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関口和之(SAS)のAVファンタジー

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89年からVIP通信で連載していたコラム「関口和之(SAS)のAVファンタジー」を当時の原文のまま掲載誌ます。
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記事一覧

「絆」って何なのだろう。

【1989年にVIP通信でスタートした連載を原文のまま掲載】  僕は和食党だが、月に何度かは台湾料理やインド料理を食べる。時々は、むしょうに東南アジア系の料理が食べたくなったり、今日は絶対に焼肉とか、イタリアンしかない、という日だってある。  エスニック料理の店は、まだまだ増えつつあるが、僕個人の食生活を考えても、それらは一時のブームではなく、定着したといってもよいと思う。  近頃は、現地出身の人が現地に近い味で食べさせてくれる。それを日本人の僕らがうまい、うまいと食べ

かつて日本中にいたジャニスに捧ぐ。

【1989年にVIP通信でスタートした連載を原文のまま掲載】  ひと昔前の話だが、日本のあちこちにジャニス・ジョプリンは存在した。これは本当の話だ。下北沢のジャニス、本牧のジャニス、おそらくは蒲田や所沢や河原町、すすき野あたりにだってジャニスはいたに違いない。  自らそう名のった者もいれば、まわりからいつのまにかそう呼ばれていた者もいただろう。とにかく、チリチリした髪で、首飾りをつけ、しゃがれた声でしゃうとしていた女の子たちが、当時はたくさんいたのだ。  彼女たちがどう

スタンダードの詞は広くて深い。

【1989年にVIP通信でスタートした連載を原文のまま掲載】  10代の頃の僕は、バリバリのビートルズ少年だった。ある本の中で、J・レノンの「ジャズは嫌いだ」という発言を読んで、「そうか、音楽やるにはジャズなんて知らなくてもいいんだ」と思い込んでいる単純なヤツでもあった。  実際その通りで、ジャズとは直接の関わりなしに、ずっと音楽をやってきたわけだが、ここにきて、ジャズクラブに通うは、ジャズのCDは増えるは、自分でも予想外の音楽遍歴ぶりである。ましてや、自分がジャズボーカ

天国に近い世界。

【1989年にVIP通信でスタートした連載を原文のまま掲載】  古代において音楽は、療法としても使われたといわれる。神智学者で教育学者でもあるR・シュタイナーは、子供の気質を4つに分け、それぞれがバランスよく成長するために必要な音楽がある、といっている。たとえば、ゆううつ気質には弦楽器の曲を聴かせたほうがいいとか、粘液質の子どもは打楽器が向いている、などというように。  そういったことと関連するのかはわからないが、僕個人としては弦楽器の音色が好きだ。特に、人間の声域に近い

みんながそれぞれに「カッコイイ」時代。

【1989年にVIP通信でスタートした連載を原文のまま掲載】  映画の仕事をしている友人がこんなことを言った。 「どうして”セックスと嘘とビデオテープ”みたいな映画が日本でできないんだろう、って考えるんだよね」  たしかに、あの映画はよくできていると僕は思う。それに普通のハリウッド映画なんかに比べたら、とんでもないほどの低予算で作られたにい違いない。登場人物もセットも少ないのだ。にもかかわらず、最後まで観せてしまう。その力はなんなのだろう。 「たしかに、脚本もカメラワ

午睡のための極上の音楽。

【1989年にVIP通信でスタートした連載を原文のまま掲載】  なんだか知らないが近頃やたらと眠い。  最近は、家で仕事をしていることが多くて、それも夜中にやるものだから、眠りにつくのはたいてい明け方になる。  それでも、昼の12時にそこそこ元気に起き出して、食事をとるという生活をしている。ところが、夕方の5時くらいになると、突然スーッと魂が抜けたみたいになって、また眠ってしまうのだ。   30分ほどウトウトした後で目をさますと、たいていスッキリとして充実感も戻ってい

「青空」と「母」と「子ども」

【1989年にVIP通信でスタートした連載を原文のまま掲載】  昔の歌謡曲(うた)の中で、とても好きな曲がある。「私の青空(マイブルーヘブン)」という歌だ。もともとは、外国の曲だったものを日本の歌手がカバーしたものらしい。誰の持ち歌だったのかもよく知らないが、「狭いながらも楽しい我家」というフレーズなら、おそらく誰もが知っているに違いない。日本語の歌詞の結びのフレーズはこうだ。”恋しい家こそ、私の青空”「私にとっては青空と同じ」というのは、なんて素敵な表現なのだろう。  

