2:6:2の妄想
何もしないアリの話が有名になりました。
2:6:2というやつです。
アリの群れの中の2割が非常によく働き、6割が普通に働き、2割が何もしないという話です。
働かない2割を取り除くと、また2割が働くなるというものです。
人間の社会にもあるという連想を産みました。
私も働かない2割に入りたいと思ってました。トップの2割ではなく、普通に働く6割の労働者としての望みでした。
さて、ここからが私の妄想なのですが、さえている時と普通の時と落ち込むときの自分の脳の割合もこんな感じでバランスが取れているのではないかと考えました。つまり、さえる:普通:落ち込むの2:6:2です。
さえる時ってそうないですが、スパッと決断できた時などはさえた時ではないでしょうか。普通の6割というのは私の経験的感覚としては十分実践していきたと思います。2割くらいはさえない、心配事あり、思い通りにいかない頃ということだと思います。
ダメな2割をなくすために、努力して少しは良くなっても、完全になくなるというのではなく、また、別の新しい悩み事が出てくるような気がします。
私の場合、定年退職して仕事や職場の人間関係の悩みから解放されて楽になったと思ったら、さえてる時が少なくなってきているように感じます。
さえない時も、心配事のある時も、思い通りにいかないときも、そういう状態を自覚することで安心しているのかもしれません。
そういうよろしくない状態になっていることを自覚すると、さえてなくても、普通にできなくても、そういうことが同じ自分にあるんだということを認めて、どこか安心するのかもしれません。多様な自分に対する安心感かな。
noteに出す自分の記事にも、2:6:2がありそうです。
さえてるなぁというのが2,普通だなぁが6,うーんなんか不完全燃焼が2という感じです。
さえた記事だけでなく、ふつうの記事や不完全燃焼の記事を出すことでnoteが楽しく続けられるような気がします。
さて、もう一つ妄想をすすめて、幽霊、おばけを感じること2割、普通の生活が6割、神聖なものと出会うことが2割というのはどうでしょうか?
このバランスは相当できてない気がします。
大体、普通の生活が全部になっていて、俗界に浸りっぱなし。
神様とお化けを捜しに行った方がいいのかもしれません。
さて、今日の記事の具合は、
まあ普通かなぁ。
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