29歳の誕生日、乗り物に乗れない病気の母親と、人生で初めて一緒に旅をした。
私の母は、電車や車などの乗り物に乗ることができない。
パニック障害と言って、乗り物に乗ると体調を崩してしまう精神的な病気だそうだ。
だから、これまで行った数少ない家族旅行の記憶の中に、母がいた事はなかった。
家族揃って、お出かけがしてみたい。
旅が好きな私はそう思うのだけれど、それは一方的な都合なのだ。
母の移動手段は歩きか自転車、他にも体調が優れずよく家の中で鬱々と過ごしていた。
テレビで色々な景色を見るたびに
「どこでもドアがあったらなぁ」と言う母。
どうか、ちょっと出るだけで、旅の良さを味わってもらうことはできないだろうか。
成人するくらいからか、「母と旅行がしたい」という夢ができた。
その時の自分は時間もお金も全く余裕はなくて、現実味はなくあくまで本当に「夢」のような想いだった。
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その後、実家を離れて暮らしながら、あぁようやく余裕がでてきたなぁと思えるようになって来たのは28歳。
私は、家族旅行は難しくても、母と二人の旅行ならできるかもしれない。
と、具体的に実行に移したいと考えていた。
ふと、実行日は自分の誕生日はどうかと思いついた。
もう散々色々な誕生日を過ごして、そろそろ与える順番な気がしていた。
私の誕生日なら、母も気を追わない。
しかも母の好きな桜の季節。
29歳の誕生日は、「母と旅行をしたい」と言う夢を叶えることにした。
乗り物に乗れないとは言ったが、今は車でゆっくり走るなら1時間圏内ならどうにか乗れるということもわかった。
それならなんとか旅行ができそうだ。
近くの桜の見える良い旅館で、広いお風呂に入って、美味しい料理を食べて、マッサージを受ける。
なんてどうだろう。
移動は大変だとは思うのだけど、行って何もしなくて良いのなら、負担は少なそうだし、行ってみる価値はあると思う。
本当にダメなら引き返して、また違う方法を考えよう。
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誘うのは恥ずかしくて勇気がいった。
実家も離れていきなり、親を旅行に誘うわけだから。
母はそれなら行けそうとはいうものの、不安そうな顔をしていた。
母と旅行をするというのは、私のエゴかもしれない。
と、心が痛んだ。
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あれよあれよと旅行の当日、ゆったりお昼から向かうことにしていた。
母は慣れない様子で支度をしていた。
なにせ外泊なんて30年ぶりだと言うのだから仕方がない。
お母さんが家からいないなんて変なのと妹たち。
いいなーなんて言われながら、母娘二人、人生初めての旅行。緊張の出発だ。
あまり寝れなかったと言う母。
やっぱりなぁと申し訳なく思い、休み休み、途中はシートを倒して寝てもらったりした。
それでも普段は慣れて生活しているので、母と二人でぽつぽつ話すことができて新鮮だった。
家から出ない母の話は、世間知らずで、可愛くて、お姫様みたいだなぁと思って聞いていた。
道中、少し横にそれて桜の名所を通った。
川沿いにずっと桜が並ぶようなところだ。
その橋を通った時、一瞬のあまりの綺麗さに、二人でわぁっとなったのが印象的だった。
昔来たことがあって、もう一度来たかった。と言っていた。
その一瞬だけでも、連れ出したかいがあったと思った。
***
天気は少し曇っていて、花曇りという言葉は薄いグレーと薄いピンクが合わさったような情景が浮かんで大好きな言葉で、まさにその通りの天気なのだが、
雨なんかが降らないといいなぁ、と旅行の先行きを物語るような雰囲気だった。
そうしているうちに思ったより時間がかかってしまったが旅館に着いた。
ひとまず引き返さず来れた。そのことに、ホッとした。
案内された旅館も部屋も、奮発しただけあってとても素敵だった。
窓からの景色が、桜と海と広がっていて、この桜の短い期間のためだけに作られたような抜群の眺めだった。
部屋には、窓辺に小さな足湯があって、二人で入りながらゆっくり花見ができるかななんて考えて選んだ。
窓から見える景色に、花の好きな母が喜んでいるのが伝わり、旅行の良さを感じてもらえたかなぁと思った。
夕食まで休んで、旅館の色々出てくる料理をあれこれ言いながら楽しんだ。
遅めの貸切風呂と、そのあとのマッサージも予約した。
一つ一つ、これ嬉しいかなぁ、どうかなぁと考え考え過ごすのは楽しかった。
母はどう感じているだろう。
その日は二人、慣れない床についた。
***
寝れたような寝れてないような翌朝、祈りが通じたのか、なんと綺麗な青空が広がっていた。
足湯に二人で入り、景色を楽しんだ。
青空に海と桜が映え、天気が好転したことを心底嬉しく思った。
チェックアウトの時間を延ばし、ゆっくりした。
そうして何度か眺めていた桜並木を下りて見てみることにした。桜は満開で、人も少なく、ゆったり見れそうだ。
桜並木の中心に行くと、隙間なく植えられた桜の真ん中に立つことになり、
緩やかな坂の助けもあって足元以外全て桜という、どんな名所も負けないくらいの景色が広がっていた。
これ以上ないくらい心地いい温かさの中に、四方に広がる桜。
すれ違った人に二人の写真を撮ってもらった。初めての二人の旅行写真だ。
二人でゆっくり景色を楽しんで、
またゆっくりと帰路に着いた。
あっという間だったけど、無事に旅行ができた。本当に良かった。
未だに思い出すのは、
行きに通った桜並木に、二人でわぁっとなったこと、
二人で綺麗な景色を見ながらはしゃいだ足湯のこと、
これ以上ないお天気の、満天の桜のこと。
そして、二人で一体何年ぶりかに入った広めの貸切風呂で
湯船にいる母が呟いた、「なんか、夢みたい・・」
という一言。
私は一緒に湯船に入りながら、目頭が熱くなって、黙って外を見ていた。
***
あれから、桜の季節には、母と桜を楽しむようになった。
あの旅はどうだった?とは聞けていない。
それでも、それまでテレビに映る景色をずっと恨めしそうに見ていた母は、自分の行った所が出る度にあそこに行った、と話題に出すようになった。
母と旅がしたい。小さくて大きな夢はたくさんの勇気が必要だった。
夢を叶えるには勇気がいるけれど、勇気を出さないと叶わないのだと改めて感じた29歳の春。
今年は4度目の桜の季節を迎えようとしている。
何度一緒に桜を見れるかな。
母とわたしの小さな桜の旅。
サポート頂けると当時の私がむくわれます。