野水伊織

ホラー“と”映画のことばっかりな声優。通称ぞくちょ。 作詞/コラム/映画取材なども。

野水伊織

ホラー“と”映画のことばっかりな声優。通称ぞくちょ。 作詞/コラム/映画取材なども。

最近の記事

京介

かつて立派なオタクだった私は、小学校高学年の時期には、クラスの友だちと交換マンガを描いたり、オリジナル小説を書いたりしていた。 その際にキャラクターの名前を考える中で、特に気に入った名前があった。それが“京介”。 なんとなく京という漢字ときょうすけという響きが好きで、その名前はやがてイベントなどで男装をした際、「双子の兄の京介です」と名乗るのに使っていた。 いつだったか、もう十年以上前のある時、おかしな夢を見たことがある。 夏の暑い日、私は海沿いの街に出掛けていた。 海の

    • 絶望した!

      以前は何でもかんでも「終わった\(^o^)/」となるスーパーネガティブマンな私も、最近では簡単に絶望することはなくなった。 ただどうやら、それもごく稀にあるらしい。 「観たかった映画の配信が終了してしまっていた時」だ。 その絶望が初めて訪れたのは、ルシオ・A・ロハス監督(Lucio A. Rojas)の『SENDERO』。 「これは観たい!」と辿り着いたその直前に、Netflixでの配信期間が終了していたのだ。 (邦題:『血塗られた道の悪夢』) ほんのちょっと前までは

      • 取り留めもない話

        ドラマ『アンナチュラル』の第三話に、「人なんてどいつもこいつも切り開いて皮を剥げばただの肉の塊だ 死ねばわかる」という台詞がある。 『アンナチュラル』は何度観ても何度でも泣いてしまう一番好きなドラマだ。 その中でも中堂さんというキャラクターは、この台詞で常々私が思っていることを言語化してくれたから思い入れが強い。 これは仕事の技術を無視して性差別する人間に対して吐かれた台詞なのだが、それと同時に死生観の表現でもあると思う。 若干のネタバレだが、中堂さんは大切な人を喪った人物

        • 名前のちから

          エクソシスト映画によく出てくる「悪魔は名前が弱点」というアレが好きだ。 悪魔は真の名を知られると服従しなければいけないらしい。反対に悪魔に自分の名前を知られると大変なことになるというのもある。 名前というのは人間にとっても魔物にとっても、変わらず大切なものだという考えは面白い。 私が今年出演した舞台『異説 東都電波塔 陰陽奇譚』でも、呼び名を名乗った怨霊が「名前が無いってのは良くないからね」と言う台詞がある。 名は体を表す。名がなければ、きっと体も薄れてしまうんだろう。 古

          私の大切な誰かにとって、私が大切とは限らない

          人見知りだしあまり他人に興味のない私だが、もちろん大切な人はいる。 変に気負わずに会える、家族のような人たち。 でも、その人たちにとっても私が同じだけ大切な存在かどうかはまた別なのだ。 それを理解しているから、大切な人のことを想うときいつも躊躇する。 かつて私の母が癌になったとき、同じ癌を患う人たちの集いで知り合った友だちを紹介してもらった。 その人は私よりも年上で、母よりも年下の女性だった。 彼女は元々東京でイベント運営などの仕事に就いていて、だからこそより私の仕事や活

          私の大切な誰かにとって、私が大切とは限らない

          お誕生日、でした。

          昔から誕生日というものが苦手だった。 というより、自分のことが嫌いだったから、生まれてきたことを祝われても素直に喜べなかった。 でも今はそんなことはなくて、自分のことも好きになった。お祝いしてくれる人たちの気持ちをわーい!!と無邪気に受け取れるようになった(照れ臭さはあるけどね!!)。 だから私の周りの優しい人たちや、応援してくださる方々には感謝している。ありがとお!! ただ今も変わらないこともある。 サプライズが苦手。 “当日”はどうでもいい。 この二つだ。 あ、でも

          お誕生日、でした。

          後奏の時間

          ライブで歌を歌うことが決まるたび、「どうやって魅せるべきか」と常々悩む。 私が参加しているユニット・sweet ARMSの曲のように、振り付けがあるものならそれはそれで完結する。でも踊るような楽曲でもなく、振り付けをするようなものでもない場合もある。 Tシャツにジーンズ、そしてマイク一本で魅せられるようなスキルもない私は、いつも衣装からさてどうしようかと考える。 曲のイメージからどういう世界を見せたいのかを考えて、じゃあこんな衣装にしようと決める。 そして振り付けはなく

          後奏の時間

          夕暮れ時はいつも怖いから

          夕暮れ時はいつも怖いから、そわそわと落ち着かない気持ちになってしまう。 特にこの時期、秋から冬にかけての日暮れが早まる季節には。 かつて幼い私の門限は17時、夕方5時だった。 その時刻には17時を知らせる鐘がメロディを奏でてくれるので、時計など持っていなくてもそれが鳴り終わる前には家に着いていればよかった。 ただ家から離れたところで時間を忘れるまで遊んでいたときは別だ。 「これが鳴り終わるまでに家に着かなかったら怒られる」。そんな必死な思いで家へと駆け出したものだった。

