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ASD(アスペルガー)?アセクシャル?不安障害?

はじめに…これは私、Goreの自分探しを記録しておくものです。
・特定のセクシャリティや病気を糾弾するものではなく、また、糾弾者に賛同するものでもありません。
・ここで扱われる自己分析はプロによるものではありません。
・生きていて心から楽しいと思ってみたい。ただそれだけを願って、記録をつけて試行錯誤しています。


海外に英語を学びに行き一年を過ごして、自分がどうしようもない人間だという気づきを得た。正直その事実を真正面から受け止めること自体、辛い。

私は日本人だ。何年もの間、日本にも自分にも鬱屈していた。

私は女性だ。日本での社会的地位は低かったが、特別な学位もないのに運よく中の下程度の収入を得ていた。

私の容姿は悪くはなかった。化粧をしないと酷い顔色で、だらしない格好だと益々不気味だが、それらをきちんと行えば割と人目を引いた。

私は仕事ができた。割り当てられた仕事は時間内に終え、上司の言うことには一度も逆らわなかった。

私は仕事場で同僚の悪口を言わなかった。自分が悪く言われているのを知っても、その相手のことを誰かに口悪しく告げたこともない。

私は悪人ではない。そう信じていたし、今も信じたい。

私には友達がいなかった。匿名のSNSのフォロワーは多いが、実際に会って日常的に話をするような友達はいなかった。

私には恋人がいなかった。昔から、男性がそういった意図で近づいてくると逃げ出してしまう。女性を恋愛の対象として好きになったことはない。

私にはお金がなかった。給料は一般的な事務職の女性よりもらっていたが、アパートの家賃や税金、保険の支払いでほとんどが消えた。

当時の私は、私に友達も恋人もいないのは、お金がなくて外の世界に出られないからだとぼんやり思っていた。価値観の合う人に会えないからだと。

私は田舎出身だ。周囲の人間の価値観は保守的で前時代的で、それを押し付けられるのが大嫌いだった。1年間海外に行くと周囲に言った時に一番かけられた言葉は「かっこいい白人男性を捕まえてこい」だった。

私はどこかで、私が私らしく生きられないのはこの環境のせいだと思っていた。周りの人間のせいだと思っていた。

私は平凡な人間だ。

きっと広い世界に出れば、この殻を破れるのだと思っていた。多くの先人がそうであったように。

ところが、広い世界に出て直面したのは「何のせいにもできない」現実だった。

私は別の世界に出た。そこは多文化で、確かに日本にはない開放感があった。
私はそこで、日本では決してやらなかったこと、海外でやってみたかったこと全てに挑戦した。

そして私は、自分が思っている以上に自分をわかっていなかったことに気がついた。

おそらく、あらゆる意味で私はマジョリティではない。

私はアセクシャルかもしれない。
私はASD(アスペルガー)かもしれない。
私は不安障害かもしれない。

正直に言うと、その気質は日本にいた時から勘付いていた。だが目を背けていた。世界が変わればもしかして…と言う甘えた考えがあった。

では私はどれなのだろう?実を言うと、いまだに、どれにも確信がない。もしかしたら全てかもしれない。またはもっと別の何かが当てはまるかもしれない。
専門的な医者の診察を受けたこともない。アセクシャルに関して言えば、海外に出るまで存在すら知らなかった。

今後の記事では、なぜ私が自分をそういったカテゴリーだと思ったのか、今後の取り組みなどの詳細を記していこうと思う。

いつか、私が”何”なのかがわかることを願って。


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