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その後の母の症状、私の将来。

この出来事から半年後か一年後だったか、母は通っていた遠方の病院に入院した。
お見舞いに行ったのを覚えている。きれいな病院で、2人部屋だった。

入院中というのもあり、症状も落ち着いていて、普通に話せた。「来てくれて、ありがとう」と言ってくれた。
相部屋の方や他の患者さんとも、それなりに仲良くしていたようだった。 

この辺りからだろうか、入院が増えていったように思う。
それまでの3〜4年に1度が、2年に1度になり、1年に1度と、どんどんペースが早くなっていった。
このころは、2年に1度くらいの時だっただろうか。 

私が25歳の時、仕事を辞めて、実家に帰ろうと思ったことがあった。

なぜなら、その時の母の症状は、かなり大きく激しかったからだ。

でも、あれほど田舎には帰りたくないと思っていたのに、なぜかその時は、もういいかなとだいぶ踏ん切りがついていた。

この時、母の症状を心配して、いつもとは違う病院で診てもらうということで、親戚の叔父や叔母が来ていた。 

そして、その時に、田舎に帰ろうと思っているということを叔父や叔母たちに伝えた。
すると、「あんたはいずれこの家を出るんやから、そっちでいい人、探し」と言われた。
そして、父にもそう言われた。
何か大人たちで、事前に話し合っていたかのようだった。

え?と思ったけど、あぁそうか、、とも納得もした。兄が家を継いで、私が嫁に出るというのが世間的な流れだからそうなるのか。

結局、そんな叔父たちや父の言葉もあって、私は田舎には帰らなかった。

それでも、母が心配なら帰ればよかったはずだ。

それをしなかったのは、、
やっぱり、結局は、都会の暮らしや1人がよかったのと、もう一つは、母とずっと一緒に過ごせるのかも、実は心配だった。

私が帰ることで、母が私にベッタリになるだろうとか(やはり娘とか同性だったり、兄は喋らない方だから私のが話やすいとか)それで私も気に病まないだろうかとか。
少し距離感がほしい、離れて暮らして月1会うくらいの今の生活の方が、正直、気が楽だったから。

しかし、こんな流暢なことを言えるのは、父と兄が、実家でずっと母を見てくれていたから言えることだった。

実は近所のおばさん達から「娘なんやから、あんたがお母さんの世話せなあかんねんで」と、会うたび言われたこともあった。  

これと同じ言葉を、父と兄から言われても不思議ではなかったと思う。

しかし、父と兄は「あんたの好きにしたらいい」と言ってくれた。

この言葉の裏には、いろんな思いがあるのかもしれないけれど、私はそれを受け取った。

本当に、父と兄には感謝しかなかった。

こうして私は、その後も、実家に帰って暮らすことはなかった。






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