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書きたかったのに、書けなかった日々🌏

2022年7月から更新しなくなったnote。
それがどうにも気掛かりで、嫌で、嫌で、仕方がなかった。

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ここ2年弱は何か書かないとと思い、焦っては、定期的にPCの前に向かい続けた日々だった。

毎度キーボードに指を置き、思いついた言葉を入力してみる。

けれど、書いても、書いても、書いた物を一晩寝かせ、読み直し、書き直し、頭を抱え、もういっそのことと思いデータを全て削除し、一から書き始めても、どうしても自分の文章が無駄で、ゴミで、駄作で、価値のないものに見えてしょうがなかった。

何も書けない。書くことがない。

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……嘘だ。


本当は書きたいことも、伝えたいことも溢れるほどあった。
携帯のメモ帳にはいつも無数の下書きが存在していたし、リマインダーには未消化のテーマリストがタスクとしてズラリと連なっていた。

それでも雄弁に文章が書けるのは細々と続けてきた日記帳の中までで、人の目を意識するnoteとなると途端に書けなくなる。

著名人でもあるまいし、読まれる人なんてたかが知れている人数だ。

それでも、読まれるからには、ちゃんと読んでよかったと思ってもらいたい。さらに叶うであれば、その上でコイツ賢いなとかセンスいいなとまで思われたい。

つまらないだとか、滑稽だとか、ダサいだなんて、死んでも思われたくない。そんなことを思われた日には、全身の毛という毛を引きちぎるくらいの拒否反応を起こす気がするし、普通に吐く。というか、すでに考えるだけでも、胃液が喉元まで上がってきている。

願望とプライドだけは、一人前に肥大していた。

ただ、そんなことを意識してしまうほど、文章は”なんかイイカンジ”になってしまう。挫折したけどそれが今の自分に繋がっている的な、色々あったけどそれもまた一興的な、なんだかんだで一種の悟りが開けちゃいました的なカンジ。

そうやって、画面上で美化されていく自分の文章に反吐が出る。

凡人の”なんかイイカンジ”を読んで誰が嬉しいのか。自分が恥ずかしい。駄作しか書けない自身の浅はかさ、感度の低さ、技術力のなさに、人としての自信を失う。苦しい、辛い、情けない、全然楽しくない。

ならば、なぜ私はそれでもまだ書こうとしているのか。

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本当に向いている分野なら、努力も苦しくないと聞いたことがある。となると、文を書くだけでここまで鬱々できる自分は全く向いていないことになる。

それでも、改めてnoteに投稿しようと思った理由は、書く苦しみより、書かない日常の方が苦しいと思ったからだ。本音なら私だって楽しく、楽に生きていたい。だが、今のとこ私が行ける範囲にはそれなりの地獄しかなさそうなのだ。

こうなればもう私は自身の中途半端さに、下手さ、不完全さにほとんど反吐が出るとしても、それでも粛々と続けていくしかない。刑期が終わるのが先か蜘蛛の糸が垂らされるのが先か、はたまたそのどちらもないのか。先のことはわからなくとも一旦はまた腹を括るしかない。

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君のいない天国よりも、君のいる地獄を選ぶ。

スタンダール(18~19世紀フランスの小説家・批評家、1783~1842)

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12月31日中にかき切ろうと思っていたのに、既に1月1日になってしまった。なんなら休み休み書いているので、もう12月31日よりも1月2日の方が近い。

書くことがこんなに時間がかかるとは、久々に思い知らされた感じがするが、やってみて悪い気はしない気もする。

それでは、今年もなにかしら良き文章を書けますように。

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以下蛇足。

ここまで読んでくれて、共感し、何かしらはじめてみようかなと思っている人、そんな人がもしいるのならば、ひとつお願い事をしてみてもよいでしょうか。

挑戦する内容を私に教えてほしいのです。場所はここのコメント欄でも、XのDMでも可、はじめる時期も連絡のタイミングもいつでも可。挑戦ごとのジャンルは問いませんし、事の大小も問いません。別にやりきれなくたって構いません。私もやり切れるかわからないですし。

ただ、私は折角ならあなたのことを少しでも知りたいなと思い、こんなお願いをしてみました。あならも折角ならと思ってもらえるのであれば、教えてくれると嬉しいです。

いつでも待ってます。それでは、また。

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