MP連載第十七回: セルフマネジメントは幻想
おそらくマンモスを集団で狩っていた時代では、「やること」の決定はたいして重要ではなかったのでしょう。緊急性の高い出来事にすばやく対処することがもっとも重要で、それさえこなせば一日の大半は終わっていたのではないでしょうか。
もしそれが人類の出発点であるならば、人間の脳がさまざまな「やること」を適切に対処できないとしても驚くには当たりません。むしろ、現代という時代が人間に要求しているものが過分なのです。
MP連載第十六回:決して貯まることのないMP|倉下忠憲
「セルフマネジメントなんて、ほとんど幻想」だと少なくとも私は思うわけです。
このことを、特に学校では教わりませんでしたが、学校に限らず、誰も教えてくれませんでした。
むしろ逆のことばかりを教わってきたものです。
「セルフマネジメントなんて幻想」と最初にハッキリ教えてくれたのは、人ではなく「タスクシュート」というツールでした。
MECEにはなりませんが、タスクシュートはMPについて次の3つのことを、毎日どころか毎分、私に声高に告げ続けてくれたのです。
・時間はためることができない!
・時間が無限にあっても何でもできるわけじゃない
・やりたいこともやるべきことも、とにかく1日の最初にやれ!
・でもそうしたからって全部終わるわけではないんだ!
当初はこのいずれもがとても不可解でした。1つめはそうは言っても常識ですが、これがなにを意味するのかは、わかってませんでした。
なぜなら「時間が無限にあっても何でもできるわけじゃないどころか、もしかしたらほとんど何もできない」というのが、自分にはなかなか理解しがたいことだったからです。
できない理由は単純でした。単純に、疲れるのです。
1日の最初の1時間、目一杯仕事をしたら、とても疲れます。そして残り9時間が「自由時間」だったとしても、できることといったらせいぜい「休憩」でした。
でもなんでそんなに疲れるのか?
自分は疲れやすい体質なのか?
疲れるといったって、私の仕事で盛んに動くのはせいぜい「ゆび」。いくら私の体力が足りないといっても、ユビくらいはもっと動かせるはずです。
これは倉下さんの指摘どおりなのです。
マンモス狩りをすることならできるようにできているのが私たちの「気力」です。
社会集団的に「意義が自明であること」のために、「みんな」で力を合わせ、成果が目に見えてハッキリしており、それをやれば力尽きてもOKという「気力の使い方」は概してうまくいきます。
翻ってデジタル写真の整理だとか、Evernoteの使い方の解説なんて、どうでしょう?
社会的な意義はぜんぜん自明ではありません。Evernoteの電書を出していたころ「こんなののなにがいいの? 頭おかしいんじゃないの?」といったコメントやらメールやらを週に1つはもらったものです。
マンモス狩りの真っ最中に「こんなことに血道を上げててどうするの?」と言えた人類は、週に1人もいなかったでしょう。
Evernoteの解説に限らず、私の仕事はだいたい「一人」でやります。「みんなで力を合わせる」感覚にはほど遠く、今の私はそういう集団行動が「苦手」という感情を抱くまでに至っています。(これは一種の「逆訓練」ともいうべきものの「成果」なのでしょう)。
もちろん、写真の整理を終えて、それで力尽きて寝てしまっていいとは、誰も言いません。
それでもMPをためてはおけないのです。
起きていればなんだかんだで消費する一方の上に、ためることもできない。
だとすると、可能なやり方は1つ。MPのあるうちにガンガン使ってとにかくなんでも「やってしまう」事なのです。なにかをさせられる前に、何かが割り込む前に、ついついやってしまうその前に。
今ではほんのわずかばかり「コントロール」ができるようになりました。しかしタスクシュートが私に「教訓教訓教訓」を残してくれたとき、最も成果が上がったのは「ファーストタスクで駆け抜けろ!」という戦略でした。
なにをする前に仕事を一通り終えてしまって、残る多大な時間を昼寝でもするような魂の抜けた状態で、やり過ごす。それが結果としては最も「効率的」だったのです。