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取り留めもない話

ドラマ『アンナチュラル』の第三話に、「人なんてどいつもこいつも切り開いて皮を剥げばただの肉の塊だ 死ねばわかる」という台詞がある。
『アンナチュラル』は何度観ても何度でも泣いてしまう一番好きなドラマだ。
その中でも中堂さんというキャラクターは、この台詞で常々私が思っていることを言語化してくれたから思い入れが強い。

これは仕事の技術を無視して性差別する人間に対して吐かれた台詞なのだが、それと同時に死生観の表現でもあると思う。
若干のネタバレだが、中堂さんは大切な人を喪った人物だ。そんな彼が発するからこそこの台詞の含蓄は深い。

人は普段、皮を見て美しいとか醜いとか言う。個人的に好きなガワってのはみんなあるとしても、ガワに気を取られて中身をこれっぽっちも見ない奴も多いからまぁ辟易する。
でもさ、そんなガワは結局はただの皮に過ぎない。
みんな皮と筋肉と脂肪でつくられた、動く肉の塊だ。
死んでそこに横たわれば、私たちが食べている牛や豚となんら変わらない。そこにあるのは、それが元の形を留めているかカットされた肉かの差だけだ。
こういうことを言うから厨二だとか言われるんだろうけれど本当のことだから仕方ない。我々が肉の塊じゃなかったら、熊だって食べやしないよな。

ならばその肉の塊が人間たり得るのは、何を以てしてなのだろうとよく考える。

想いとか、こころとか、魂とか。
そのどれもが、私にとってはロマンを感じるから信じたい(と思う故に信じている)。
でも人間が動作を停止した後、ブツっとブラウン管テレビの電源を落としたように終わってそれっきりなんだろうと思う、ドライな私も同時に存在している。

まぁどれだけ考えたって答えは出やしないんだけど。出たところで、死に足を踏み入れたことがない私のそれは残された側のエゴにしか過ぎない。
ただそれでも茫洋と考えてしまう。
この一週間、そうやって生きていた。

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