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一周忌に寄せて

1年前の今日。Twitterで知り合った、ある方が亡くなったと聞いた。

聞いた、というのはその方のことはTwitterでしか知らず、本名も顔も声も知らず仕舞いだったので事実はすべて伝え聞いたものに過ぎないから。

noteのヘッダー画像が見切れてしまったが、このイラストはTwitterのフォロワーさんが描いてくれたファンアート。たまたまその中に彼の姿があった。

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今日この記事を書くにあたって頭をよぎったのは、この記事をTwitterに流すべきかどうか。

死は人によっては重く、忘れることでしか辛さを癒せないこともある。

命日を忘れていて罪悪感を覚える人もいるかもしれない。


ただ、僕は書きたかった。

記憶力が良いのは単に自分の特技であり、忘れずにいたことを誇るつもりはない。

忘れてない。覚えている。

そのことを文章として形に残す。

それをただ自分がしたかっただけのこと。

必要以上に影響を気にしすぎるのはもう辞めると決めた。


彼の場合は代理の方が逝去をツイートしてくれたから知ることができたが、終活としてアカウントを削除する人や、何年も更新がない人の安否を知る術はない。

たまたま逝去の事実を知ることができたから印象に残っているだけなのかもしれない。

それでも1年が経って記憶に残っているということは、それだけ自分にとって大きな存在だったのだと思う。


Twitterも更新がないアカウントの存在をずっと残してくれるかはわからない。

いつかアカウントが消えてしまったときや、他のSNSに移行したら記憶から消えてしまうかもしれない。


それでも一周忌まで忘れなかったこと、そのことを書いた事実は消えない。

また来年も思い出せますように。

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