かりんとう

白血病のため4歳半で亡くなった子供の家族をモチーフにした小説です。 闘病記ではありませ…

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白血病のため4歳半で亡くなった子供の家族をモチーフにした小説です。 闘病記ではありません。 第1部「虚飾の偶像」完了。30年前文芸賞受賞作品 第2部「夢帰行」掲載中 第3部 6月以降掲載予定

最近の記事

夢帰行18

仁志の後悔3 清美の姿が見えなくなってから、しばらく 病院の中庭のベンチに腰を下ろしたまま空間に目を落としていた。 残暑の西日が当たり、湿った風に包まれ不快感を感じだしてから、ようやく重い身体を起こし立ち上がった。 中庭から、小児病棟二階の窓を見上げてみた。 あの窓の向こうで今も遙は息苦しそうに寝ているのだろうか。 清美と代った義母さんが、白い衛生服に身を纏い、遙の側で背中をさすり、少しでも痛みや苦しさを和らげようとしているのだろうか。 ゆっくり歩を進め、冷房の利いた病院

    • 夢帰行17

      仁志の後悔2 「ごめんね変なこと言って。遙が起きるかもしれないから、私もう家に行ってくる。今日は来てくれてありがとう。起きてる遙には会えなかったけど、また来れたら会いに来て。」 「ああ、近いうちにまた来るよ」 聞きたいこともほとんど聞けず、話したいこともほとんど話さないうちに、清美は自宅へ出かけて行った。 今の清美の生活拠点は、あの病室だ。 世の中から隔離されたかのような、あの狭い病室だ。 自分の時間などない、気持ちを休める暇もない。 僅かの間だけ遙の側を離れ、自宅で用を

      • 夢帰行16

        清美の覚悟2 「お前強くなったな」 ひと言ひと言を分かり易く話す清美の姿は、二年前とははっきり違っていた。 「そんなことないよ。今だって怖くてこのまま何処かへ逃げちゃいたいくらいだもの」 現実を振り返ることは、自分と遙の姿そのままだ。その姿は清美にとって見ていられないほど、切羽詰まった局面だった。 「よく頑張ってるな」 仁志には清美にかけるべき言葉が見つからず、恐らく一度も言ったこともない言葉を清美にかけていた。 「ほんと?本当にそう思ってる?」 聞きつけない言葉に思わ

        • 夢帰行15

          清美の覚悟  清美と仁志は、小児病棟の1階へ降り、本館との間にある中庭へ出た。 姉の幸江は、二人に先立ってナースセンターへ挨拶したり、本館の事務室へ行ったり相変わらず忙しく動き回っているようだ。 中庭へ出ると仁志は、ゆっくり前を歩く清美の背に問い掛けた。 「もう治らないのか?」 「あとひと月もつかな」 「ひとつき・・・お前平気なのか」 「平気なはずないわ」 言いながら清美は中庭のベンチに腰を下ろした。 そこは建物の日陰になって幾分涼しいようだ。 「でも最初から覚悟してた

          夢帰行14

          遙の病室2  遙の病室に入る廊下の扉が、仁志たちの後ろで開いた。 清美の母親が、同じように滅菌服に身を包み、病室の前までやってきた。 仁志と幸江を認めると驚いた様子で挨拶をした。 「わざわざありがとうございます。遙も喜ぶと思います。仁志さんのお身体はよろしいんですか」 「あ、はいお陰様で・・・」 仁志も一年半ぶりに会う清美の母の姿に驚いていた。  清美の母は、遙を溺愛していた。 発病した際には、清美と仁志が呆然とする中、ひとり号泣し、遙を驚かせた人である。 この人のやつれ

          夢帰行13

          遙の病室1 「これでも良い方なのか」 清美が吐いた言葉を頭の中で繰り返した。 ただ寝ているだけの遙であるが、息苦しさが仁志にも伝わってくる。 咳が落ち着いた遙の側を離れ、清美が病室の外に出て来た。 「今日は咳もそれほど出ていないし、熱も少し下がってるの。先週あたりは30分も寝ていられなくてね。喘息みたいに激しくせき込んで、苦しくて泣きながら咳してたのよ」 横で聞いている姉は、遙の泣きながら咳き込む姿を想像し、ハンカチをマスク越しの口に充てて嗚咽を飲み込んでいる。 「そうか

          夢帰行12

          後悔2  遙は眠っているようだ。 いったいどういう状況で寝ているのか仁志には分からない。 生死の狭間にいるということだけを聞かされている。 自分の入院生活は、ただ大人しく寝ていればよかった。 時折襲う痛みも入院してからは、のた打ち回る程ではなかったし、薬や点滴のおかげで、随分改善されたように感じている。 それが一時的なことであっても、今はこうして歩ける状態にある。 しかし、遙は小さな身体に沢山のコードがつながれ、四六時中点滴をされ、ただ寝て呼吸することしか出来ないでいる。

          夢帰行11

          後悔  今、仁志の目に映るのは、まさに生と死の狭間で苦しむ我が子の姿だった。 仁志の胃の痛みの何倍もの苦痛をこの小さな身体で受け止め、病魔と闘っている。息苦しさに耐え、本能のみで生き続けようと足掻いている姿だった。 大人しく寝ているようでも、それは子供が寝たくて寝ているのではなく、病気と闘う体力を失い、病に侵された身体が自然に求めた安息のひと時であるに違いない。  「これでも今日は少し具合がいいのよ」 想像を超えた遙の姿から目を離させない仁志に清美が言った。 時折コンコン

