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私はもう恋ができないんだ

こんにちは。
急なお手紙だから、びっくりしたでしょうか。どう思ったかは分かりません、私にはどう思ったか割とどうでもいいので。
いつ読んだって構わないのよ。あなたのタイミングでどうぞ。
今日はね、あなたは大事な友達って話をしたいのです。

あなたに合わせることはできないし、私に合わせてほしくもないんだ

人はみんな拍がある。
何時に起きて、朝のルーチンがどんなことで、駅に向かうときは時速何キロで歩いて、みたいなことだけじゃなくてね。
食事の何時間後に食器を洗うかとか、あっやばいそろそろトイレットペーパー買い足さないとまずいなって思う残り個数とか。
それは生活のペースやリズムや閾値ってもので、人それぞれ違う。
私はそれを「拍」と呼ぶことにした。

私と夫は拍がずれることもある。
トイレの汚れを見てみぬふりできなくなる閾値が違う。お腹いっぱいになる閾値が違う。朝型か夜型かも違う。私は朝型で夫は夜型。身支度にかかる手数は私の方が多いけれど、支度を始める時間が早いから、結果的に私のが早く支度できてたり。
結婚してから長いこと、夫の拍に合わせようとしていたの。自分の拍を捨ててまで、夫の拍に合わせたい、合わせなきゃと思っていた。もしくは、夫に自分の拍を捨てて、私に合わせてほしいと思っていた。それが恋することだから。

友達と恋人の違い、みたいな大仰なことを書いてみますね

織姫と彦星はね。
年に一度、七夕に予定を合わせて会うでしょ。
世の中の恋人たちも、クッソ忙しい中で時間をやりくりして、お互いのために普段の自分のペースをわざわざ崩してまで、デートの時間を作る。
たぶんそれが恋なのだわ。

私、その恋する気持ちをふと手放してみたんです。
私の拍は私のままで、夫の拍は夫のままでいいと思うことにした。

友達って、生活の拍が違う人同士がそれぞれの拍のまま、お互いを認めることなんじゃないかと思います。
「あなたは2拍子で生きてる人」
「私は3拍子で生きてる人」
たとえばそんな感じ。
2拍子の人が強拍を3回打っているあいだに、3拍子の人が強拍を打つのは2回。2拍子の人と3拍子の人は6回に1回、強拍が合う。
合ったときに一緒にご飯を食べたり、映画を見に行ったり。

私が見る限り、夫は8分の6拍子っぽい。私は2拍子と3拍子の混じった変拍子。
こちらが夫に合わせるのはそんなに難しくないけど、夫に合わせてもらうのは大変。私が合わせるのも、強拍を打つタイミングで夫には休符が入っていたりして、ちょっとフラストレーションがたまる。
恋をし続けて強拍を合わせようと頑張るのに難しさを感じたりする。

もういいなあ、恋しなくても。
と、肩に入っていた力が抜けたら、そう思ってしまった。

夫が強拍を1回打っている間に、私は強拍を2回も3回も打つ。
べつにお互いそのペースでよくて、ときどき拍が合ったら一緒に何かをする。
拍が合った瞬間に「キャハハ」って笑えたらいいや。

あなたが大好きだから、あなたは友人なのです

他の友達も、そうなの。
あなたの拍があって、私の拍があって、タイミングが合ったときには楽しく過ごしたいねって。
深く深く愛する友人たちに対しても、同じように思うの。
背伸びして自分のペースを崩してあげたいと思わない。
私が私で、あなたがあなたのままでいるのが好きとしか、もう思えないんだろう。
ずいぶんとわがままな人間に成長してしまいました。
きっとこれが自我なのだわ。

もう恋ができない。
こまったなあ、私、恋愛ものの脚本や小説を書いているのにね。


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