本棚と電子書籍と私(作り手も読み手も)

電子書籍が普及しつつある昨今、それは「電子書籍ストアのアカウントとリーダーを持ってる人が増えている」であり、同人誌もその「本棚」の存在は今後意識せざるを得ないだろうと、一読者として実感しています。

作り手が望むと望まないとに関わらず、読者の手に渡った本が最後に納まる場所として、「部屋の中の本棚」に加えて「電子空間の中の本棚」の重要性がどんどん増えていっているわけです。家にある本棚に納まる程度に本を買うように、電子空間の本棚に納めることができる本を買うという選択肢が、読者の中に芽生えている。これは読者・消費者の私的空間における選択であって、作者・生産者がどうこうできるものではありません。

特にプロでも何でもない、ピコ手同人屋が電子書籍を出版して1年経った

これは先日自分で書いた文章ですが、「電子書籍(もしくはあらゆる新興媒体)を介した消費者と生産者」の関係の芯に思わず触れたのではないか、と感じています。

問題意識としては以前書いた「「即売会というメディア」について考える」に近いものがあるかも。

「同人文化は焦る要因がいまのところない故に、現状維持の傾向が強い」的なことを前回書いたばっかりなんですが、その理屈なら、文化の在り方を根底から揺るがす、焦りが生じる状況があれば新興メディアが急速に普及する可能性はあるだろうなあと考えたりします。

最初の文章が生まれた背景として、うちみたいなペーペー同人屋がこのタイミングで電子出版する数値的利点やメリットってほぼないんですけど、それでもなんで出版しようと思ったのか、と深く掘り下げて考えていて。

商業市場において電子書籍が普及するということは「電子空間に本棚を持ってる人が増えてる」ということであり、「この本棚に収まる形であの同人誌も欲しいなあ」という需要も、日に日に増えているんだよな……という内なる読者の私が囁いたからかも、と思っています。

そういう需要は、売上や読者数といった塊のある数値として目に見えるほどではないにしろ、水面下では着々と積まれている実感は、やっぱりあります。

これから電子書籍が普及したとして、紙の本の、物理リーダー端末としての需要がなくなるとは思わないんですけど、ただそれは「本を買うとは、物理リーダー端末を購入すること」と直結していた世界から、「これは物理で、これは電子で買う」という消費者から選択される中で生きる世界に変わっていくのだろうと思うんですね。

いまこの瞬間の「まずはその選択肢が欲しい!」という読者の欲求から生じる摩擦は、かつては自炊代行業者の問題あたりでバチバチやりあい、現在は主に商業書籍の電子化が舞台になっています。たぶんそう間をおかず同人誌にも向かうでしょう。

同人文化というのは、やはり即売会というメディアが中核にある文化です。その社交場で立ち回り、そこで得た認知を書店委託や通販などでフォローする体制になっていますが、その「当たり前のフォロー体制」に電子サービスが含まれるのは、そう遠くない気がしています。

(その先で、即売会というメディアが別の何かに総とっかえになるか?というと、個人的にはまだなんともいえねえなって感想です)

その時に「こういう理由でうちは無理です」と消費者にはっきり断れる理由があるならまだええねんけど、さして理由がないくせに、評価も高くないペーペー同人屋としては真っ先に切り落とされちゃうよなあって危機感は当然あります。

同人誌と電子媒体というと、評論ジャンルだと半ば当たり前になってると聞きますが、このあたりはモチーフからして電子化を断る理由がさほどなく、当事者たちが電子化にも親和性が高い人が多いという背景があって普及しているのでしょう。あとはやっぱり創作エロ系は本当に電子媒体が盛んで、一個の市場として確立されて……ってこの話は過去に何回もしてる。

ぺーぺーなので「売れない」ことへの耐性はめちゃくちゃあるんですけど、でも読者の視界にも入らないのは堪えると、まずは土壌には立っておくために活動しています。

でも一方で、入稿されない本は売ることができないし、入稿ってどんな形であっても作り手にはめんどくせータスクだし、多くの作り手がそのめんどくささを乗り越えるほどの豊かさ(経済的な意味でも、携わる人の喜び的な意味でも)のある市場が生まれるだろうか? というと、「まだどうなるかわかんねえ」。

(翻って、いま存在する市場とは、それが成立している(していた)から存在しているわけですよ。既存構造の強靭さや利便性を舐めてる人もまた、新しいメディアを押す人にしばしば見られるから悲しい)

そう遠く無い将来には、今のこの作業が無駄になるかもと思いつつ、投資の気持ちで電子入稿してます。


そこまで考えて、10年以上、読み手としても電子媒体押し(専門は動画、派生で書籍や音楽も)してる自分からすれば、「消費者にとって電子媒体がずいぶん身近になったのだな」と驚きを感じます。

ここ数年、しばしば商業出版の場において、出版関係者が「これこれこういう理由で電子より紙の出版物を買ってほしい」と発言しては、周囲から「勝手に限定するな」と非難されるというのは珍しく無い話で。

「ここ数年」のさらに数年前には、消費者自ら「これこれこういう理由で電子より物理の方がよい。電子はなくてよい。手に取ってほしくばもっと安くするべき」と気軽に口にしていたものです。

そういう意識のあった友人知人と当時から電子媒体押しの自分とで、その話でわーわーいったことも今でも私のSNS上にはログが残っています。当時の友人知人も、いまやすっかり「電子書籍の配信日が遅いのは困る」と当たり前に口にします。まあ、「(薄い根拠並べて)電子書籍はもっと安くするべき」はいまでもバンバン見かけますけども。

この読者意識の転換点てなんだろう? と思い返して、自分が思いだす限りでは2017年ごろにこういう発言をしていました。

鷹野凌さんは長年電子も含めた出版業界の動向をメディアとして発信し、自らも電子文芸雑誌を発行した経験を持ち、現在はhon.jpの運営を引き継いで出版をみつめるメディアを運用されています。私は一方的にメディアで読むだけでしたが、そういう方でも「空気が変わった」と自分と同じ実感を抱いていたのを知り、今でも印象深いやりとりです。

Kindle日本版が始まったのは2012年、dマガジン含むドコモマーケットの運用開始が2010年、その間に自炊代行業者が作家や出版社から訴訟を受けて敗訴したことや、ケータイコミックス全盛期を挟んで、eBookJapanが電子書籍のみのストアを運用開始したのは1998年……パッと思いつく国内電子書籍の歴史を思えば、やっと「読者に」「電子媒体の本棚が」定着しつつあるのかな、と感慨深いものがあります。

まあ、ちょっと定着したかなと思ったらすぐ消えるのも世の定め……長年見てきたからこそ栄枯衰退があるのも知ってる……着メロは全てハードウェアと共に消えた……。

仮に電子書籍サービスが生き残ったとして、その次には「その本棚は誰のものか?」という議論が巻き起こるだろうなあ、というか、今も部分的に生じているよなあとか思いつつ、長くなるので今日はこの辺で。