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『カコちゃん9才』




私がこの麓の村に引っ越してきたのは昭和40年。6歳の時だ。

20軒ほどの集落で、耕地面積が少ないせいか裕福とは言えない小さな農家の集落だった。

私は小学校に入ってから、休みの日は近所の女の子3~4人でままごと遊びをしていた。

春休みは最高に良かった。おままごとの材料集めには申し分ない季節だった。

大根の花が咲き、春菊の花が咲き、小川には冷たい水に磨かれたキレイな芹。

川土手の枯れたススキの合間から、まだ小さい可愛いツクシが今にもグンと伸びそうに勢いついて生えている。

一つ見つければ、ここにもそこにも。嬉しい発見だった。

捨てられた欠けた瀬戸物をお鍋や食器にして、かまぼこ板は上等のまな板。

3才年下の幼稚園児の弟は、いつも赤ちゃん役。
小学生になっても赤ちゃん役のままだったので、徐々に不満が出てきた。

弟はお父さん役をさせろと言ってきた。

もし弟がお父さん役をするとなると、お母さん役の私は弟と夫婦になる訳で。

そんなことはあり得ないと無視していたら、そのうち私と離れて遊ぶようになった。

弟は近所の男の子たちの仲間に入って、近くの山で秘密基地作りをするようになった。



ある日、母が私にお人形を買ってきた。


20㎝くらいの身長で、キューピー人形を長くしたような胴体に、ぱっちりとした目が描かれた長い髪の生えた女の子の頭が付いているミルクのみ人形だった。

私は玩具そのものをあまり持っていなかった。

そんな娘に女の子なのにお人形遊びをしていないのを母は気にしてくれたのか。

いきなり買ってはくれたものの、私にはまるで遊び方が分からなかった。

母が付属の小さな哺乳瓶に水を入れて、そのお人形の口から注ぐと、赤ちゃんがミルクを飲むように水が減って、暫くしたらお漏らしをするという仕組みを見せてくれた。

母は楽しそうにやってくれたが、私にはパンツを濡らしてどうするのかと思った。


母の思いは分かったが正直内心は複雑だった。


それでも私は試しにままごと仲間に声をかけてみた。

『お人形遊びをするから、自分のお人形を持って集まってね。』

皆いろんなお人形を持ってやってきた。

見るに忍びない程薄汚れた女の子の縫いぐるみ。

寝かせると長いまつげがバサッと閉じるとんでもない青い目のお人形。

もはや人間ではない洋服を着たウサギのぬいぐるみなどを持ってきた。

私だけで無く、皆お人形遊びをするのは初めてだったし、皆気乗りがしていない様子が見て取れた。

自分の持ってきた人形に感情移入をすることに躊躇されたのだった。

結局、人形は赤ちゃんで、自分はお母さんという設定になった。

草花を摘んでままごとをすると、お人形が汚れてしまうので、外に出ることは出来なかった。

そのためお母さんごっこと言っても赤ちゃんにミルクを飲ませるかおむつを変えるかしかなく、すぐにこの遊びの限界を感じてしまった。


私は弟がままごとから去って以来、お母さんごっこにはさほど熱は入っていませんでした。飽きてしまっていたかどうか。


せっかくのお人形。

素敵なお洋服を着るお姉さんごっこするにはどうしたらいいのかと思った。

私はお人形の洋服の着替えが必要だと母に訴えた。

すると母は端切れの布で、あっという間に簡単なワンピースを作ってくれた。

母の凄さを称賛していると、戦後は貧しくて店も近くになかったから、自分で下着のパンツも縫っていたと言う。初耳だった。

私には母には想像を絶する凄い一面があると驚いた。


母が作ってくれた洋服で私はまたやる気になって、もう一度お人形遊びに挑戦することにした。

しかし、皆は同じ悩みを抱えていたらしく、集まっても沈鬱な感じになってしまった。

テレビの影響も大きかった。

私たちはいつしか素敵な衣装を身にまとうテレビのお姉さん達に憧れを持つ年齢になっていたのだった。

私はともかくとして、皆が持っている人形にどうやって自分の分身としての素敵なお姉さんのイメージを投影するのか。

とても無理だ。

お人形ごっこはもう解散という感じだった。

かといって外の雑草を積んでおままごと遊びをする気にもなれなかった。

私たちの遊びは、もう混迷を深めていった。