楽しく、やがて悲しき『KALI』の音楽。

【1989年にVIP通信でスタートした連載を原文のまま掲載】   時々、小学校の校庭を思い出すことがある。僕が通っていたのは、田舎の小学校だったから、別に広い校庭のまわりに塀もなく、誰でも自由に出入りすることができた。放課後や日曜日、そこには雨が降らない限り、必ず何組かの子どもたちが遊んでいたものだった。  二百メートル走のできるトラックの内側と外側のスペースには、芝ともいいがたい背の低い雑草がびっしりはえていた。いったん、そこで遊ぼうものなら、白いズック靴には必ず緑色の

人と知り合うって、素敵なことだ。

【1989年にVIP通信でスタートした連載を原文のまま掲載】  内気な人間だから友だちができない、などという話をたまに聞くけれど、それは違う、と僕は思う。  内気な人間だからこそ、友だちが出来るのだ。正しくいうならこうだ。内気な人というのは、友だちになれない人とはつきあわない。すなわち、しっかりとした信頼関係なしには、人とつきあえないということである。逆に考えれば、その場しのぎ的で中途半端なつきあいはしないから、むしろいい友だちができやすい、ともいえる。  我ながら情け

中古ギターの数奇な運命と少年たちの話。

【1989年にVIP通信でスタートした連載を原文のまま掲載】  一度でも愛着を感じたもの、というのは、たとえ手元になくなったとしても、その行方が気になったりする。ずっと長いこと忘れていても、ふとした拍子に思い出し「ああ、あれはどこにいっちゃったのかなあ」などと思うのだ。  物持ちがいい僕にとって、その類のものは数多いが、中学3年生の時に買ったギターはあきらかにそのひとつだ。  それは、たしか従兄が質流れ品の中から探して買ってきてくれたもので、値段は3千円か4千円だったと

英語でJAZZを歌う伊藤君子は真の”歌い手”だ。

【1989年にVIP通信でスタートした連載を原文のまま掲載】  この4、5年、一時は下火だったジャズが再び注目を集めている。  その原因はいくつか考えられる。某大手企業をはじめとして、ジャズコンサートをスポンサードしたり、CMに使ったりする企業が増えたことや、美人ジャズシンガーと呼ばれるような人たちが何人か登場して人気を博したこともそのひとつかもしれない。  ジャズを下火にしたポピュラー音楽やロックが、過度の演出や、情報過多によって、密度を失ってしまったせいもあるだろう

C・ベイカーの歌から教えてもらったもの。

【1989年にVIP通信でスタートした連載を原文のまま掲載】  死んだ人のことを語るのは、ある意味ではたやすい。ほめたたえればすむことだからだ。しかし、死んでしまった人の作品に接する時、僕はいつも複雑な心境におちいらずにいられなかった。  作者が夜を去ったことで価値が出る、ということが往々にしてある。それは、その人の評価を含めて、作品が初めて客観視される、ということなのだろうか。「人間は死んで初めて完璧になる」とボリス・ヴィアンは言ったが、それは本当なのだろうか。  作

ある女の子についての架空の物語。

【1989年にVIP通信でスタートした連載を原文のまま掲載】 「出会いたい人」というリストを僕は持っている。いろんなジャンルの中で、一度話してみたい、と僕が興味を持っている人たちの名前を手帳にまとめてあるのだ。  彼女もそのリストの中のひとりだった。  幸いにも”出会えた”その女の子のことを僕はこれから書こうと思う。といっても、僕が彼女について確実に知っているのは、空を見ることと旅をすることが大好きだ、ということくらいだ。生いたちや経歴といった、誰でも調べればわかること

旧友がくれた1枚のCD。

【1989年にVIP通信でスタートした連載を原文のまま掲載】   彼が、伊集加代子のファースト・アルバム『マイ・トリビュート』を僕のところに送ってきたのは、89年の春のことだった。  伊集加代子といえば、日本の音楽ディレクターでその名を知らない者はいないほどのシンガーである。なぜ音楽番組に出ないか、世間にはその名が知られていないのか、というと、彼女が第一線で活躍し続けてきたのが、常にコーラス・シンガーとして、だったからだ。  彼女の経歴は古い。なにしろ、僕がその名を知っ