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【CD感想】「メディテーション」 アンドレアス・シュタイアー(チェンバロ)

 レビューではありません。感想文です。(全部で3,500字くらいです)

 ドイツの鍵盤奏者、アンドレアス・シュタイアーの新譜「MÉDITATION」を聴きました。CDの帯には「チェンバロによる瞑想」という副題がついています。2022年の録音で、レーベルはALPHAです。

 曲目は次の通り。
1. フィッシャー:《音楽のアリアドネ》より 前奏曲とフーガホ長調
2. フックス:『パルナッソス山への階梯』より フーガ
3. フィッシャー:《音楽のアリアドネ》より 前奏曲とフーガ嬰ハ短調
4. ルイ・クープラン:パヴァーヌ嬰ヘ短調
5. フィッシャー:《音楽のアリアドネ》より 前奏曲とフーガニ長調
6. フローベルガー:リチェルカール第4番
7. フィッシャー:《音楽のアリアドネ》より 前奏曲とフーガイ長調
8. フローベルガー:来たるべき自らの死についての瞑想
9. フローベルガー:ファンタジア第2番
10〜15. シュタイアー:アンクランゲ〜チェンバロのための6つの小品
16〜17. J.S.バッハ:《平均律クラヴィーア曲集第2巻》より前奏曲とフーガホ長調BWV878

 このアルバムでは、フィッシャーやフローベルガー、J.S.バッハなど17〜18世紀の作曲家の他、シュタイアー自身の作品が収録されています。シュタイアーは以前ヴァイオリン協奏曲(モーツァルト)のカデンツァを作曲したことがあり、私はイザベル・ファウストのCDで聴いたことがありますが、鍵盤作品を聴くのは初めてです。

 CDの最初の曲は、フィッシャーの《音楽のアリアドネ》より前奏曲とフーガホ長調。このフーガのメロディ、バッハの《平均律》で聴いたことがある!と思ったら、アルバムの最後はまさにその曲。BWV878のフーガにその旋律が出てきます。なかなか気の利いた構成です(私はこのフーガを聴いていると、どこか高いところを憧れをもって仰ぎ見るような心持ちになります。とても好きな曲です)。
 このような主題の引用にみられるように、J.S.バッハはフィッシャーの《音楽のアリアドネ》からいろいろと影響を受けているそうです。前奏曲とフーガを組み合わせた《平均律クラヴィーア曲集》を作ったのもフィッシャーの影響あってのことでしょう。このアルバムには《音楽のアリアドネ》から全部で4曲が収録されています(このCDの1・3・5・7曲目)。
 この他の17〜18世紀のチェンバロ曲もどれも私の好みに合い、聴いていて嬉しくなります。
 楽器はハースのレプリカ。華やかで朗々としたサウンドです。L.クープランやフローベルガーのややメランコリックな曲も、この楽器でシュタイアーが弾くとポジティブな感じに聞こえ、心が慰められます。

 ところが、シュタイアーの自作曲《アンクランゲ》が始まった途端、「えっ」と思いました。アバンギャルドな響きが衝撃的です。不協和音だらけでいかにも「ゲンダイオンガク」という感じです(作曲年は2020年ですから、現代音楽には違いないのですが)。
 これまでのシュタイアーのレパートリーは前期ロマン派以前の音楽が中心でしたし、チェンバロという古風な楽器からこのような前衛的な音楽が出てきたので、私はすっかり面食らってしまいました。
 アルバムの最後で、耳に馴染んだバッハが流れてきて、ちょっとホッとした気分になりました。

 それにしても、シュタイアーはなぜこのようなアルバムを作ったのでしょうか。その意図が知りたくなりました。
 ライナーノートにそれが書いてありそうです。でも、あいにく日本語解説はついていません。恥ずかしながら私は外国語がほとんどできませんので、スマホの翻訳機能を使いながら英文の解説を読んでみることにしました。
 ライナーノートはシュタイアー本人が書いたようです。スマホが翻訳してくれた、いささかぎこちない訳文から意味を正しく読み取れたかどうか自信がありませんが、だいたいは理解できた気がします。