1967年、私は9歳で小学校3年生。
ある事件が起きたのだった。


隣のセッチャンが慌ててやってきた。

同じ集落だがいつもは一緒に遊ばない1学年上の富士子ちゃんが凄いものを持ってきたらしい。

『近藤さん家のお庭にいるから一緒に見に行こうや』

と誘ってくれています。

行ってみると、庭先には、10人ほどの女の子たちの人だかりができていました。



『こっちおいで。あんたも見せてもらい。』



そう言って、優しい上級生が、一足遅れてやってきた私を最前列に誘導してくれた。


富士子ちゃんの膝の上を見ると、今まで見たこともないお人形があった。



手足がすらっとして長く、少女漫画のようなフワフワの巻き毛で長い髪。


瞳に星のある大きな目。



富士子ちゃんは、髪の毛をくくって見せたり、腕を回したり、膝を曲げたりしてこの人形の特徴を見せてくれた。



『これ凄いやろ。可愛いやろ。これね、リカちゃんっていうとよ。』



私は初めて見た衝撃で、可愛いという言葉も出ないくらいに固まった。

理想的だった。

お姉さんごっこをするにはこの体型と容姿で無くてはならない。
そう思った。


ただ、リカちゃんという名前を聞いて、私は我に返った。

この人形は、最初から名前があるんだと。
なんだか、私は複雑な気持ちのまま帰宅した。


それからしばらくして、近所の誰かがお人形ごっこを復活させようと言い出した。

私はその時はすでにお人形には興味は薄れていた。

しかし子供の世界の付き合いというか、まあいいかという気持ちで私はお人形を持って隣のセッチャンのお家に遊びに行った。

驚いた。

すでに皆集まっていて、それぞれにリカちゃんを大事そうに持っているのだった。

私はすぐには状況を飲み込めなかったが、そこにはもう、横にすると目が閉じる人形やウサギや薄汚い縫いぐるみも無かった。

皆な手足が長くて巻き毛長髪の新品のリカちゃん人形を持っていた。

私だけがキューピー体型の人形のままだった。

『みんないつの間に…。』

自分は流れに取り残されているのがよく分かった。すごく違和感があった。
一体何が起こったのかと思った。


お人形ごっこを始めても、役柄は無く、皆なリカちゃんだった。

リカちゃんが、勝手にご飯を食べて勝手に髪の毛をとかしている。


犬と猫意外に名前を付けたことの無かった私には、人形に名前を付けることで、自分の分身なのかお友達なのか、その人形に感情を移入することは私には至難の技だった。



帰宅して私の様子が変だったことに母は気が付いた。
どうしたのか尋ねられて、私は


「皆リカちゃんだったので面白くなかった」


と言った。母は、私一人がリカちゃん人形を持っていないことで拗ねていると思ったかもしれない。

リカちゃん人形が無いと仲間に入れないのであれば買ってあげた方がいいのか悩んでいたかもしれない。

そもそも自分が幼い頃に遊んだようなミルクのみ人形では、娘は取り残されるのかと思ったのかもしれない。


私は母に『そうでは無い』と言いたかったが、当時の私の年齢では、うまく説明することは出来なかった。

自分の感情や思いを整理できないまま、的が違うところで母を悩ませているかもしれない。

それだけは申し訳ないと思った。

私にはお人形遊びで取り残されることなど問題では無かった。

決してすねていたわけでは無かった。

それよりも何故皆が人が変わったように変化したのか。
一体どういうことなのかと考えていた。

リカちゃんが無いと挨拶すらしなくなるのか。


リカちゃん仲間に入れない私。

仲間に入るには、リカちゃん人形を買って貰うしか…。

しかしこれは、きっと人形なんてどれも同じとしか思わない父から小言を言われるに違いない。それは一番嫌だった。

自分の知恵で何とか解決したいと思った。




何か策は無いか…。



私は四畳半の畳の部屋で寝そべって、暫く自分の人形を眺めていた。


パカッと頭を胴体から外してみた。

中は空洞。意外だった。

『頭なのに何にも入ってないんやね。』と私はつぶやいたと思う。

よく見ると内側には髪の毛が列を作るように植え込まれ、整然として美しかった。

もしかしてリカちゃんの頭の中も空っぽなのだろうか。

あのリカちゃん人形との魅力の違いは何だろうかとも思った。

