書くことが仕事。

※長いです。



最近、目にする雑誌のチェックポイントが変わってしまった。世の中には、ライターという仕事があってだな。雑誌の中に出てくるちょっとしたコラムもエッセイも小さくプロフィールが書いてあって、そこの肩書きには作家やらライターやらといった肩書きがきちんと書かれている。(モデルだったり、女優だったりするときもあるね)実をいうと、誰が何を書いているのか私は、無頓着なところがあり、ライターという肩書きについて、やっと意識するようになった。

私は、書くことが好きなのだけど、実はライターという職業については、特に調べたこともなければ、自分がなれる、なりたいと思ったことはなかった。興味はあったかもしれないが、ライターという職業の方をかなり見上げていたし、今もそれは変わらない。

なんというか雲の上の人のような。

自分とは違う世界の人々だと本気で思っていたような気がする。

そんな私が、たまたま文フリで見つけた知らない人の知らない小冊子のエッセイ集が立ち読みすると面白くてですね、思わず買ってしまったのだけど、後々その小冊子が、実は大手出版社から単行本として販売されなおしていて、かつ今日立ち読みしたコンビニのこれまた小冊子に、その方の名前とエッセイが載っていて、驚いた。

そこには、ライターという肩書きが書いてあって、あの文フリであった気さくで明るい素敵な雰囲気のあの方がまさか、私の生活の身近なところでこんな風に文章発表しているなんて…。

なんということか。
急にライター職を身近に感じてしまう私である。

たまたま手にして読んだエッセイの内容もご本人の雰囲気について書いてあって、ふむふむとつい読み込んでしまう。

そうそうそう。文章がさっぱりしてて、私好みで。これこれ、やっぱ同じ人の文章って感じがする。人生のいろんなつらかったこともあっただろうけど、乗り越えて吹っ切れた人の強さとか潔さとか前向きさが押し付けがましくなくて、とにかく読みやすい。

実際会ったとき、朗らかで、売りつけたりすることなんて1ミリもなくて、媚びてもなくて、人として感じがよくて、ついつい迷いなく買いたくなる人というか…不思議な雰囲気の印象だったので、(これ買おう!って決めた時間はかなりはやかった。多分1分くらい)今でもぼんやりその方のイメージが胸に残っている。

うーん。

感動。

そっかぁ!

書くっていろんな方法があって、いろんな発表の場があって、自分の好きでやってることの先にライターという職業だって、存在してたんだなぁとしみじみ思う。

そもそも、私は、かなり選択ミスして、今まで生きてきた。
資格をとるなら、簿記だとかTOEICだとかそうやって生きぬいていくしかないんだと完全に思い込んでいた。

もっとシンプルにお金を稼ぐことを書くことで出来ないか。

そういうことを自分自身の目線で真剣に考えたことなんてなかったんだよね。

ライターになるために講座を受ける人はたくさんいるし、WEBライターの資格を取る人だっているし、ツテやコネ、知り合いを作る努力だってしたっていい。

もっと言うと、私はブログという言葉が嫌いだったのだけど、ブログで広告収入を得ている人はたくさんいて、そうやってみんな自分の文章でお金を稼ごうとあれこれ知恵を絞って頑張っているわけですよね。

あー。
私は、本当に素直じゃなかった。

バカ過ぎるし、 欲望に素直じゃなかったなぁと本気で思う。

あと、長いこと、自分に対して無価値観を感じていたのですよ。20歳の時の私にタイムマシンにでものれるならのって、それをめっちゃ教えてあげたい。

無価値観を「無意識」に感じてるのがポイントで、それが胸に残ってると創作発表の場には堂々と行けないし、いられないし、なぜかいつも後ろめたい…。

「文坂ノエ」という私のペンネームなのだけど、私は自分の本名がどうしても好きじゃなくて、自分が何かを発表してる状況があまりにも非現実的で恥ずかしくて、当初エッセイや詩を発表するための私の都合でつけた名前だったの。

私が自分に名前をつけたことで、私は私に新しい価値をつけたんだ。

名前をつけたことで、無価値から価値あるものにできた気がしている。それって、完全に私都合の私のための価値。

ここまで読んでいて、気づいた人もいるかもしれないけれど、じゃあ本名の私には価値がないことになるの?ってなるかもだけど、それはわからない。

最近の私は、書くことで自信を取り戻しつつあるし、自分を救えてるわけだから、誰かの何かの役にもしかしたら立てるかもしれない。

文坂ノエに助けてもらってるとこ、実はかなりある…かも。
(この名前がないともう嫌だし、この名前があるから頑張れる)

「無価値感を感じてる自分」にやっと気づいてね、その出来事こそに自分で価値をつけられるのが書く仕事なんだって、やっとわかってきたの。

生きづらさがオセロのように生きやすさへとひっくり返る瞬間におそらく少しずつなっている

生きやすさって、自分で新しい価値を作るところからおそらく始まる。

最初から、自分で自分にだけは自信持ってて、世の中の人には見向きもされなかったり、向いてないとか言われたり、全然売れてないとか厳しい現状があったとしても、まっとうに自分を信じて闘えてる人が私は、ずっとずっと羨ましかった。

恋してた。

売れない作家に私もなってみたかった。

noteに出たら、販売できるから、私は、「売れない作家」になって夢は1つ叶ってしまった。

言葉としての職業を欲しがるのはやめて、私に何ができるかをね。


もうぜーーんぶ、考えなおしのやり直し!

大変だけど、こっちの道の方が断然楽しい。



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