1人で生きていきたいわけではないよ。

この曲をご存知だろうか。

ハロープロジェクト(通称ハロプロ)所属Juice=Juiceの新曲(6/5発売)『「ひとりで生きられそう」ってそれってねぇ、褒めているの?』だ。久々に今の心境と重なる歌詞に遭遇し、いても立ってもいられずキーボードを打っている。

「1人で生きてけそうだよね」とは友人に何度も言われ続けてきた。そんな私は現在三十路を少し過ぎたあたり、もうすぐ誕生日を向かえ更に歳を重ねようとしている。

アラサーと呼ばれる年頃も卒業王手、仕事も勤続10年を過ぎた。社内評価はそこそこだけど、プライベートとの両立はバランスよく保たれているし今のところ現状に不満はない。お給料もそれなりに頂いているので貯蓄もでき、自分1人で生きてく事は問題なさそうだ。
それだからなのか、結婚願望が年々なくなっている。
それに伴う恋愛も婚活も、もはややる気がない。
デートに費やす時間ももったいなさすぎるし手を繋いでどこか行くイチャイチャも何かキツい。
昭和生まれが平成の世で結婚できないまま令和を迎えることを平成ジャンプと言うらしいがその意味通り軽々と平成の世をジャンプした。


・気付けば見下していた女子達の方が立派だった。

友人達に「1人で生きていけそう」と言われ続けていた20代後半。まだまだそんなの自由に言わせておけばいいや、という余裕ぶっていた私の周りにも結婚ラッシュが来た。当時私には付き合っていた人もいたし、自然とその波に乗れるものだと思っていた。でもその人とは大失恋。それからは思うようにいかず、焦りばかりが行き交い気が付けば歳ばかり取っていた。

友人には本当に申し訳ないが、正直に言ってしまうと結婚の報告をもらう度にナイフで突き刺されたように胸が痛く人知れず泣いた事もあった。心の底から「おめでとう」と言えた友人の数は2人くらいだ。
結婚式の招待状が届く度に惨めな気持ちになったし
結婚式で久々に会う既婚の友人からの「最近はどう?」という問いかけに「何もないよ」と答えるのもしんどかった。かと言って婚活してたのかと言われればしてないので当然なんだけど。

またラッシュ後半になるとあの時結婚式の主人公だった友人が今度は共通の友人の来賓の1人として同席する。そうなると気が付けば既婚同士の集まりに段々なっていき、話の話題はもっぱら子供の話で盛り上がっていた。
未婚のわたしにはもはやついていけないママ友の世界がそこにあった。アイドルに夢中になっている自分が何だか虚しく思えた。

20代のうちに呼ばれる結婚式は出会いの機会を得るお祝いの席でしかなかったけど
30代に入って呼ばれる結婚式は上記の世界が出来上がっていて地獄の席と化していた。
おめでたい気持ちを抱きながらも内心鋭いナイフで何度も突き刺されている感覚だった。
そしてそんな事を思ってしまう自分が最低だなと更に自己嫌悪に走った。
こんな正直な思いはとてもじゃないけど過去に結婚式に呼んでくれた友人達には見せられない。我ながら性格悪いなと思いながらもこの記事を書いている。

『少しヤワな子ばかり幸せを手にしてく』

まさにこの曲の中に出てくる歌詞その通り。

学生時代、「あの子よりかは自分イケてるだろう」だなんて心の何処かで見下していた彼女達より自分の方が実はイケてなかった事に気付かされた時は唖然とした覚えがある。
それなりに美意識持ってたしお洒落にも気を使ってたし仕事もポジションもらって頑張ってるのに何故って。
まぁそう思う時点ですごい失礼な事思ってたんだなお前、って話だけど。
そんな彼女達の方が自分がより立派に見えた。負けたって思った。

「結婚出来ない女は負け組」
「子供を産まない女は負け組」
「彼氏がいない女は負け組」


そもそもここまで嫉妬心と焦りに振り回されたのは私の中に根付いている上記の概念のせいだと思う。
今の私はそんな概念の中で言うと全部に当てはまる負け組。
彼氏もいない、結婚もしない、子供もいない
女として難あり商品だ。
また幼い頃より「結婚は誰しもするものだ」という刷り込みにより
「結婚していない人間はダメな人間」という考えも持っていた。
結婚しているはずの自分が「結婚していない人間=ダメな人間」の中にいる。大きな誤算だった。

