見出し画像

結解きて

正直、これは公開するか迷った。ある種自分の弱いところだし、時には言い訳になることもあると思う。けれど、軽く受け止めて変わらず接してくれる友達がいるから、ちょっと踏み込んでみようと思った。

もしかしたら読んでくれるリア友へ。
大変だったね、とか、いらないです。





私は片親である。今度の5月末でちょうど2年前になるが、両親が離婚し母親と2人暮らしになった。

私の記憶だと、小学4年生くらいまでは普通だったと思う。しかし、ここで既に普通じゃなかったことを、成長してから知った。普通のお父さんって、習い事の発表会を見に来たり、時には送迎をしてくれるものらしい。あと、家事は分担、病気になったら心配して家事を替わる。妻の誕生日には、なにかしらプレゼントを贈る。感謝を伝える。他にも色々あると思うけど、どれかひとつくらいは、よそのお父さんはやってるらしい、って、中1の時に知った。
ネガティブな記憶は自動的に消えていくものらしく、もうあまり覚えていないのだが、中学受験中に「なんか前より仲悪いなぁ」と思った記憶だけがかすかに残っている。中学生になってから、格段に喧嘩を目撃することが増えた。母は喧嘩じゃない、意見が合わないのだ、と言い張ったが、それを喧嘩というんじゃなかろうか。

喧嘩の原因は、大体父親の酒癖の悪さか家事。毎週休日に酔いつぶれて家族共用の机の上で寝たり、酒をこぼして母に片付けさせたり。酒癖が悪化してからは、母は週末、夕食後はキッチンに椅子を持ち込んで、そこで過ごすようになってしまった。酒をこぼされても大丈夫なように、自分の荷物を自分の机に移動させて、テレビやエアコンのリモコンに、ラップをまいた。中3の年始には、2人で母方の実家へ泊まると嘘をついて、中華街のホテルに泊まったこともある。父が会社が休みで毎日家にいるので、気が休まらないだろう、という理由で。高2のときには、2人の口論の声に我慢ならず父親を怒鳴ったことがある。怒鳴ることしか出来ない自分が悔しくて、号泣した。怒鳴った拍子に整髪料の缶を投げたら、床に傷がついた。小さい頃に敷いてそのままだった、スポンジマットがあったにもかかわらず貫通して、細く三日月形に削れた。今でも残っている。
家事に関しては、もう2年経つからいろいろ忘れてしまった。直後に書いておくべきだったな。生活を共にしているという意識が低かった父と、些細なことでばかり揉めていたように思う。何も手伝ってくれないから、母が全部1人で家事をしていた。途中まで、声を掛けて手伝ってもらっていたようだが、諦めて1人でやるようになった。私が成長してからは、私が手伝って負担を減らそうと努力していた。
でもこれだけは忘れていないこと、父は基本的に母を大事にしていなかった。後から聞いたら、父なりに大事にしようと頑張っていたらしいが、そんなのこちらが感じられなければ意味がない。昔、胃がんの検査で引っかかって、小さい私を置いて死ねないと泣いていた母に「なんでそんなこと気にしてるの」みたいな趣旨のことを言い放ったらしい。言わないでしょ、普通。

母は実際、数年前に離婚を考えたことがあるらしい。私が大学を卒業して、両親の手を離れて落ち着いたら、話をしようと思っていた、と言っていた。せめて私が家にいるうちは、両親を揃えておいてあげたい、と思ってくれていたようだった。けれど、母より先に、私が我慢の限界を迎えた。酒に酔って好き勝手したり、一緒に暮らしているという意識が全く見えない父。せっかくの週末の休みに、毎回なにかしらいやな思いをしているにも関わらず、何も言わずにずっと我慢している母を見て、私が「もう離婚して」と言った。私の『我儘』で離婚してもらった。

母を守りたかった。正直、あんな父親なら、いてもいなくても変わらないと思った。

実際、離婚して別で暮らし始めても、何も変わらなかった。日用品の紙類の減るスピードが遅くなったことくらい。むしろ、毎週末嫌な思いをせず、2人でたのしく暮らしている。あとは、前より気楽に夕食を外に食べに行けるようになった。唯一、戸籍と改姓と銀行口座の手続きは面倒だったみたい。ありがとう、お母さん。

父には「親」としては、感謝している。働いて、私の学費や家族の生活費を稼いでくれていたから。今も月に決まった額、養育費を振り込んでもらっている。そのおかげで今、大学に通えている。小さい頃は家で遊んでもらっていたし、母が休日に働きに出ていた日は、夜ご飯用に一緒にカレーを作っていた。アメリカ出張中に私がインフルエンザに罹った時も、元気づけようとアメリカのグミをお土産に買ってきてくれた。他にも楽しかった思い出はある。
けれど、1人の「人」としては、今のところ一生許せないと思う。


私は母親のせいだとは微塵も思っていないけれど、我慢する母親を見ていたからか、我慢強く、全て1人でやろうとする人間に育っている。これは、いつも2人で共感しつつも、母が「私を見て育っちゃったからだね、ごめんね」という事柄。人に頼ることが苦手で、抱え込むな、って仲の良い友達によく言われる。彼氏がいた時は彼氏に「頼る時と頼らない時の差がすごい」って軽く怒られた。でもやっぱり正直、多少の自己犠牲があっても、それだけで済むなら私はそれでいいからいいじゃない、と思っている。だから母に、「将来は『やりたくない事はやらなくていいよ』って言ってくれる、貴女を大切にしてくれる、優しい人と結婚しなさい」って言われている。夫婦像のいい見本(母方の祖父母)と悪い見本(両親)を見てきたから、大丈夫だと思う。将来は祖父みたいな人を連れてきて、母を安心させることが目標。

なのに、人の結婚式を見ると結婚したくなくなる。結婚式の、あの幸せ空間はキラキラすぎて、眩しくて目が開けられない気持ちになる。将来、結婚式呼ばれても行かないかもしれないけど、幸せは願っているから、どうか許して。遠くから、祝福させて欲しい。


最近書き始めた日記に、自分についてこう書いた。『私は、自分を大切にすることが苦手(らしい)。だから、最近は自己犠牲で何とかする癖を直そうと思っている。』
これを書いた時に、この文の存在を思い出して、ちょっと書き進めてみようと思った。

X(旧Twitter)のWeb欄に、日記を記しているサイトのURLを貼ってあるので、良かったら是非。

長駄文をお読み下さり感謝。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?