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私が選挙に行くようになるまでの話

新しい職場が設けてくれている特別休暇を取った。バンタンのオンラインライブの余韻に浸ることが1番の目的なんだけど、あれをしよう、これを済ませようと、あれこれ頭の中で計画をたてたりメモをした。その中に「期日前投票に行く」も入れていた。投票を終えて家について、このnoteを書きはじめた。

選挙権というものを持ってからの私は選挙には行ったり行かなかったり…いや、行かなかった方が多…いやいや、ほぼ行っていない。投票に行くようになったのはここ2~3年の話だ。

そんな私が選挙に行くようになるまでの、ささいなきっかけのお話。


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新卒入社の会社にいた時、部署の女性陣でビアガーデンに行った。当時の私の上司が「会社内で他職種との合コンを企画しようと思う」と言い出した。そのこと自体は悪くないと思った。したいと思ってる人はきっといる、ニーズはあるだろうと思ったからだ。

が、
その企画を思い立った理由を述べる上司の言葉に、私はとんでもなく違和感と嫌悪感を抱いてしまった。

「みんなにはさ、少子化対策をしてほしいと思ってるのよ」

何を言ってるんだろうこの人は、と思った。

合コンを企画して誰かとお付き合いして結婚して、子供を産めってこと?結婚と子供を産むことを誘導してるってどういうこと?少子化対策へ誘導するための合コンの場ってどういうこと?
参加したいとは最初から思ってなかったけど、「絶対に参加しねぇわそんなクソ合コン。何で個人の意思や気持ちをないがしろにして少子化対策の一環として使われなきゃならんのか。なんで結婚も出産も当たり前の義務のように位置づけられなきゃならんのか。」と強烈な違和感と反感まみれになった。
あの会社を退職してから2年半たつけど、あの会社にいたときに抱いた違和感ランキングがあれば必ず上位に来るであろう出来事だった。

この出来事以前に、この社会で少子化対策だの、結婚も出産も「女性は希望するもの。したいと思って当たり前」という空気や流れにはイラつき、うんざりしていた(今もね)。「そんなに少子化対策したいなら、女性に結婚しろ子供産めって強要するんじゃなくて、子どもへの虐待防止対策をもっとやれよ。大人の都合で傷つけられて命を落としてしまう子どもをなくす努力をしろよ」と前々から思っていたので、余計にあの上司の言葉は相容れなかったのだと思う。

新卒入社の会社では、男尊女卑が当たり前のように蔓延していた。言葉にしないだけで、空気はあちこちに漂っていた。
女性社員の方が給料は低いし、女性の管理職はほとんどいない。なぜか男性社員は対象外になるのが当たり前の水回り掃除片付け当番がある。「女性だから」という理由で回される仕事は他にもあった。意見を言うと「まぁまぁ」と笑ってごまかされ、話題をすり替えられた。「女のくせに生意気」「女なんだから何も怒らずおしとやかにしていればいいのに」は肌で感じ取っていた。

そんな毎日を私は不満いっぱいで過ごし、イライラしていた。会社にも社会にも怒っていた。女性にもっと活躍の場を、と口先だけで機会や居場所をどんどん奪っていく会社。結婚して出産することが全女性の最大で最高の幸せだと思ってる人がいて、しかも自分の直属の上司であったこと。結婚しろ子供を産めと言いながら、育児休業制度や職場復帰しやすい環境、働きやすい環境、配偶者の育児休業制度が整っていない会社は沢山あるとニュースを見かける。

かといって結婚、出産をしていない女性に対しても過ごしやすい環境、仕事をしやすい環境であるとも思えない。私の直属の上司は、結婚、出産をしていないことへの後ろめたさのようなものを時折ぽつりとつぶやくことがあった。彼女が自発的に感じているのではなくて、周囲がそう感じさせるようにしたのだと思う。

自分が感じている違和感や怒りは会社という距離の近い社会にあった。そしてこの「おかしくないか?」という疑問は距離が遠くたって社会全体に沢山ある。「だって会社だけじゃなくて、この国全体がこんな感じだもんね。しょーもな。」とため息がもれたことが何度もあった。

むくむくと膨れるばかりの会社への違和感はある日とつぜん「ぷつん」と切れた。
あの会社にとっての完全なシステムエラーな私は「もう無理、辞めよう」と会社を離れることを決めた。

辞めたら何をしよう?転職?異職種?もっと自分の得意なことや気質を生かす仕事ってあるのかな?フリーランスになることも考えたりした。

今までいた自分の世界から出ていこうとしていると、次の道として色々な話が舞い込んでくる。良いも悪いも引き寄せる。

人づてでとある情報が自分に渡ってきたことがあった。詳細を書くとまた長くなるのと違う話題になってしまうのでここでは書かないことにするけど、そこでこんな言葉を何度も聞くことになった。

お金があれば大体のことは解決できますよ
お金があれば穏やかになって、周囲や社会への不満や怒りは何も抱かなくなりますよ

本当にそれでいいのだろうか?と思った。

自分が自由にできるお金が沢山あれば、この国の国民の社会保障や制度は、どんどん質が悪くなっていっても笑顔でいることができるのだろうか?蔓延している格差や差別、人権を侵害してきた「歴史」や、反省せず侵害し続けている「今」から何も進まなくてもいいのか、全て「どうでもいいこと」になるのだろうか?
私はどうでもいいと思えるのだろうか?どんな社会になったとしても何も思わないのだろうか?

「違う、違うよ。絶対に違う。」
ちょうど同時期に選挙の案内と投票券が届いていた。
わからないながらもTwitterのタイムラインに流れてくる政党マッチングを紹介してくれてるツイートを見て、アクセスして自分の考えに近い政党を知り、投票所に行った。

臭いものに蓋をするという言葉がある。あの場で聞く話は「臭い物にお金で蓋をしましょうね」という言葉のように思えた。

あのとき自分が感じた疑問を無視したくないと思った。あのときの自分が感じた強烈な違和感を信じたいと思った。だからあの場とは縁を切って、一切関わらないことにした。


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全くまとまってないし長いけど、何が言いたいかっていうと、私が選挙に行くようになるまでのきっかけは「ほんのささいな出来事」だったから、ほんのささいなことや小さなことにも社会や政治にはつながりがあるってこと。自分たちの生活と社会や政治には密接なつながりがあるんだと思ってる。

それぞれが感じている疑問や不満、違和感、モヤモヤってとても大事だと思う。私は今の社会に怒ってるし、もう黙らない。怒っていいし黙らなくていい。「おかしい」「違う」って言うと決めたから、あの時の私も今の私も選挙に行く。

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