名古屋駅まで三泊四日の時間を使い歩く 三日目(米原〜大垣編)

米原の宿を出た時は、山々を朝霧が覆っていた。気温はそれなりにあった。されど風は、昨日程は吹いていなかった。空の方は、昨日と比べると断然雲が薄くなっていた。どんどんと晴れてゆきそうな空であったと言っていい。正直、この旅での精神的な負担は一日中雨であった昨日が一番大きかったと思う。

昨日は雨の影響でしっかりと顔を上へ向ける事が出来なかったが、こうやって雨が上がって顔を上へ向ける事が出来るようになると、改めて、一部の木でもう紅葉が進んでいる事がわかった。道端に落ち葉も随分と落ちている。しかし、そんな晩秋を思わせる風景であったが、雲が晴れると共に気温が徐々に高くなってゆき、数週間前のような気温になった時間もあった。朝、と呼べる時間が終わった頃には、もうすっかり秋晴れであった。

関ケ原を目指して、醒ヶ井、柏原、と少しずつ山を登っていった。流石に、中山道、国道21号線、更に、勾配に弱い鉄道の路線である東海道本線、東海道新幹線、これらの交通の大動脈が何本も通っている場所なだけあって、登る、と行っても勾配は然程急では無い。少なくとも、息がゼイゼイとなるような事は一度も無かったと言ってよい。民家も多く、何か危険な事があればそこへ駆け込めば良いとも思った。少々心細かったのは、コンビニが大変少ない事だけであった。しかしコンビニも、無くは無いので結果的には不便をする事は無かった。

それはそうと、民家、と述べたが、何も気にする事無く思う事を言うと、こんな山奥の場所で、どうやって人間らしい生活をしているのだろうかと、大変疑問に思った。何せ、前述の通りコンビニもほぼ存在しないし、スーパーマーケット等存在もしない。そりゃあ当然、生協に頼めば食品は購入可能だし、インターネットを使えば、何でも揃えられるだろう。しかしそれでも仮に生協に頼んで食品を購入しているとしても、週に一度食品が届くならば、次の配達日まで食品を備蓄しておかねばならない。私は食品の備蓄が云々とか、そんな事を考えて生活をした事が無い。恐らく、父も母もそんな生活はした事が無い。現に民家が何軒もあるのだから、そこには生活がある事自体は容易に確認出来るのだが、その生活は我々都会の人間とは随分違うのだろうと、何かと具体的に、感じさせられた。と言うよりそもそも、私は都会人であったのだと確認させられた。

そうこうしていると、前方から少しずつ山が消えていった。道も何時の間にか下り坂になっていた。『誰々が陣を張った場所』とかそんな看板が至る所にある区間を通り過ぎると、今度は愈々前方から山が見えなくなった。見えていたのは広い空と、四方を山で囲まれた近江では考えられない大平野であった。この大平野の中にある街は、私の属する文化圏とは大きく違う文化があるのだろうと思った。いや、それは当たり前なのだが、そんな場所にまで自分の足だけで辿り着いたと云う事実が、私には重かった。その昔は一日に何人もの人がこの関ケ原を歩いて下り、こうやって濃尾平野を眺めていたと思う。されど現代人は、きっとこの景色も気持ちも忘れている。そんな景色を私は見て、自然と頬が緩んだ。私にとっては少なくない金額を消費して、この旅に出ている。されど、この大平野の景色をこの様な気持ちを抱えて眺められたのなら、それは物凄く価値のあるお金の使い方だと思った。

それから二時間程歩いただろうか。結局、無事に今日の目的地である大垣駅に到着した。明日は愈々クライマックスだ。かなりの時間を歩いているはずなのだが、時間の進みが早くて仕方が無く、もう旅も後半の半ばかと思うと違和感が大きい。

おまけ

この景色の本当の良さは、この峠を下った者にしかわからない

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