焦る日々が続いた。

親からも結婚しようとしない事を責められ孫が欲しいとヒステリー気味に言われる日々もよりわたしの焦りに拍車をかけた。

・賞味期限が過ぎたとわかり色々考えてみた結果

焦りから無我夢中に行動に移した事もあった。婚活パーティに出席しその中で出会った数名と付き合ったが相手の思いに答える事がいつしかストレスになっていき自分から別れを切り出した。
恋愛すら長続き出来ない自分を責めた。
そんな20代後半から仕事と趣味で忙しかった事を言い訳に気が付けば30代。
資料請求してそれっきりになっていた結婚相談所の勧誘の電話すら鳴らなくなった。
あんなにしつこいくらい電話を鳴らしてきたのが嘘のよう。
おそらく年齢的に無理だと思われたのだろう。
需要はもうない事を悟るようになると
焦りは段々と諦めに変わる。 自分が傷つくであろう事から自衛するようになった。
それでも自分が後々後悔しそうだという不安を捨てきれていないわけではないので
ネット婚活だけはつい最近まで地味に続けていた。
ありがたいことに、いいねをつけてくれる方がまだいるのでそこから何人かとやり取りをして会いに行ったりもしていた。
が、何かが違う。
そこから恋愛をしようとする気が起きない。
相手を好きになってないからっていうのも否めないけど一から恋愛をする気にはなれなかった。
(いや、そもそも婚活なのに恋愛ありきで考えてる事時点浅はかなのはわかっている)


何でそこまでして結婚したいのだろう?
結婚してどうなりたいんだろう?

改めて自問自答を繰り返した。


社会に出てみるとかなり自分には世間知らずな面が多々あることを思い知らされる。
前述した「誰しも結婚はするもの」という刷り込みも恥ずかしながら間違った洗脳だったと気付かされたのがいい一例だ。
そうなると、
わたしはこれからどう生きていきたいんだろう?
そのために結婚は必要なんだろうか?
ただわたしの「結婚出来ない女は負け組」というそのカテゴリーの中から脱却したいだけじゃないか?そもそも、「結婚して子供を産み、育てる」事が立派とされる定義はどこから来た物なのだろうか?
恋愛はもうしたくないけど本気で結婚したい、と思うなら大金はたいて今からでも結婚相談所に入会すればいい。しかしそれもしようともしないのは何故か?何かとアドバイスされて好きでもない服を着て媚びなきゃいけないイメージが強いから?


お金を払ってまで結婚したいのか?
結婚するならどういう人がいいのか?明確なイメージが持てているのか?
全てに問いかけてみたけど答えは見つからない。
やっぱり私が勝手に作り上げた「負け組」から抜け出したかっただけなんだと思う。皆と一緒のフィールドに立ち、旦那さんや子供の話題で盛り上がりたかっただけ。
自分の為じゃなく、体裁の為だったのではないだろうか。
心の底から結婚したくてしょうがないわけじゃない。
わたしが今欲しているのは多分「自己実現欲」と「自由」。そして旦那さんや子供というよりかは「自分を理解してくれる人」の方が隣にいてくれると嬉しい。うん。恋人でもなく旦那さんでもなくパートナーが欲しい。


そうかもしれないと薄々思いながらも確信を持つことが怖かった。
ようやくそれを認めてもいいのではと思えるようになっておそらく3年くらいは経っていると思う。長い年月掛けてしまったものだ。
認めだしたらパタリと焦りは消えていった。
婚活アプリも退会した。

会う人、会う人既婚者ばかり、結婚する気がないと言っておきながら結婚出来た!と喜びの報告をしてくる人を見ると心がザワつくことは今でもあるし
子供出産しました、結婚記念日でしたの報告を見るとマウント取られたって思う。でも自分とは別の道を選んだ人、という認識を心がけてみたら少し落ち着いてきた。

当時、結婚式の席で醜い嫉妬心に駆られてしまっていたことを本当に申し訳なく思う。
一種のアラサー病に罹患していたのだと弁明したいがそれだけ自分が見えていなかったのだ。余裕がなさすぎた。

「強がり隠す弱さ誰か見抜いてよ」

でもこの気持ちがないと言えば嘘になる。

結局は結婚出来そうにない自分を守る為の強がりでそう思うようにしているだけかもしれない。それは否定しない。矛盾だらけだ。一体何が正解だと言うのか。

そんな矛盾している私を異性でも同性でも、不器用に生きている人間だと笑って理解してくれる人が隣にいてくれれば「今」はそれで充分。

1人で生きていきたいわけじゃない。けど焦ってまで相互理解が出来ない人と一緒になるのは違う。それだけは間違いなく本心だ。なのに他の人を見ると焦る。他人軸で自分の生き方を評価してしまってるから?

もう、色んな矛盾や不安を越えて悟りの境地になれたらいいのに。
何が正解なのかは自分でもよくわからない。時に後悔の渦に悩まされる時もくるんだろう。
だけどどんな選択をしたにせよ、その責任を持てる大人でありたい。その選択に対してブレない人間でありたい。要は自分に自信が欲しい。

「ひとりで生きられちゃうの」それは素敵なはずでしょう?

そして私も胸張ってそう言える人間でありたい。

でもやっぱ不安だからわたしの未来を誰か教えてくれ!! 笑

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