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赤いリボンを断ち切れない

※ガチファンの人は読んでも多分何の得もありません

情けない男の話である。

所詮は現地に行かなかった人間の戯言として処理してもらって構わない。

2021年7月4日、パシフィコ横浜にて小倉唯さんのライブが開催された。昨年、時勢から中止を余儀なくされたこともあり約2年ぶりのワンマンライブである。

偶然か運命か、彼女がソロ活動を開始し、1人で初めてステージに立ったのもパシフィコ横浜であった。大変感動したのを覚えている。人生最高のライブのひとつに数えてもいいくらいであった。その後もワンマンがあれば必ず参加したし、ツアーがあれば必ずひとつは行った。

しかし今日、僕は家にいた。どうしても行く決断ができなかった。

元々、数年前から楽曲への不安やレコード会社への不満はあった。それでもやっぱり好きだった。今も好きなんだと思う。でも相当な無理をしていた。何かの義理や使命を感じていた。
大方のファンはそういう時、黙って去っていく。そういう奴が許せなかった。(今は理解できる)だから真剣に真剣に考えて、文句を言ってでも一生ついていくつもりだった。それが誠意だと勘違いしていた。

大きく変わったのは、言うまでもなく2020年だった。それは小倉唯さんどころか全世界全ての人間の価値観や接し方を変えた。

中でも音楽は苦境に立たされるシーンが何度もあり、それが今も続いている。それと同時にアーティストは、人間はその状況下の中で何を示していくのが大きな課題となった。
簡単に言えば「この状況が改善された時、いつか絶対に会いたい」と思わせる活動が必要とされていたと思う。それこそがアーティストを評価する材料にもなり得る時代だと思う(上からで申し訳ない)。

それらを踏まえながら小倉唯さんの昨年の活動を見た時、僕は「いつか会いたい」とは思えなかったのである。

何かのミスマッチとしか思えない不協和音を奏でるDestinyに始まり、何番煎じかわからないピンクを纏ったI Love you、軽薄なビートに彩られたハピネスセンセーション、没個性を強いられたかのようなクリスマスソング…その才能を無駄にするような楽曲が続いた。クリスマスライブの時だって、収録の映像をオンラインで流すだけなのにトラブルに見舞われた。耐えきれなかった。

小倉唯さん本人も何を考えてるのか把握できなかった。ラジオもインタビューも読み尽くし感じ取ったらずなのに。いつも白く咲く花を眺めていた。それが嘘になっていくのが悲しかった。結果僕は理解することから逃げた。

行けばいい。行けばわかる。人はそう言うけど、行けばわかるのは当たり前だと思う。それはつまり本番になればわかる…みたいな話である。金だけ払って行為だけ済ませて帰るような、そんなのごめんだ。会いたいと思って好きだから会いにいくのがいい。

「ここは僕の場所じゃない」という予感が随分前からあった。だから今日も行けなかった。色んな義理も抱えてるし、思い出に目を向ければ行けたかもしれない。でもそういうの抜きにして“今”を推せることが条件だと思った。今の君を見たいと思えなければ意味はない。

「君はもっとうまくやれるのに」とか「もっとこうなればいいのに」と言う願望を押し付けるのは、本人にも僕のためにもならない。だからもう離れなくちゃいけない。大人にならなきゃいけない。黙って去ることが出来たらもっとスマートでクールだったんだけど。

博打打ちのようなシングルを聴きながら、なんとかして点と点を線として繋ぐことで小倉唯のアーティスト像を僕は捉えようとした。ファンと呼ぶにはあまりに離れすぎたけど、動向は気になる。だから君と適切な距離を取りながら見つめてきたつもりだ。ストーカーの才能があると思った。だけど適切な距離なんていつもわからない。近づきすぎたかもしれないし、そして気づいたら離れていた。それはきっと関東圏と東海圏よりもっと遠いはずの、埋めようのない何かだと思う。

そんな日々の中で小倉唯さんは今年、ひとつの答えとなる名曲『Clear Morning』を放った。

この曲は本当に良かった。音の質に嘘がなかった。久しぶりに光を見た気がした。本音を曲げて嘘ついた土地で枯れた花を見るのも嫌になった時、太陽のように降り注ぐ曲であった。それは同時に『白く咲く花』を軸とする小倉唯論、そのディスカッションを一時的に保留にしてもいいと思えるほど良かった。救われたと思った。もしもこの曲を次のライブでやったら…

だから今日僕は「何故パシフィコ横浜に行かなかったんだ?馬鹿か?」と思う予定だった。そう思わされたかった。そんなやり方でしかもう自分を支えられなかった。

蓋を開けてみた時、言葉を無くした。屈指の名曲『Clear Morning』が昼夜ともに披露されることはなかったのである。どういった理由かはわからない。でも心の底から「行かなくて良かった」と思ってしまった。そしてもう「ここは僕の場所じゃない」と強く思った。

現時点、最新曲を最新のライブで披露しない…それがまずショックだった。基本的に表現者は生きる限り最新のモードを刻む必要がある。そこから逃げちゃいけない。ライブ自体のコンセプトに合わないとか色々あるのかもしれない。だけど何かにすがりつくように見つけた光明に期待した人はいたと思う。

挙句、ピンクに染め上げられたようなセットリストが僕に「もう来なくていいんだよ」と語りかけてくれてるような気がした。逆に気持ち良かった。ピンク色の部屋では僕はもう生きられない。甘ったるい香りもごめんだ。息苦しくておかしくなる。ごめん。