          夢帰行10

          遙の病院2  滅菌服を全身にまとった清美が、扉の向こうでこちらへ来るように合図している。 幸江と仁志が看護師に目を向けると頷いていた。 無言のまま清美のいる扉に近づくと、清美に付き添っていた看護師が内側から横にスライドさせて扉を開け、二人が入るとすぐに扉を閉めた。 扉は二重構造になっていて、病室はもう一つ扉の向こうだ。 二つ目の扉の前で全身をエアーで消毒し、靴を履き替え、マスク、帽子と滅菌服を身に着けるのだ。 看護師の指示に従い、着用状況を確認されると、ようやく次の扉の中に

          夢帰行9

          遙の病院  病院の玄関前に待機していたタクシーにそのまま二人で乗り込んだ。 横浜駅まで行き、郊外の最寄り駅まで電車に15分ほど乗り、最寄駅からまたタクシーで遙の入院している病院へ向かった。 「これから遙と清美に会うのか」 姉が病院に来てからずっと考えていた。 清美と何を話せばいいのだろうか。 遙は自分のことを覚えているだろうか。 言葉が出てくる自信がなかった。  渋滞の名所である交差点を右折し、右手に国立病院が見えてきた。 相変わらず建物が古くて、物寂しい雰囲気がある病院

          夢帰行8

          退院  それにしても、来週にも退院していいとはどういうことだ。 確かに痛みは和らいだ。 だが、入院してからというもの、毎日消化が良さそうで味の薄い食事を食べ、決められた薬を定期的に飲み、入院したての時は点滴を打っていたが、後はベッドで横になっていただけじゃないか。 入院するほどのことでもなかったのではないか。 それとも手に負えなくて帰されるのか。 本当は、治療の術がない末期癌なのだろうか。 明確に説明しない医者と、その医者から話を聞いて来たはずなのに仁志に説明しない姉の幸江

          夢帰行7

          病室にて5  廊下で夕食の準備が進められていた。 忙しく動き回る看護師や衛生士たちが、一人一人に夕食を配り歩いている。 病院の夕食は早い。17時半には配膳され、18時過ぎには片付けが始まっていく。その後、19時には面会時間も終わり、21時には消灯され、長い夜に包まれる。 看護師が仁志のベット横に置いて行った食事は、相変わらず米の形が僅かにしか見えない粥と、薄味でいかにも消化の良さそうな副食たちが並んでいる。 元々食欲がなくなって入院している訳で、空腹感すら感じない。 当初は

          夢帰行6

          姉 奈津子が部屋を後にして、しばらく経ってから姉の幸江が病室に戻ってきた。 幸江は奈津子がいないのに気付くと、 「あの人は帰ったんか」 「あぁ」 「清美さんな、遙ちゃんの具合が悪くなってからすぐ店の方に連絡したんだけど、あの人が何にも取り次がなかったらしいな。お前知ってんのか?」 「あぁ、電話があったことは聞いてたよ。二回くらいだろ」 「何回かは知らんけど、随分素っ気なく冷たくされたらしいぞ。そんで店長さんに直に聞いて、やっと入院してるって知ったらしいんだな。」 「それで知

          夢帰行5

          病室にて3  「おめえの具合も聞かなきゃなんねぇし、ちょっと先生のとこ行ってみるわ。」  僅かな時間に自分の言いたいことだけを捲くし立て、仁志に伝えたいことに気が済んだのであろうか。幸江は思い立つとそのままナースセンターへ向かって行った。 病室に残された仁志は、所在なさげに佇む奈津子に 「今日は帰っていいよ。面倒臭いだろ。」 と促した。 奈津子には面白くないひとときが風のように通り過ぎた。 白いミニスカートをヒラヒラと翻し、 「うん。じゃあまた明日来るね。」 と言い残し病

          夢帰行4

          仁志の病気2  「そうだ。大した病気じゃないんだよ。」 姉にかけた言葉を頭の中で反芻してから、ふと気づいた。 『どうして姉は、清美から俺が入院したと聞いただけでわざわざ出てきたのか?遙の病状悪化を知らせるなら奈津子でもいいはずだ。』 「遙ちゃんな、肺炎になってしまったらしいんだ。一番気を付けにゃなんねぇ感染症だから、お医者さんもすげぇしんぱいしてんだと。」 仁志が今疑問に思っていることに姉は気付くこともなく、自分のしゃべりたいことだけを話していた。 「・・・そうか」 「清

          夢帰行3

          仁志の病気 自分の病気が大したことではないと思えなくなったのは、その日の午後のことだった。 田舎に住む姉が突然この病室にやってきたのだ。 一緒に病室に来た恋人奈津子に 「お前が知らせたのか?」 余計なことをと言いたげに奈津子をにらむ横から、一回りも年の離れた姉の幸江が口をはさんだ。 「この人じゃねぇ。清美さんだ。この人には病院の入り口でたまたま会っただけだ。」 田舎訛りの話し方は相変わらずだ。 「清美が?どうして知ってる?」 仁志は二人の顔を順番に見比べながら問いかけた。