見出し画像

けっきょく、誕生日会が大事で、誕生日はいつでもいい?? フンザの『テキトーな誕生日事情』

 2024年4月14日。のどかカフェのキッチンには、僕と、カフェで働く素朴でシャイな青年モーシン(30歳)、彼の二つ年上の姉で、同じくスタッフでのナビーダさんがいた。
 皆で料理の仕込みをしていたら、ナビーダさんが唐突に、「モーシン、お誕生日おめでとう!!」と言った。『わたし、あなたの誕生日、ちゃんと覚えているんだよ』とでも言いたげに、ニコニコしている。
 しかし、モーシンは「誕生日は明日だよ」、とそっけない。
「えっ?14日じゃないの?」とナビーダさん。「違う、明日」とモーシン。「そうだっけ?」さっきの笑顔は消え去り、ナビーダさんは首をかしげている。端で見ていた僕は、ナビーダさんが弟の誕生日を間違えたのかな、と思った。
 そしたらしばらくして、二人の弟のアルシャッド(別のホテルで働いている)がキッチンに入ってきて、モーシンに、「兄貴、誕生日おめでとう!」と言ったので、仰天した。ええっ!姉も弟も誕生日を一日間違えるってある??
 それでもモーシンは、「いや。誕生日は明日だ」と言って譲らない。結局、ナビーダさんもアルシャッドも腑に落ちない様子だったのだが、本人が明日というなら明日なんだろうと言うことでその場は収まり、翌15日には、みんなで誕生日パーティーをした。その時には、ナビーダさんもアルシャッドも、昨日感じた違和感などまるで無かったかのように、ハッピーバースデーを歌い、純粋に楽しんでいた。
 きょうだいの間で誕生日が一致しないという不思議。ここからは僕の考察だが、おそらく、こういうことだと思う。元々、フンザの人には最近まで西洋カレンダーが無かったから、多分、モーシンのお母さんは、「アンズの花が散り、サクランボの花が咲いた頃にモーシンは生まれた」という感じで、具体的に何月何日にモーシンが生まれたのかは覚えていないのだろう。でも、誕生日会は大事なので、毎年、この時期になると「ハッピーバースデ~♪」と、皆でお祝いをする。そのうちに、学校教育などで比較的カレンダーになじんでいるナビーダさん、モーシン、アルシャッドは「ああ、モーシンの誕生日は4月14日(15日)なのね」と覚える。実際に、14日に誕生日会をした年も、15日にした年もあったのだろうから。 結局、モーシンの本当の誕生日がいつなのかは誰にも分からないし、そもそも普段からカレンダーを使わず、誕生日が数日ずれようが全く困らないので、「誕生日のお祝いは大事だけど、誕生日が何日であるかは、まあ、どうでもいい」という考えになる。だから、来年はモーシンの方が「4月14日は僕の誕生日」、ナビーダさんとアルシャッドが「あれ?明日じゃなかったっけ?」と言っているかもしれない。
 日本ではいろいろな場面で誕生日を記入することがあるし、身分証にも書かれているので、誕生日は揺るぎない。でも、ここフンザでは、誕生日が必要な場面は誕生日会くらいで(身分証には誕生日が書いてあるかもしれないが、その身分証もほとんど使わない)、必然、誕生日も曖昧で困らない、ということになるんだろう。ちなみにフンザでは、きょうだいや自分の年齢もよく覚えていない人が多くいる。
 この誕生日の件は一例で、フンザは万事が万事、こんな風に、ゆるく、適当な感じだ。それは外から来た僕にとっては魅力的であると同時に、時にストレスを感じる原因でもあるのだが。今後、別の例も踏まえながら、報告していきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?