じゃ、無意識って何よ

意識は脳にあるとか原始的な考えだと思ったのだが、意識という定義が脳波だから仕方ないのだった。
なので意識を議論しても意味が無い気がする。
自我の事だと思っていた。自我の方が面白い。自我となると、脳は身体の感覚をキャッチして意識させてるだけの指令組織で、感覚は全身のそこら中で存在する。感情は身体の感覚から来ている。脳に心は無い。脳は脳波が有るだけだ。体から来る雑多な情報を脳が分類したり認識したり記憶したりしてる。
内臓や筋肉も記憶する様な気がするが。わざわざ遠い脳まで行かないと体が動かせない様では動物としてポンコツだからだ。
習慣化された動きは筋肉が覚えてるとしか思えない。脳まで到達してない。実際、脳を介さず動ける。
なので自動化がおきる。
リテラシーというのも自動化の一種だ。

これは大人だから思う事なのかもしれない。子供の時を思い出してみると、うまく自分の体を動かせてなかったと思う。脳が体の動きを知らないので、それを少しずつ覚えていった結果立ち上がり、歩き、走り、飛んだ。
大人ともなると自動化されてる体の動きも、子供の頃脳が勉強して習得した物だった。体が軽くてボールの中へ入っている様な感覚で転げたり飛びはねたりしていた様な記憶。子供の時、何も制御出来ないのだが障壁もなく無限だが世界が狭く感じていたと思う。認識力も無いので単純なイメージだったと思う。

発端は脳が自我だったのか、とも思う。体が成長して、脳が体の動きを覚えて自動化されてからは体の優位性が上がったと思う。
 
脳を低評化したが、脳も体の一部で、今となっては大事な記憶が格納されていて、脳へアクセスする事でわんことの思い出を再生するので、とても大事なのだった。過去色々トレーニングした事の圧縮データも沢山格納されているため、結構脳は重要だ。ここから色んなアイデアも出せる。

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