画家の魅力を伝えたい!
この頃描くことよりも作家作品研究が楽しくて仕方ないおのでらです〜
ということで是非ともこの楽しさを共有したいなと思ってnoteに挑戦してみました!
さて記念すべきnote初執筆ということで、今回は僕が西洋美術史の中でイチオシの画家を紹介しようと思います
その名もカラヴァッジョ先輩!
この画家は16世紀のイタリアで活躍した画家で本名をミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョといいます
ちなみにカラヴァッジョは地名姓で、カラヴァッジョのミケランジェロ・メリージって感じです
要は風の谷のナウシカと同じようなもんですね
そんな彼は1600年に一躍ローマで有名な画家となり、1606年にとある事件をお越してしまい、いろいろあって1610年(38歳)で亡くなってしまいます
ここではカラヴァッジョの作品や来歴からカラヴァッジョの魅力を紹介します
悪魔の画家と言われた男
カラヴァッジョは西洋美術史の中で僕が一番好きなバロック絵画の立役者と言われるほどの功績を美術史界に残した巨匠中の巨匠の画家です
しかし彼の性格は破天荒を極め 同時代の画家たちから「悪魔の画家」(笑)と揶揄られてるくらい素行の悪さもまた作品にならび一級品でした
画家界のイブラヒモビッチみたいですね⚽️🤛
そんな彼ですが1600年に突如としてローマの大スターになります
新様式"バロック美術"の創始者
彼を一躍ローマのスター画家にした絵が下の『聖マタイの召命』です
この絵は1599〜1600にかけて描かれた作品で、簡単に言うと聖書にある、"お金の仕事をしているマタイさんをキリストが舎弟にとる"内容の絵となってます
右にいる指を指しているのがイエス・キリスト、左にいる俯いてる青年がマタイだそう
この絵が一躍注目を浴びたのはキアロスクーロという絵画における明暗表現を超越したテネブリズムという暗闇主義の表現です
これまでルネサンスやマニエリスムという全体的に明るい細部まで見える絵の様式が主流だった時代において、突如としてこんな真っ暗な絵が登場してしまったんですねぇ
そりゃ当時の観客もびびりますよね笑
そして16世紀半ばからこのカラヴァッジョのテネブリズム絵画を元にレンブラントやラトゥールなどのバロック絵画が確立されていきます
↓ちなみにマニエリスム絵画はこんな感じ
しかしながら、この絵でスターになると同時に素行の悪さが悪化していっちゃいます
犯罪者画家 火羅婆序👮
上記のとおりに、この聖マタイの召命を発表したあたりから武器不法所持とか喧嘩とかで逮捕されまくってんですよね笑
画家ジョヴァンニをディスるエロ詩作るとかもう本当に小学生みたいな悪さしてるんですねぇ(涙目)
それでも大半の犯罪は絵の上手さのおかげでパトロンのボルゲーゼ枢機卿たちから釈放してもらったり罪を軽減してもりったりしてるんです
才能がなければ即人生終了笑
しかし、1606年にカラヴァッジョ先輩とうとう殺人を犯しちゃいます😱
これは流石に有力なパトロンたちも罪を庇いきれず、ローマ教皇から懸賞金がかけられ見つけしだい殺される身になります
騎士団からも追われる身に
いつ殺されるか分からないカラヴァッジョは1607
年にローマの統治外のナポリへ行きコロンナ家というカラヴァッジョと親交深い名家に匿ってもらいそこで絵を描きます。
同年にコロンナ家の手伝いでマルタ島のマルタ騎士団に入隊し身を守ることになります
マルタ騎士団は軍というよりもボランティア騎士団みたいな感じで慈善活動を主に活動をする騎士団で、団長のヴィニャクールの肖像画をカラヴァッジョが描いています
これでひと安心☺️、かと思ったらカラヴァッジョ先輩、騎士になってもカラヴァッジョ節を貫き倒し、騎士団と喧嘩をし投獄されてしまいます💦
しかし脱獄をして、1608年に今度はシチリア島のシラクーサへと逃げます
こんなもんですからヴィニャクール団長激おこ💢になっちゃって団員にカラヴァッジョ殺害命令を出しちゃいます
自画像(生首)
シチリアに逃れた後そこで画業をするのですがたカラヴァッジョですがシチリアの画家を"底辺画家"と見下すような態度を取りそこでも揉めてしまいます
これじゃやってられん!というばかりに1609年にまたナポリのコロンナ家の元へ向かいます
しかしナポリに着いた途端マルタ騎士団の追っ手に重症を負わされることに、、、
流石に懲りたカラヴァッジョ、ヴィニャクール団長に謝罪の絵を描きます
こちらがその謝罪の絵、『洗礼者ヨハネの首を持つサロメ』です なんかおっかない絵ですよねぇ
この絵は聖書のサロメという女の人がキリストの弟子のヨハネの首を切ってそれを持ってる場面を描いてます
でもこの絵は聖書の意味はほぼなく、ただただ「ヴィニャクール団長勘弁してくださぁい💦」という絵なんです
どこでその謝罪を表しているかというと、このヨハネの顔、実はカラヴァッジョの本人の顔なんですね😱
カラヴァッジョはこの切られたヨハネの首を自分の顔にすることで、謝罪の意を込めました
カラヴァッジョ、めちゃくちゃ反省してます笑
この甲斐あってマルタ騎士団とのいざこざは収まることになります
自画像(生首)part2
この流れでカラヴァッジョはローマ教皇にも許しをもらうために先ほどのボルゲーゼ枢機卿にも謝罪の絵を送ります
この絵は旧約聖書のゴリアテというフィジカルモンスター兵士を美少年ダビデが倒してその首を切った場面の絵となっています
この絵も聖書の意味はほぼなく、ゴリアテの首を自身の顔にして「ローマ教皇許してくださぁい💦」という絵なんです
ここまでしているのはカラヴァッジョの相当な反省が伺えますね笑
カラヴァッジョ、野垂れ死ぬ
いろいろあってなんとかボルゲーゼ枢機卿の頑張りでローマ教皇から特赦がもらえることになりました
そこでカラヴァッジョは有名な「法悦のマグダラのマリア」などの新作3枚を持って1610年にローマ教皇に会いにナポリからローマへ船で向かいます
しかしなぜかローマとは別の土地に船が止まってしまい、その間に熱病を患い同年、そのまま野垂れ死んでしまうのです
カラヴァッジョ、紙幣になる
こんなカラヴァッジョさんですがなんと没後、その絵の功績からなんとイタリアの10万リラの紙幣の肖像になっちゃうんですよね
殺人とかいろいろ犯罪やらかしちゃってるのに絵の功績で紙幣になっちゃうなんて、ほんとなにからなにまでぶっ飛んでるカラヴァッジョ先輩でした
まとめ
このように、殺人を犯し逃亡の人生を歩みながらも後世に残る名画を描き続けたカラヴァッジョ。
その影と光の激しい人生を送った彼自身がバロックといえるのではないでしょうか?
以上でカラヴァッジョの紹介を終わります!ここまで読んでくれた人ありがとう!こんな感じでいろんな画家紹介していこーとおもいまーす
次回は夜の画家と謳われたラトゥールについて書こうかなー
参考文献
カラヴァッジョの秘密
名画は語る
比べてわかる西洋美術史
世界名画事典
山田五郎オトナの教養講座
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