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名前のちから

エクソシスト映画によく出てくる「悪魔は名前が弱点」というアレが好きだ。
悪魔は真の名を知られると服従しなければいけないらしい。反対に悪魔に自分の名前を知られると大変なことになるというのもある。
名前というのは人間にとっても魔物にとっても、変わらず大切なものだという考えは面白い。
私が今年出演した舞台『異説 東都電波塔 陰陽奇譚』でも、呼び名を名乗った怨霊が「名前が無いってのは良くないからね」と言う台詞がある。
名は体を表す。名がなければ、きっと体も薄れてしまうんだろう。

古い人間だった祖母は、生前よく「○○は女みたいな名前を付けられたから男らしくなかった」みたいな話をした。よしみとか、ひろみとか、そういう性別問わずの名前だ。
今なら「差別だ!」とか言われそうな発言だが、まぁそういう時代の生まれだ。
ただそこを突っ込むと、私の名前である伊織も、男の名前なんだよばあちゃん。

母によると、そもそも女の子が生まれたら“摩耶”と名付けようと思っていたそうだ。
ただそれはお釈迦様ゴータマ・シッダールタの生母の名前だ、荷が重く名前負けしてしまうのではと思い直しやめたと言う。

「摩耶夫人」Wikipediaより引用


それに関しては結果論かもしれないが、私は明らかに摩耶というタイプの人間ではなかったので正解だと思う。

その内、腹にいるのが「もしかしたら男の子かもしれない」と担当医に言われ、ならば“京介”と名付けようと考えた(度々話しているので知っている人もいるかもしれないが、“京介”にはちょっと不思議な縁がある。それはまた別の機会に書こう。)。
それもまた二転三転して、割とギリギリまで「男か女かわからない」と言われていたそうで、祖母と母が悩みに悩んで、じゃあどちらが生まれてもいいようにと“伊織”にしたそうだ。

伊織は武士が名乗っていた名だ。宮本伊織とか、あれだ。
私はこの名前を気に入っているし、なんとなくだが“しおり”や“さおり”でもなかったと思っているし、これでいい。
ただ、どうやらやはり姓名判断などを見れば強い名前のようだ。

そうでしょうとも。

二度言うが、名は体を表す。
少し前まで、あだ名で“いおりん”と呼んでもらっていた。
「到底いおりんってガラじゃあないのよ」とは思っていたが(呼んでくれてることを否定しているわけじゃないよ!)、確かにデビュー当時、俳優時代の経歴やホラー好きというあれこれを封印され、「制服っぽい衣装で現場に行け!」とマネージャーに言われていた時代の私は“いおりん”だったのだろう。

たとえそれが本名ではなくとも、呼ばれるうちに“そう”成ってしまうのも、名前というものの興味深いところだ。

スタジオNGCのゲーム配信で『ARK』をプレイし、族長=ぞくちょというあだ名が浸透してきて、私はいおりんよりもぞくちょに成ったのではないかと感じている。
名前に引っ張られたわけではないが、「この名前で呼ばれるなら、私はこうあってもいいんだ」と、元々の性質を見せられるようになった感覚。
それがはたして族の長なのかと言われると「うーん」となるところだが、“族長”ではなく、“ぞくちょ”と表記されるあたりが私らしい。
漢字で書くよりも少し間が抜けて、身近に感じるお気に入りポイントでもある。

でも、「いおりん」でも「伊織」でも「ぞくちょ」でも「野水さん」でも、好きに呼んでくれて構わないとは思っている。
きっとみんなにはみんなの思う“野水伊織”があるだろうから。

完全なる余談だが、魔物のルールでもう一つ好きなものがある。
吸血鬼をはじめとする魔物は、家人の許しを得ないと(招かれないと)家に入ることが出来ないというやつにワクワク・興奮するのだ。
これは自己分析だが、人間以外の生き物が何らかのルールに則り縛られ生きている、というところに人間味を感じるのがイイのかもしれない。

ともあれ、名前含め、どんな存在をも縛るルールをつくることが出来る“ことば”の力はやっぱり面白いのだ。

追伸:
バナーにした写真の文字は、今年の2月に舞台共演した阿川祐未ちゃんが千穐楽にくれたお手紙とともに書いてくれたもの。
私の名前と、役名と。ゆみちゃんの字、力強く美しくてとても好きなんだよなぁ。

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