叱る

教える立場であるが、わたしは叱るのが、割りと苦手である。
特に多いのが、携帯電話やスマートフォンを叱る場合。

何を言ってんの、注意されて当然でしょ

と思うひとが大多数かと思う。私も実際はそう思う。
どうしても嫌われる立場なので、
嫌われたくないんでしょ?
と思うひともいるかも知れない。

嫌われることが恐怖に感じるような生き方をしてきたので、間違ってはいない指摘である。嫌われたくないという気持ちが少なからずあるのは、事実である。
ただ、ご機嫌とりをしてるとか、好かれたい、とかは思っていない。
最近は神経も図太くなってきて、嫌われることも抵抗を感じなくなってきたので、克服しつつあるけれど。(これはほんとによかったです)

パフォーマンスで叱ってみたり、試行錯誤を繰り返してはいる。
しかし、根本的に冷めている自分がいる、ということに気が付いた。
携帯電話触っていようが、正直どうでもいいというところに、気付いてしまった。

携帯電話をさわって、聞いていなかったから点数が悪い、平常点が低いのは、自分のせいだし、触ってはいけないと言われている(1回目の授業の最初には宣言している、触っていたら平常点がさげるよ、と)携帯電話をさわることによる責任は、自分が取らねばならない、と思っている。
(かといって注意を全くしないわけではない、毎度毎度言うことはしないというだけです)

ただただ機械のように、携帯電話触っていたら反射的に注意して、ということはとってもしづらい。

なぜなら、
まず、今の生徒は携帯電話があれば触ってしまう、ある種の依存症であるという点。
生まれて既に携帯電話があった生徒たちは、暇潰し、ゲームの続き、メール、そういったものがたくさんある世界で生きてきた。
私たちとは、全く違う世界で、同じ価値観で生きている。もはや違う民族だ、と思っている。

何といっても自分が携帯電話を触っていた部類だから、という点。(その分ものすごい平常点が低かった)
自分にとって、自分にできてないことを相手に強要することは、かなり困難である。
気持ちも分かるし、自然にそうなってしまうのは、もはや習慣で変えにくいものであることも分かっている。

だから、叱るというよりかは、今はなぜ携帯電話を触ってはいけないのかを教えることに力を入れている。

なぜ相手が不快に思うのか。
痛い目みる。自分に帰ってくる。
それを伝えるようにしている。

でも、今の制度では叱らないといけなくて、
変だなと思いながら、嫌われることを、今日も言う。