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ニッチを探す

 西江雅之さんという方をご存じですか。私は授業を受けたことがあります。

 文化人類学者・言語学者。若くしてスワヒリ語文法の本を作った人です。言語学関係の本やアフリカや旅行などに関するエッセイがあります。亡くなってしまいました。

 アフリカの話や旅のエッセイは美しい文章で印象的ですが、私が読んでわくわくしたのはこの本。

 運動神経がすごかったり、アフリカ大陸を縦断したり、先生の半生の自叙伝です。型破りの少年・青年時代のエピソードが楽しいです。

 いろいろ変わったことをする先生ですが、先生がふと言った言葉で、「変人とよばれても、奇人とはよばれたくない」というのが耳に残っています。

 奇人も変人もあまり変わりないような気がしますが、「奇をてらう」という言い方があるように、奇人は普通と違うことをして、目立ちたがるということだと思います。

 先生は結果的に普通とは違うことをするけれども、わざと人の気を引こうとしているわけではないと言いたかったのではないでしょうか。

 私はどうか。

 皆がしているものは、なんかする気が湧かない。人気のあるもので好きなものといえば、宮部みゆきと東野圭吾の小説くらいです。あと、居酒屋と日本酒。

 人と同じことをめざして、競争するのが怖いのかもしれません。人に優劣付けられることもいやです。

 モンゴル語を勉強したり、海外赴任でも、マレーシア、スリランカを希望し、欧米あたりの国を希望しないのは、そういう理由かもしれません。

 自分の居心地のいい場所を見つけたいというのが本音です。小さいころ、かくれんぼをしていて押し入れに入ったときの安心感に似たものかもしれません。

 こんな考えにピタットあう言葉が「ニッチ」です。

 英語の辞書を引くと、その人にあった仕事・地位とかその人が生活や仕事で心地よいあるいは似合ったところというのが出てきます。

 小さい頃味わった、押し入れに隠れた時の安心感を味わえる場所はニッチだったのですね。

 これがどこにあるかを大人になっても探してきた気がします。モンゴルだったり、マレーシア、スリランカだったり、隠居主夫だったりです。
 
 私も変人と呼ばれても、奇人と呼ばれたくありません。自分のニッチを探す人です。隙間人。

 西江先生はニッチからニッチへと旅をして、人間の世界の本質を見抜いていた気がします。

 私はニッチからニッチへ遊牧し、心の安寧を飼育します。

 

 

 

 


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