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ドナテッロの彫刻を見て

少し前に、フィレンツェのサンタクローチェ教会(Basillica di Santa Croce)に、ドナテッロ(Donatello)の彫刻、受胎告知(Annuncazione)を 訪ねていった。
吸い寄せられるようにして作品の前に長い間留まっていると、実際の風景や人間よりも美しいのでないかと思えてきた。                もちろん造られた作品と現実の世界は次元が異なり、比べるのは無理があるかもしれない。                             けれども、体の動き、衣服のひだ、顔つき、の表現など、それぞれの要素は実在の物を基に表されているはずのものが、全体として、人物の配置のバランスや奥行き等々と見事に調和していて、この彫刻にまるで一つの別の世界が造られているように感じられたのだった。                  

緻密で完成度が高いのにも関わらず、決して主張の多い作品ではなかった。 天使とマリアのお互いの慎みの態度がよく表れていて、それはそのまま、ドナテッロの信仰の念のようにも思えた。

ところで、信仰と生活が切り離せなかった近代以前では、その頃の芸術のほとんどが宗教に絡んでいるので、作品を宗教性から区別して評価するのは難しい。むしろ、作品から感じられる信仰心が、その価値に対して説得力を増す。例えば、奈良時代の仏像や、ルネサンスの先駆けであるジォット、5ー6世紀の東ローマ帝国のモザイク、音楽ではバッハなど。             ドナテッロのこの彫刻も、そういった作品の一つに思えた。        

そして当然、宗教性のある芸術と近現代の芸術では、見方も受け取り方も異なってくる。                              私にとっては、まっすぐにその世界が心に届き、魂を揺さぶられるような感覚になるのは、宗教性のある作品に触れた時のほうが多い。         逆に、作者それぞれの生い立ちや社会背景を考えながら、関心して見ているのが近現代の芸術である。


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