじめて実感が湧いてきた。
言うならば、国際女子マラソンのTV中継で必ずいる沿道を全速力で走ってるヤツの気分に近いのかも知れない。
「いやいや、チミ、それコース外だし、大会とは何も関係ない"部外者"ですから!」っていうアレ(笑)
どれだけ頑張っても、みんなと同じゴールはもう目指せないのだ。
ふと、心に残った話を思い出した。
たまたま観た4月28日放送のTV番組「EIGHT-JAM」で日本屈指のシンガーソングライター『宇多田ヒカル特集』の中でご本人が言ってた言葉がとても印象的だった。(記憶してる言葉のニュアンスだけお伝えします)
質問「もしも聴き手がいなくなったらどうしますか?」
→
回答「自分が必要としている言葉を自分にかけているような気がする……誰もいなくなったとしても、たぶん歌ってると思う」
宇多田ヒカルさんのこの答えに、結構な衝撃を受けた。
自分に置き換えて考えてみよう。
質問「もし誰にも読まれなくなっても書き続けられるか?」
そんな問いを自分に投げかけてみると、まだ「はい」と答える心境には至ってなかった。
つまりは生活習慣として「書く」が定着していない現れなのだろう。
書くことはショウカすること、だ。
日々の出来事を客観的になって分解して「消化」している。イヤな出来事や忘れたいことも思いの丈をぶつけて「昇華」している。腹を抱えて笑いあえることを共有したくて「笑化」している。
だからこそ私の中で「書くことは生活習慣」に欠かせなくなりつつあるし、したい。
胸を張って「誰にも読まれなくても書く」と言えるようになりたい。
今回の投稿は自分への応援歌でもあり、誰かに向けた応援歌でもあるのだろうと思った。
☆ひとり66日ライティングランニング
やってます。66日ライティングランニングを脱落した人でも、そのまま自身で出来ることを考えたタグです。
#ひとり66日ライラン
#5日目
本家の【66日ライティングランニング】にご興味ある方はこちらをどうぞ☆
もしも、やむなくライラン脱落者(←縁起でもないことを言うけれど予測不能な未来だから)になってしまった人は、気持ちの切り替えに"ひとり66日ライラン"タグを使ってみてください。立ち直ってからの再決意を大切に。
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