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めっちゃすごいことに気付いた…。

いやあの、前記事の続きのようなそうでないような、あれこれ商業漫画ツイート周りの反応をよくみてるんですけど、いや自分も曲がりなりにも同人屋なのでマンガや絵のツイートはよくやるので、読みやすさやちょうどいいページ数は気になるし、それと基本は同じようなことをものすごい規模でやってるわけで、正直結果や周囲の反応含めてすごく興味深いんですよ。

前回の記事は「そこは最低限押さないと将来やばいよ」という観点からでしたが、じゃあそのラインは押さえたうえで、次に何を乗せればいいか? ちゃんと読みたい人のもとに届けるには? ごちゃごちゃ解説や注意書きつけてもかえって本題を見えにくくするし、なにをのせてなにをのせないほうがいいのか? というのはよく考えています。

そんで本題なんですけど、「あの形式だと、読み始めてもそこで完結してるかわからないからちょっとね……」という意見みて、おや? と思ったんですね。

自分にはない観点だったのと、あとこの視点を逆算すると、今の世の中って「これを読むにはだいたいこれくらいの分量だよ、という情報を暗に含んで流通している」(から、その情報がそがれると見当がつきにくい)のでは!? と思いついたわけですね。

周囲を見回してみれば、映画や舞台はあらかじめ上映時間や開始~終了時刻の掲示があるし、本であればページ数や巻数といった形で「これを始めてから終わるまでこのくらいです」という情報が、こちらが意識するまでもなく提示されている……!

雑誌掲載においても、「新連載第1話!」なら「この先にまだ続きがあるんだな」だし、「フレッシュ読切!」なら「この話で始まって終わるんだな」だし、「連載第〇回目!」なら「この話には前提があるんだな」だし、「最終回!」なら「これまでに話があって、この話で終わる」ってわかるわけで。なんならこの情報って絶対扉なりバナーなりにおいてある……! これまで全く意識してなかったけどすごい作用を持っている言葉群だ!

ということに気付いて、商業漫画メディアってよくできてるんだなあと感心しているところです。

例えば、単行本全〇巻と示されている作品がそこにあった時、その全〇巻という表示をみれば「〇巻分を読めば一編の物語が始まって終わるのだな」とわかる。

けれど、よくある商業漫画ツイートはおおむね単行本全〇巻の第1話、つまりは一編の物語の中の小節であることが多いわけで。そこで、小節としての分量は「1/7ツイート」という形で示されても、「一編の物語の中の」に相当する部分は示されない。

仮に全7ツイートで投稿される中身が連載作品の第1話だった場合、一編の物語としては絶対に終わってないわけじゃないですか。

せいぜいで、成り上がり願望のある少年が、ついていこうとした海賊のあんちゃんに命がけで助けられて無力感を覚えた過去から、身体鍛えて大人になって村を出るまでですよ。これを一切の前知識なく読んだら「お前まだ海賊王になってないやんけ!」とつっこむこと必至。いや、今もまだなってないけど。

それらの情報が必ず付与されるメディアで展開されていた物語が、その効果の及ばない場所であえて情報を一切そいだ状態で展開したところで、読み手からすれば情報不足に陥るのも当然で。この不足を起こしている投稿をいくらかみて「読み始めてもそこで完結してるかわからないからちょっとね……」が生じるのもなるほど理解できる。

今回は長さだったけれど、きっとアレが足りない、コレが足りない、でもこれはここでこそ付与されたということが、もっといろいろあるんでしょう。

前提がまるで違うメディアで新しく流したことで、かえって既存メディアの特徴がみえてくる……というのは、副作用とはいえなんだか興味深い現象だなあと思った次第でした。

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