会えない時間が長く続いた後の初めてのライブ。それは改めて自分が目指したい音楽や伝えたいものを提示する場所になり得る。少なくとも彼女にとって、今日の選曲はそういうことなのだろうと僕は理解した。小倉唯さんが今後打ち出したい、柱にしたいような曲は今日披露されたようなカラーリングだということである。それが、彼女が本心から選び取った答えであるなら…僕が口出しする余地はないと感じた。そんなこと最初からわかってたのに、ずっと認められなかった。今日それがハッキリわかった。

最も、僕から見ればもっと魅力的な見せ方はいくらでもあると感じるしピンクに転じるのは勿体ないと思うけど。君にその覚悟があって好きでやってるならいい。だけど、だとしたら『白く咲く花』、『Clear Morning』にリリースされる必要性はあったのか?という疑問は残る。『Clear Morning』は何の為に生まれたのか?ただのタイアップの産物?そんな悲しいこと言わないで。あの曲が不憫でならない。ひとつひとつの曲の扱いが雑だと思うし、結果何年かかっても「小倉唯と言えば?」と言うアーティスト像(かわいい云々ではなく)を更新できなかったことが残念でならない。

ゆいかおりと突然の別れを経験してから早4年、せめて君がもう少しちゃんと立てるようにサポートしてくれる人がいれば、導く人がいれば違う結果になっていたと思う。あるいは君自身の意識がー

それだけが、あの日僕が願ったことだった。永遠を引き裂かれた価値が小倉唯ソロになければいけないと…いつかそれが報われる日が来るだろうと何度も願った。もう待てない。そんなの待ってたら間に合わないことがたくさんある。可愛いだけでは僕はもう見れない。そんな薄っぺらなもの信じない。かわいいだけなら若い子か猫でも愛でてればいい。そうじゃない何かを君に感じたから僕はー

ほらまた口を出してしまう。本当にいつもごめん。

とは言え、今日あの場所に行った人たちが納得できるならそれでいいと思った。信頼できる仲間の声を聞いた時、少なくとも今の小倉唯さんを求める人にとっては素晴らしいライブだったことは十分理解できた。LOVEというコンセプトを完璧に全うしたライブだったらしい。やはり僕がいるべき場所ではないと思ったけど、少しだけ嬉しかった。今目の前にいる人たち、自分が満足できるライブをやる…これも大事なことだと思うから。

長く続いたものが終わるような、決定的な日だった。もちろん僕の人生も君の人生も続くだろう。お互いに棲み分けていこう。僕らはもう関係ない。

しかし、そう思った矢先に聞こえるのはあの曲である。何度も何度も、何度も断ち切ろうとしたそのリボンが切れない。

ずるいなあと思う。だけど真実だと思う。いつも言い訳を並べて素直になれない自分の歌だと思った。僕のために歌われた曲だと思った。全部見透かされてる。

いちばん 隣にいたいのに
いちばん 不安になってるの
意地っ張りで 寂しがりで 欲張りな
私を全部 変えれたらいいのに
I'm in love with you…
ねぇ、もしも
本当に、本当に、本当に、本当に好きだって
そのたった一言を君が言ってくれたなら
どんな悩みも 吹き飛んじゃうからちゃんと聞かせて?いいでしょ? 本当にすき?

好きだ。好きに決まってる。

きっとそれはどれだけ離れても切ることができない運命の糸で、いつかそれを手繰り寄せる日も来るかもしれない。あるいは、小倉唯さんに手繰り寄せられて絞め殺されるかもしれない。君になら僕はー

そう思えた時、ここではないどこかへ旅立っていいと思えた。距離を取ったとしても繋がっている気がした。今心が向く方へ駆け出していいと思えた。

人との距離感は難しくて、大好きと大嫌いしか選べないように思えるけどそうではない。好きだからこそ距離の取り方が最近わかってきた気もする。それは自分を取り巻くいろんな人間関係にも言える。離れたっていい。今は離れることがあまり怖くない。まあ少なくともこんな長文書いてる人間が離れてるわけはないのだが。

小さな大阪のアニメバーで流れたPV、君を見つけた日を思い出す。身体中に電流が走ったような感覚を忘れない。桜吹雪が舞い落ちるような恋をした。応援したいと思える女の子が立っていた。世界一かわいいと思った。その精神性にも惚れた。事件だった。小倉唯になりたかった。ある一瞬まで、間違いなく憧れだった。

君に出会えたことが人生においてどれだけ大きな影響を及ぼしたか。今もそれが続いてる。

君を通して出会えた人、数えきれないほどの幸せと景色は人生の宝物である。振り返った時「いい青春だった」と思えるだろう。感謝してもしきれない。

でも、もう行かなくちゃ。僕は今僕の信じるものを追い求める。ずっと君もそうして欲しい。

「さよなら」は結局まだ言えないらしい。僕は全然ダメだ。恥ずかしくて嫌になる。僕はファンでもないし、真っ当な人間でもない。そんな資格捨てたって君と離れたって、この赤いリボンに繋がれていたいと思う。解けない。鎖のような重さと痛みを伴う。

どうか小倉唯さんの未来にもっとたくさんの光が差しますように…そう思いながら僕は寝床についた。この心が離れても、夢で会えたら少しだけ素直になるよ。

その時に選ぶ言葉はきっと



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