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共感、境界線とか。

私は、人に共感して人に寄り添える人間だと思っていました。

それが自分の強みだと思ってた。

asc蟹座っていうのもあるからかな。

ちょっとしんどい家庭で育ったりして、人の辛さみたいなのはわかる気がして、それを糧に、そうか、ツラいんだねと、共感して励ましたい、それが得意だと思っていた。

人の話を聞いてあげる。

時には相手の話をまとめて、だからこう思ったのよねとか、それはなぜそう思ったの?と質問して深掘りしたり、結果、相手は私ばかり喋ってしまったわ〜ありがとう〜となって、私もうれしかった。

けど、これは続かなかった。

相手がどんどん話してき過ぎて、私の方の話はあまり聞いてくれなくなっていった。(これは一部の友達のことで、ちゃんと私の話を聞いてくれる人もいます。こういうところで友達関係って変わりますね)

しんどくなってしまった。。 

これは、相手がわるいというより、こちらが親身になりすぎた、共感しすぎたのかなと思った。

別にカウンセラーでもないのに、カウンセラーみたいに話して共感できる自分が好きだっただけなのかも。

この友達たちも、決して横柄な人ではないし、節度のある人たちだ。

少し言うなら、あまり興味ない他人の話はそんなに聞きたいと思わないタイプの人かもしれない。でも、そういう人だっているし、それがわるいとも思わない。 

或いは、私の話や話し方がよくなかったのかも、とも思った。

でも、私の話がどんなにしょうもなくても、話し方が下手くそでも聞いてくれる友達もいる。

だから、私がわるいとかでもないんだとわかったし、まぁようはtalkのウマが合うか合わんかっただけのことなんやなとは後々わかったんやけど。


で、なんやったか。

共感とか境界線とか。  

共感できることって、大事なことではあるけれど、共感しすぎるのは、やっぱり違うと思った。

ある時、スピリチュアル関連で、エーテルコードカットというのを知って、なるほどなぁと腑に落ちた。

これは、自分の周りについてる他人と繋がってるエネルギー?みたいなのを、天使さんにハサミ✂️で切ってもらうイメージをするというもの。自分の身体の周りをジョキジョキ✂️して、他人との余分なエネルギーの繋がりを切り離すのだそう。

日常で、私たちはいろんな人と関わって気にかけて、他人の問題まで自分のことのように考えたり、心配したりして繋がっている。その繋がりのエネルギーを切り離すことによって、他者との境界線を引く、自分自身に戻る、という効果があるそうだ。

そういうイニシエーション?があると知って、やはり、いろんなことはあるけど、全く1人の自分自身に戻るって大事なことなんだと思った。 

例えば、いくら我が子であっても、別々の人間な訳で、あまりに心配し過ぎたりして一心同体みたいになりやすいけど、そういうのをリセットする、他者の問題まで取り込まないようにするみたいな。

いくら心配とか他人の問題を抱えすぎても、結局はその人が決めることやし。

手を差し伸べることは大切だけど、全部引き受けるのは違うし。

で、ここ最近、共感についてのメッセージをよく見るようになって、やっぱりそうなんだなって納得するようになった。

自分の問題と他人の問題は別のもの。

なのに、なんか悩んでるうちにくっつけて無駄に悩んでたりって今まで多々あった。

共感は大事だけど、入り込み過ぎはやっぱり違うみたい。

まぁなんでも、やり過ぎはよくないってことかなぁ。中庸ですなぁ。

でも、1人1人、別々に、自分は自分として存在する方がスッキリとして気が楽だ。

その上で、他者と共感したり、分かち合ったりできたらいいなって思う。










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