私の人形が直毛でリカちゃんが巻き毛であることだけではなさそうな気がした。

私は胴体から手足も外してみた。

胴体も両手両足も空洞であることは察していたが、かみ合わせ一つでパカッと外せて、どれも360度回転可能。

こんな仕組みかと笑ってしまった。


あの時富士子ちゃんは、巻き毛だけで無く、リカちゃん人形は手足がすらりと長く肘と膝が曲がるということもアピールしていた。


あのリカちゃんとの違いは、
植え込まれた髪の毛にウエーブがあること。

手足の長いすらりとした体型。

そして膝と肘が曲がること。


私の人形が優れているのは、
口に小さな穴が開いているので、
付属のミルク容器から水を入れるとおしっこをしたようにお漏らしするというそんな機能だけだった…


お漏らしするようでは、リカちゃんと遊ぶどころか相手にもされないだろう。



まずはミルクのみ人形のリカちゃん化を私は考えてみた。


あの日冨士子ちゃんのリカちゃんを見に来ていた中で、誰かが足と腕に針金が入っているから曲がるんだと言っていたのを思い出した。


針金を空洞の腕と脚に入れて試してみた。

そもそも短い手足は曲げるために出来ているのでは無いため、容易には曲がらなかった。


無理に曲げると手足はその反動で、まるで関節が外れたかのよういパカッと胴体から外れてしまった。


体型だけはどうしようも出来ないと思った。


しかし私は皆の後を付いていくのでは無くて先頭に立ちたかった。

子供心にもそう思っていた。



それには、皆をあっと驚かす打開策が必要だった。




そしてついに私はひらめいた。



私の人形に欠けているのは、固定された名前ではないかと。


私のミルクのみ人形にも名前を付けることにした。

我が家の猫のタマちゃんや犬のメリーのように、名前があれば愛着が生まれるかもしれない。

皆が陶酔したような眼差しで自分のリカちゃんを見るようには行かないまでも、そんな振りをしても不自然では無いくらいの事は出来るはず。



リカちゃんに負けない名前、、、



ヨシコちゃんにミチコちゃんにフジコちゃん…では無くて、

リカちゃんみたいに二文字でカタカナがよく似合う名前。

自分の分身として私の相棒として満足のゆく名前。


『よし、これだ。』
ついに名前は決まった。



私は、人形の洋服を脱がせて、肌色の合成樹脂の背中に青いボールペンで書き込んだ。



『カコちゃん 9才』


何故この名前にしたのか。
何故年齢も書いたのかは覚えていないが、しっくりきた名前で自分と同じ9才だった。

私は新しい人形を買って貰わなくても、自分の人形をある意味リカちゃん化することが出来たことに満足だった。

赤ちゃん体型で手足の短いお人形も、そんなことは何の問題も無いと自画自賛した。

私はすぐに母に説明した。

自分には新しいリカちゃん人形が無くてもしっかりやれていると安心させたかった。


その時の母の表情はどうだったろうか。
思い出せない。

もしかして、母はその表情を私に見せなかったかもしれない。

さっそく翌日、ウチでお人形さんごっこをしようとお友達に声をかけた。


皆、自慢のリカちゃん人形を持って来た。


挨拶もそこそこにそれぞれにリカちゃんごっこを始めた。

誰も私の人形には目もくれない。


セッチャンはチラリと私の手元を見たが、私の手にあるのはいつものミルクのみ人形だったので、そのまま視線は自分のリカちゃんへ流れていった。



一向に私の人形に関心を見せない皆んなに、いよいよお披露目するときがやって来た。



私には、すぐに来る驚きや賞賛の言葉と羨望の眼差しを受け止める用意は出来ていた。



私は人形の背中を出して皆に言った。


『私、カコちゃん。9才なの。よろしくね。』


名前の付いた私のカコちゃん9才は、もう今までの単なるミルクのみ人形では無いのだとアピールしたかった。




どれ位だったろうか。



すごく長く感じられる沈黙が続いた。



静かだった。

誰もヨロシクとも何も言わない。


何か違った。


私は丸出しのカコちゃんの背中を閉じた。

私の中でこれは許されるだろうと思った。
もう絶えることは無いと思った。


それで私は皆に『もう帰ってくれ』と言った。


後で、隣のセッチャンが気を使ってやって来た。


