Nomad

イタリアはフィレンツェに来て2年。休みのたびに出かけています。他の街にも住んでみたい、、

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イタリアはフィレンツェに来て2年。休みのたびに出かけています。他の街にも住んでみたい、、

最近の記事

シチリア、ノートにて / A Noto

シチリア南東部の町ノートまで、シラクサから日帰り観光。       時刻表に記載されているはずの、バス運転手にも確かめたはずの、帰りのバスが、来ない。                            16時の次は、終バスの19時。電車が少し離れたとこから出てたっけ。 それでも2時間は来ない。                       春の陽気とはいえまだ2月、おまけに母との2人連れ。          終バスに賭ける冒険は、、、おもしろそうだけど次回にしよう。 「ほ

    • チップについて / La Mancia

      イタリアに来てから始めたウェイターのアルバイトで、チップをもらうことがある。日本で6年間ホテルに勤めていたにも関わらず、いまだにチップを受け取るのは苦手である。今までの最も高額なチップは1万円。それも宿泊客ではないゲストからだった。   ゴールデンウイークでごったがえしのロビーで、60代の日本人夫婦がそわそわしていた。神奈川からのご夫婦で、カメラと7-8万円の現金が入ったポーチを探していると言う。ホテルでお茶をしてからタクシーで銀閣寺に行ったが、そこでポーチがないのに気が付

      • まだまだ何でもできる、かもしれない/Una strada cambia, puoi le altre possibilità di più?

        季節が一巡すると、気温や日の長さや匂いがきっかけとなって、過去の同じ時期のことを鮮明に思い出す。                   一年前の今頃に、会社を辞めるかどうか悩み始めた。 気晴らしに訪れた映画館で、イタリア人監督エルマンノ・オルミ(Ermanno Olmi)の「楽園からの旅人」http://www.alcine-terran.com/rakuen/  (原題'il villaggio di cartone')を観た。     

        • Io sono straiera in Italia. La apparenza, la lingua sono completamente diversi. 私は外国人です、外見も全く異なります。

          「私は、外国人です。あなた方とは見た目の全く異なる東洋人です。」   街で人とすれ違う時はいつでも、心の中でこう呟いている。   目と髪は黒く、小柄で、黄色い肌。見た目からは、とてもイタリア語が母語であるように見えない。たとえ20年住み続けてイタリア語を流暢に話しても、「あの人は日本人だけど」、という注釈がなくなることはないだろう。   それほど、異なる外見であるということは、違和感の決定的な要素であるように思う。   硬い石畳のガタガタの道を足元に注意しながら行く度に、

        シチリア、ノートにて / A Noto

        • チップについて / La Mancia

        • まだまだ何でもできる、かもしれない/Una strada cambia, puoi le altre possibilità di più?

        • Io sono straiera in Italia. La apparenza, la lingua sono completamente diversi. 私は外国人です、外見も全く異なります。

          イタリア語の過去時制・・

          イタリア語の叙法には大きく分けて5つの叙法、直説法、命令法、接続法、条件法、不定法、がある。                        それぞれの叙法に過去・現在・未来といった複数の時制が存在するが、最も一般的な叙法、直説法(話者の主観を交えない、客観的な事実判断を示す叙法)には、最大の数の時制がある。                     その数、なんと8つ。                         現在・単純未来・先立未来・近過去・半過去・遠過去・大過去・先

          イタリア語の過去時制・・

          旅・たび・タビ

          今年の冬の終わりに会社を辞めた。退職後イタリアに渡航するまでの2か月間に渡って、約2週間ずつ3回の旅に出た。 最初の旅は、沖縄は久高島だけ訪ねた後は博多から西に移動して長崎の教会群へ。2回目は東京でたくさんの友人に会った後、東日本大震災の被災地、三陸海岸を松島から八戸まで北上。3回目は、草津(初めての温泉旅行)を訪ね、次に福島の第一、第二原発付近を案内いただいた後、北上し、遠野、秋田、山形とまわった。 荷物は、そんなに大きくないリュック一つ。中身も最低限の内容で、服の替え

          旅・たび・タビ

          ドナテッロの彫刻を見て

          少し前に、フィレンツェのサンタクローチェ教会(Basillica di Santa Croce)に、ドナテッロ(Donatello)の彫刻、受胎告知(Annuncazione)を 訪ねていった。 吸い寄せられるようにして作品の前に長い間留まっていると、実際の風景や人間よりも美しいのでないかと思えてきた。                もちろん造られた作品と現実の世界は次元が異なり、比べるのは無理があるかもしれない。                             けれ

          ドナテッロの彫刻を見て

          大学生向け「キャリア形成」の授業で変わったのは、私のキャリアかもしれない

          2013年5月末、約1年前に、当時勤めていた会社の近くの大学に「キャリア形成」というテーマで仕事について話をする機会があった。そもそも、就職活動を念頭に置いた「キャリア」を学ぶための授業があることが驚きでもあるが(自ら悩み考えるものではないのか、と言いたい)、学生はまだ2年生。気の毒な世の中だ、と思いつつ、実践的でないことを話した。 このころは、その後1年以内に退職して渡航しているとは全く考えていなかったが、同じ季節が巡ってくると、気温のせいか匂いのせいか、その1年前の出来

          大学生向け「キャリア形成」の授業で変わったのは、私のキャリアかもしれない

          日本語でだって、満足に言い表せないのだから

          思考は言語の制約を受ける、という前回の話を続けると、母語である日本語ですら、満足に考えや感情を言い表せられているとは言えないのである。 誰かと話をする時はいつも、自分の気持ちに近い言葉を選ぶ。しっくりこない場合は、言い換えたり、例えを用いて、言葉を探す。それでも、言いたいことを十分に表せられていない、と感じることは、よくある。                            母語でさえこの状況は一生続くのだから、いわんや外国語をや、である。 ただ、外国語を学ぶにあた

          日本語でだって、満足に言い表せないのだから

          もしもほかの国の言葉を母語としていたら

          異なる国から来た学生と一緒にイタリア語の授業を受けている。  ヨーロッパがバカンスシーズンなのもあって、スペイン、ドイツ、フランス、ギリシャ、スウェーデン、デンマーク、イギリスのほか、ロシア、中国、コロンビア、アメリカからの学生もいる。      イタリア語を学ぶ上でどの部分が難しいか、易しいかは、もちろん、違いがある。例えばある国の人には発音は易しいが時制の概念は大きく異なっていたり、他の人には語順や女性・男性名詞が難しい、など。                      

          もしもほかの国の言葉を母語としていたら

          イタリアに来て早7週間 (6/27投稿分)

          憧れの西洋で、一定のまとまった年月を過ごしてみたい、というのが長い間の望みだった。理由は、時間をかけて、西洋の文化や思想に触れ、考えを深めたいから。 目標もなく、先の生活の見通しも立てずに、このようなとても漠然とした望みだけで渡航することについて、ずっと後ろめたさがあった。大学卒業後、6年間会社に勤め、たくさんのことを勉強させてもらい、異なる考えを持った人々に会う中で、「後ろめたさ」は、最後の1年の間にすっと消え、代わりに、結果がどうなろうとも引き受ける覚悟と自信を持つよう

          イタリアに来て早7週間 (6/27投稿分)