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桶がわまつり(乞食まつり)

岐阜の川辺町は下麻生という町に住んでいたのですが私の祖父は明治35年生まれで、私が生まれた時は祖父が81歳ぐらい。地元じゃ長老の部類に入るのか地元のお祭りのこととか習わしとかよく知ってる人でした。
『下麻生史』という町史もあり、(身内が発行の発起人で、なぜか父が司会で仕切ってる)座談会に祖父は座談会にでてて、よく喋っている。

地元には4月に珍しいお祭りがあり、正式名称は「桶川まつり」というのだが、地元じゃ「乞食まつり」と言っている。
逸話としては、こうだ。

昔、県神社の境内に男が住みついた。
その男はとても愛想がよく、憎めない感じで
その年は不作で食料もわずかしかないが、みんなで持ち寄って男に分けてあげたそう。
男は年があけてしばらくすると、ふらっと居なくなったのだか、その年は昨年と打って変わり大変な豊作に恵まれた。
『あの乞食は、神様の使いやったんやろうなぁ』ということで、毎年4月に豊作を願って祭りを行なっている。

祖父からの話

今じゃ『乞食まつり』というと、道徳的にダメな言葉と言われるらしいけど、昔からこの話を聞いていた自分としては、特段悪い言葉にも思えず…
なにぶん、子どもとしては役が回ってきた組の年男である自分の父親が、その日1日は「顔面に靴墨を塗り、服も破ったり汚したりして、見たこともないボロボロの麦わら帽子をかぶって、面白い格好もとい乞食役をやる」のである。

YouTubeやブログなどSNSで、どこで何を聞いたか分からないが、この祭の乞食役を「昔は本当のホームレスの人にやってもらっていた時代がある」なんて書く人がいるが、祖父からそんな話は聞いたことがない。
乞食もとい神様の役なんだから、組みが持ち回ってやる大切なお役目。
ただ、乞食にしちゃ、血色のいい若干(?)恰幅がいい男衆たちがその日1日は祭の主役になり、街の人からイジられるのである。
だって、愛想のいい男になり、飯をもらわなきゃいけないのだから!

こんな小さな町の祭りを取り上げてくれるのは嬉しいが、事実と違うことを書かれるのは嬉しくない。
マスコミも含めて、情報は正しく伝えて欲しいと思う、今日この頃である。


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