「文字を使わない情報伝達」達から感じる、新しい常識と世界の形。
駅の広告が動画になったり、ミニマル志向のシンプルなデザインの広告が多くなったりと、近年の広告は文字よりビジュアルが意識されてきたように感じる今日この頃。
デザインは、言葉より雄弁に語ることができるのかはわからないが、「文字を使わない伝達方法」というものは結構素晴らしいのではないかと思う。
先日、『茶の菓』というお菓子をいただいた。
そこで見つけた「文字を使わない伝達方法」
これは「口溶けのチャート図」というものらしく、食感や味、香りを図で表現している。”サクッ”がとんがった形なのは、何となくわかる気もする。しかし、”パリッ”ってはたしてそんな形なのか?
いろいろ思うところはあるが、長々と言葉で説明するより、もしかするとこのほうがかえって分かりやすいのかもしれない。
似たような例として思い出したのだが、「絵字幕」が少し前に話題になっていた。
これこれ。
劇中に登場する歌の字幕を絵で表現するという試みが、新しいと話題になっていた。この絵字幕は、小指(小林紗織)さんが「スコア・ドローイング」という技法で描いているそう。
これがきっかけで彼女の作品をいくつか拝見した。どれもかなり抽象的ではあるが、音楽をこんな形で見て楽しむというのは私にとって新鮮で興味深かった。
もう一つ、最近気になっている図形譜についても少し触れておこうと思う。図形譜とは、モートン・フェルドマンが発明した、自由な図形、テキストなどを用いた楽譜のことである。
もうこれ絵だよねと思うかもしれないが、これは楽譜だ。
口溶けチャート図、スコアドローイング、図形譜といった、「文字を使わない伝達方法」という新しい伝達方法に、私が密かに期待していることがある。それは、「人々が共感しようと歩み寄るキッカケ」になるのではないかということだ。
個人的に、文字と比べ、絵というものには特定の意味は存在しないと思っている人が多いように思う。
そのため、人によって捉え方が異なるという認識が私たちのなかに自然と生まれ、絵について話すときは、個人の解釈の違いに寛容になりやすいように思う。
しかし、実のところ言葉や文字も伝達方法としては不完全な存在なのだ。
例えば、LINEやメールに絵文字がついていないだけで、受け取り方に大きなズレが生じる。
きっと、私たちは文字の伝達能力を過信しすぎているのだ。そのため、言葉や文字の捉え方のズレに気付かず、すれ違いが生じてしまう。
この「文字を使わない伝達方法」は、良い意味でも悪い意味でも文字のように断言的ではない。この伝達方法は不完全であり、その状態が当たり前になるのだ。
不完全な情報を完全にするためには、どうしても主観的な解釈で補う必要がでてくる。つまり、完全な情報は一人一人異なっているのだ。
もし、「文字を使わない伝達方法」が当たり前になったら。
解釈した情報に一人一人の差異があるという認識が常識になれば。
私たちは自然とその差異を埋めるため、理解し合うため、お互いに歩み寄ろうと対話を始めるのではないだろうか。
これは、あらゆる人が共存し、その結びつきが強くなっていく世界の中できっと大切なものになると思う。
そんな日を願って、今日も私は図形譜や広告に思いをはせる。
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