「カバヤのプレッツェルを買うと、リカちゃんが当たるらしいよ。」


富士子ちゃんはまた当たってリカちゃん3つも持っているらしいと教えてくれた。

セッチャンは私を慰めようとしてくれているのがよく分かった。

分かったけれど、それから私は何故かセッチャンとも誰とも遊ばなくなった。

皆と隔たりが出来てしまって、私は一人でいることが多くなった。


そんなことはあったが、もう私も4年生になろうかとしている。
春休み、久しぶりに優しい上級生の広子ちゃんに会った。


『うちに来る?中学校の制服見せてやろうか。』


と言ってくれた。4月から中学生の広子ちゃん。私は喜んで広子ちゃんのお家に付いていった。

真新しいセーラー服を着て見せてくれた広子ちゃんは、優しくて素敵なお姉さんだった。

広子ちゃんのお母さんは、私にお茶を入れてくれた。
ゆっくりしていきなさいと言ってくれた。

落ち着かずそわそわしている私に広子ちゃんは漫画を読むかと言って雑誌を数冊持ってきた。

私は年に1回小学館の雑誌を買ってもらえるだけだったので、興味深く手に取った。


初めて手に取る少女漫画雑誌の『マーガレット』。


強烈だったのは楳図かずおの『へび女』。
少女漫画とは言うものの恋愛ものから、怖いお話まで、色々あった。

新しい世界だった。
夢中で読みふけった。

私があまりにも熱心に読むので、明日からもずっと読みにきていいということになった。


もう春休みが終わったある日、広子ちゃんが不在の時があった。

広子ちゃんがいなくても私は、広子ちゃんのお母さんが好きになっていたので、色々お手伝いをしてあげました。

その代わり広子ちゃんがいない時でも、漫画を読みに来てもいいことになった。


ある日広子ちゃんのお母さんが私に使わなくなった納屋の一室を開けて見せてくれました。

そこには、マーガレットやリボンの漫画雑誌が山積みされていました。

広子ちゃんには上に二人のお姉ちゃんがいた。

その二人は中学を卒業後、大阪で働いているらしい。

その二人がずっと読んでいた頃からの雑誌が積まれていた。

6畳程の広さの一角に天井まで漫画雑誌がびっしりと詰め込まれていた。

『買ったばかりのは広子に悪いから見せられないけど、広子がいないときは、ここの納屋のだったら好きなだけ読んでいっていいからね。』


と言ってくれた。

広子ちゃんは中学生になって、クラブ活動が始まったりしてなかなか顔を合わせることは無くなった。

しかし、それとは関係なく、私はほとんど毎日広子ちゃん家の納屋に入り浸り漫画雑誌を読みふけった。

そのうち広子ちゃんも、私のために最新号をそっと置いてくれていた。

私が6年生になる年の春休み、広子ちゃんはお姉さん達のいる大阪で就職することになり、それをきっかけに母子家庭だった広子ちゃんのお母さんも一緒に大阪へ転居することになった。

私が広子ちゃん家の納屋で最後に読んだのは、一条ゆかりの漫画だった。

一条ゆかりが新人としてデビューしたようなことが書かれていた。

『恋はお手やわらかに』だったと思う。

ストーリーは全く覚えていないけれど、これまでのストーリー展開とは違う新しさを感じたことを覚えている。

『センセーショナル』という言葉。その時に覚えたような気がする。



我が家は漫画本を買ってくれるような家ではなかったので、漫画生活は広子ちゃんと仲良しになった2年間で終了したのだった。

納屋一杯に詰まった『マーガレット』と『リボン』は、ほとんど読破した。

季節は春だった。


広子ちゃん家から最後に帰る日、道の脇の田んぼの小さな用水路には芹や土筆が生き生きと根を張っていた。

おままごとの材料にしようとは少しも思わなかった。

遊ばなくなった皆はどうしているのかな。

もう私の中に何のわだかまりも無かった。


2年間、目をやらなかったおもちゃ箱。
直毛のカコちゃんもまだいた。
背中が見えている。

『カコちゃん、9才』

ひらめいた名前が何故カコちゃんなのか記憶は無いけれど、青いボールペンで書いた背中の文字は、まるで刺青を入れたように消えずに肌色の皮膚に染み込んで少しにじんでいた。

いろんなものが過ぎて終わって行ったと思った。


Nolly

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