          夕暮れ時はいつも怖いから

          運命の別れ道

          人生にはちょくちょく分岐点や別れ道みたいなものがあって、「あの時こうしていたら……」みたいなものは誰にだってあるんだと思う。もちろん私にも後悔した過去は様々ある。 でもまあそんな過去を振り返っても仕方ない。それよりも、今とこの先をどう生きるかが大事なわけですよ。 ネガティブな私も、意外とポジティブに生きている。 ただ、「あの時こうならなくてよかったな」という逆の記憶ならよく思い出すものがある。 まだ私が幼い時分、群馬の桐生市に住んでいた頃のこと。 当時は家族で、よく太田市

          運命の別れ道

          憧れの鍋

          今日は急に寒いじゃないの。 「雨が降って気温が下がるよ」という天気予報が出た日でも、普段の私は油断しない。 「涼しそうだな」と思って長袖で出掛けると、蒸し蒸しした湿度で汗をかく、なんてことがよくある、湿度にとてつもなく弱い北海道育ちだからだ。 でも今日は本当に寒いじゃないの。 こんな日は鍋だ!と、買い置きしていたお気に入りの「魅惑の丸鶏清湯鍋用スープ」で豚バラ白菜鍋豆腐入りを作って食べた。 お鍋は楽だしあたたまるし、寒い時期は頻繁にやるのだが、いつかやってみたい憧れのお鍋

          へそ天と悪夢

          私は日中いつも眠い。気を抜いたらどこでも寝られそうなほど眠い。 まぁそれは夜ふかししてるからだというのはもっともな話なのだが、そもそもが18時くらいを過ぎると、何故だかパッと覚醒するのだ。 だもんで、必然的に夜ごはん後の時間からが作業や家仕事の本格的な時間になる。 この業界の人たちは割と夜型だという話を聞く。ひどい人だと昼夜逆転している人もいるし、ほぼ朝まで起きていたのに朝から仕事に出掛ける人もいる(いつ寝てるの?)。 そういう人はショートスリーパーなのかもしれないけど、そ

          へそ天と悪夢

          普遍的な“エモ”

          『テート美術館展 光 - ターナー、印象派から現代へ』で観た、ジョン・ブレット『ドーセットシャーの崖から見るイギリス海峡』という絵があまりに美しくて見惚れた。 天から掛かるいくつかのエンジェル・ラダー(天使の梯子)。 光を受けて輝く水面、海のまだらな碧、蒼、青。 紛れもなく絵画なのだが、光の表現としては写真のごとく完璧だった。 やはり皆惹かれるのか、この絵の前には人だかりが出来ていた。 しかし人は何故、明るい日の(大凡は夏の)海に惹かれるのだろう。晴れた日の碧く輝き揺れる

          普遍的な“エモ”

          好きな色のはなし

          好きな色のことを、考える。 日常的に使うものや服の色などは、皆自分が好きだったり似合う色を選ぶのではないだろうか。 子どもの時分、私には特別だと感じる色があった。水色とピンクだ。 色鉛筆というのは大概類似色の順に並べられているものだが、私はその二色を隣同士に並べていたし、減ってしまうのが勿体無くて、躊躇しながら使っていた。 何故そんなにもその二色を気に入っていたかというと、私にとってそれは、お姫様と王子様の色だったから。 色鉛筆を取り出す度に、水色の王子様とピンクのお姫様が

          好きな色のはなし

          あるいは(クロエ・グレース・モレッツがもたらす予期せぬ奇跡)

          「お前の芝居、クロエ・グレース=モレッツに似てるんだよな」 あれは2016年。舞台稽古の真っ最中に、主宰兼演出の方に言われた言葉を今でも忘れない。 くろえ、ぐれーす、もれっつ。映画を観る習慣のない私ですら、名前を聞いたことのある役者だった。 「え、そうなんですか?」 ただ、映画を観る習慣がない私だ。くろえぐれーすもれっつさんがどんな芝居をする役者なのかわからない。当時の私は外国の方の顔を覚えるのが苦手だったし、顔すら曖昧だ。 「うん。体当たりな芝居が似てる」 それなのにその人

          あるいは(クロエ・グレース・モレッツがもたらす予期せぬ奇跡)

          『ポスターでみる映画史 Part 4 恐怖映画の世界』に見る、恐怖のススメ

          京橋にある国立映画アーカイブにて12月13日(火)から開催される、『ポスターでみる映画史 Part 4 恐怖映画の世界』の内覧会にお邪魔させていただいた。 宣伝ポスターを通して映画史を振り返るというこの企画展示は、これまで三度、都度ジャンルを絞って開催されてきた。 今回四度目の開催にして、私からすると満を持して恐怖映画にスポットが当たったというわけだ。 ホラー映画ではなく、“恐怖”映画と呼ばれるのも、趣があってまたいい。 展示は、章ごとに年代や恐怖ジャンルで分けられている

          『ポスターでみる映画史 Part 4 恐怖映画の世界』に見る、恐怖のススメ

          バレンタインから派生した、ひとつのMDのお話。

          二月のイベントといえば、節分とバレンタインデー。 トークネタとして、節分はともかく「バレンタインの思い出は?」というのを、仕事柄鉄板で訊かれる時期でもある。とはいえ皆さんはどれほど思い出があるだろうか?私は、無い。 「そうですねー。チョコレートが好きなので、何年間か、バレンタインの催事で自分用のチョコをかなりの額買い込んでいましたね(笑)。最近は好きなお店のものだけ買うようにしています(笑)。」 というトピックしか無いはずだった。 しかし先日不意に、特別な“Awesome

          バレンタインから派生した、ひとつのMDのお話。