 このアルバムは、収録曲相互の影響関係を軸に成り立っているようです。
 とりわけ鍵となっているのが、《平均律クラヴィーア曲集第2巻》BWV878にある、2つの音型です。ひとつは、前奏曲の冒頭の4音(E-B-C♯-G♯)。もうひとつが、フーガの冒頭の6音(E-F♯-A-G♯-F♯-E)です。

 前者の音型はこのCDの7曲目の主題を形作っている他、この4曲目と8曲目でも重要な役割を果たしているそうです。
 ちなみにこの音型は、バロック音楽初期からいたるところで使われてきたらしいのですが、有名なところではベートーヴェンのチェロ・ソナタ第3番の冒頭の他、ワーグナーの《パルジファル 》の鐘の音として移調された形で使われているとか。私はベートーヴェンの方はすぐ思い浮かびましたが、《パルジファル 》は未聴。きっとワグネリアンであれば「ああ、あれね」とすぐにわかることでしょう。

 後者の音型はこのCDの2曲目、6曲目および9曲目でも使用されているそうです。
 この音型はグレゴリオ聖歌から引用されたもの。ジョスカン・デ・プレのミサ曲《パンジェ・リングァ》ではこの聖歌のメロディを定旋律としていますし、この音型の最初の4音を移調したものがモーツァルトの交響曲第41番の第4楽章でフーガの主題となっています(「ジュピター 音型」という言い方を聞いたことがあります)。

 そして、シュタイアーの作品は、6つの和音に基づいて作曲されているのですが、それらの和音には上記の2つの音型が何らかの形で含まれているそうなのです。これらの音型以外にもBWV878にちなんだ部分があるといいます。

6つの和音(ライナーノートから)

 シュタイアーの作品にはドイツ語でAnklänge(アンクランゲ)というタイトルがついています。アンクランゲには、「こだま」や「余韻」といった意味があるそうです。シュタイアーが作品にこうしたタイトルをつけた理由はわかりません。でも私は、このアルバムの鍵となっている音型(やその他BWV878からの断片)がシュタイアー作品にもこだましている、というふうに解釈しました。

 シュタイアー作品には対位法の技法もいくつか用いられていて、拡大カノン、反転カノン、蟹のカノンといった手法が使われているそうです(これがカノンであるとは、聴いていて全くわかりませんでしたが…)。
 フックスの『パルナッソス山への階梯』は、対位法の教本として有名ですが、シュタイアーがあえて対位法を用いて曲を書いたことにも大きな意味がありそうです。

 シュタイアーは6つの小品からなる《アンクランゲ》の最後の曲について、「バッハへの愛の告白としても、一種の個人的な日記とも考えられる」と述べています。
 それが具体的にどういうことなのか、作品を聴いてもよくわかりません。でも、シュタイアーの曲に続いてバッハの作品でアルバムが締めくくられた時、すべてがここに帰結したような印象を受け、深い感慨を覚えました。
 バッハがフィッシャーらの作品を通して得たものは、バッハに通じたシュタイアーにも受け継がれたことでしょう。それを現代の音楽作品として響かせることが、シュタイアーなりのバッハへの「愛の告白」でありオマージュだったのではないか、と私は勝手に想像しています。

 正直のところ、シュタイアー作品の大部分は耳に心地良い音楽ではありません。また、ど素人の私には、耳で聴いただけではカノンなどの音楽の構造はわかりませんし、シュタイアーが凝らしたであろう数々の工夫にもほとんど気づけなかったと思います。
 たぶん、シュタイアーの作品にしても、このアルバム全体のコンセプトにしても、ある程度作曲法を知っている人が楽譜を見た時にはじめて本当の面白さがわかるものであるような気がします。

 でも、このアルバムはそういう難しいことを考えなくても情緒的にはけっこう楽しめました。17〜18世紀の鍵盤音楽はもともと好きですし、私には聞きづらかったシュタイアー作品の中では5番目の曲がわりといいなと思いました。細かく反復する分散和音?が少しずつ変容していくところに面白みや抒情を感じます。

 このアルバムには「瞑想」というタイトルがつけられています(おそらく8曲目のフローベルガーの作品からとられたのでしょう)。このタイトルからいろいろなイメージが思い浮かびます。音楽の雰囲気、シュタイアーのバッハへの想いetc…。それに、数百年の昔に作られた旋律の断片が、時を超えてあちこちの作品でこだましていると思うと、それだけでなにやら瞑想的な気分になってきます。

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