なけなしの文句

高校演劇の劇評、書評、音楽評などの雑感集(feuilleton)です。

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向かい風に立ち続けて ―1950年代の高校演劇、岡野奈保美「向い風」再読―                                   

0.はじめに 岡野奈保美作「向い風」は、1954年頃の福島県の炭坑街を舞台とした作品であり、執筆当時、作者は福島県のある女子高校の生徒だった。1954年と言えば、2022年の今から言えば68年前に当たる。高校演劇に関する話題は、どうしてもその時々のコンクールや上演を巡って交わされることが多く、約70年も前の作品について言及することは、当時を知る関係者のものでない限り、決して一般的な振る舞いとは言えない(1)。 では、なぜ今「向い風」か。それを読み直すことに、

    • 『自由を守った人々』と憲法記念館〜70年前の高校演劇〜

        はじめに 1949年に第1回大会が開催された徳島県の高校演劇は今年(2019年)、70年を迎えた。現在、徳島県高等学校演劇協議会では70周年記念誌の刊行を準備している。今年の2月には、顧問有志で全国高等学校演劇協議会顧問の浅香寿穂(あさか ひさほ)先生と紋田正博(もんだ まさひろ)先生をお招きして70年を振り返る座談会を行った。座談会は記念誌に掲載される予定であり、70年の歴史の厚みを実感する絶好の機会となった。  なかでも最も心惹かれたのはやはり第1回大会のことだ。協

      • 反動期の高校演劇 7

        反動期の高校演劇〜「らしさ」をつくるために〜⒎「らしさ」をなぞるのではなく、つくるために ナオミ・クラインの最新刊『NOでは足りない』の副題には「トランプ・ショックに対処する方法」とある。トランプ大統領を生み出したアメリカ合州国は、ポーランドやハンガリーのような、事実上の独裁者が支配し民主主義が機能不全に陥った全体主義国家に近づきつつあり、「ポイント・オブ・ノー・リターン(引き返せない地点)」の一歩手前である、というのが、ポール・クルーグマンの深刻な現状認識だが、そのよ

        • 反動期の高校演劇 6

          反動期の高校演劇〜「らしさ」をつくるために〜⒍コンクール以外の活動が開く、現在の可能性と隘路 私はこれまで、現在の高校演劇について、否定的で悲観的なことばかり書き過ぎたかもしれない。たとえば、飴屋法水と福島県立いわき総合高校との『ブルーシート』が岸田國士戯曲賞を受賞する等、プロの演劇人と高校演劇との協働はこれまでに無いほど進んでいるという見方も可能だからだ。ここで『ブルーシート』を引き合いに出したのは、無論、岸田賞が偉いと言いたいのではなく、それがコンクール以外の自主公

        向かい風に立ち続けて ―1950年代の高校演劇、岡野奈保美「向い風」再読―                                   

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          反動期の高校演劇 5

          反動期の高校演劇〜「らしさ」をつくるために〜⒌「らしさ」への異和を表現に高める主体 高校演劇の今昔に思いをはせたのは、『青年演劇一幕劇集【第一集】』(青江舜二郎編、未來社、1959年)の、次のような一節にたまたま目がとまったからでもある。 「ある午後」この作者(岡野奈保美氏)は三年前は高校生で、「向い風」という身売をあつかった作品を書き、それを私(編者の青江氏)が「悲劇喜劇」に推薦した。福島県のコンクールで、これが一位になった時、あとの講評である審査員が ーーー今度は

          反動期の高校演劇 5

          反動期の高校演劇 4

          反動期の高校演劇〜「らしさ」をつくるために〜⒋「らしく」の道徳と「会議の精神」 政治学者の丸山真男は、「らしさ」を重視するのは近代以前の社会、民主主義や討議の精神、科学研究や人権観念等の未発達な社会の特徴だとしている(『日本の思想』) こういう社会(徳川時代のような社会)では、権力関係にもモラルにも、一般的なものの考え方のうえでも、何をするかということよりも、何であるかということが価値判断の重要な基準となるわけです。(中略)こういう社会では、人々の集まりで相互

          反動期の高校演劇 4

          反動期の高校演劇 3

          反動期の高校演劇〜「らしさ」をつくるために〜⒊高校生らしさを産出するコンクールの構造 とはいえ、高校演劇のコンクールはそれ自体として、「高校生らしさ」を評価、産出、拡大再生産する構造を有しており、しかも、それは今に始まったことではなく、おそらく高校演劇の開始以来の問題であろう。そこで高校演劇コンクールの構造を分析する。 (1)上位のプロが下位の高校生を「指導・教化」するコンクール 当たり前だが、コンクールの審査員はその多くがプロの演劇人や全国大会出場・上位入賞経

          反動期の高校演劇 3

          反動期の高校演劇 2

          反動期の高校演劇〜「らしさ」をつくるために〜⒉ 高校生らしさ、それは疑うことを知らぬまっすぐさ、ひたむきさ! 一つだけ例を挙げる。2017年の全国大会(宮城大会)最優秀作、兵庫県立東播磨高校上演の『アルプススタンドのはしの方』は、高校野球県予選の試合をアルプススタンドの端で観戦している高校生4人の話で、舞台設定の妙、巧みな導入、計算された笑いの間、後半の試合展開に観客を引き込む仕掛け等、最優秀にふさわしい内容だが、一方で、高校野球や高校生を取り巻く現実については疑われる

          反動期の高校演劇 2

          反動期の高校演劇 1

          反動期の高校演劇〜「らしさ」をつくるために〜反動期の高校演劇〜「らしさ」をつくるために〜 目次 ⒈ 高校生らしさって何だ? ⒉ 高校生らしさ、それは疑うことを知らぬまっすぐさ、ひたむきさ! ⒊ 高校生らしさを産出するコンクールの構造 (1)上位のプロが下位の高校生を「指導・教化」するコンクール (2)「高校演劇と演劇は別」という差別意識 (3)「高校生らしさ」という評価基準の具体例 (4)高校演劇とプロの演劇界との人材断絶 (5)客寄せパン

          反動期の高校演劇 1

          忘れられても残るもの〜母と野の花〜

          5月になって、空は青く高くなった。新緑は照り輝き、陽気で暑さを感じる日も増えた。「もう夏だな。」そんな言葉が自然と口をついて出る。本当の夏までは、梅雨の6月を通り過ぎないといけないけれど。 そんな5月のはじめ、認知症の母が施設に入った。10年ほど前に若年性認知症を発症した母を、自宅で介護することに父はこだわった。当初は昼間の通所でさえ嫌がった父も、症状の悪化に伴って、数年前、デイサービスの利用を受け入れ、今回、とうとうグループホームへの入所を決心した。3月中

          忘れられても残るもの〜母と野の花〜

          蘇生ノ夜

          一人の女が眠っている。白い服。若い。 1「蘇民将来子孫門………(くりかえし)」(複数で口々に唱える) 1の台詞を口々に唱えながら、白い装束の一群が群がり出てくる。床も一面白い。 夢の中のように女を切る映像(アンダルシアの犬)が白い世界を一面に照らす。 一人の女を白い装束の一群が取り囲む。背後には少し丈高いものが立っている。 白い装束の一群、少し丈高いものからぐらぐらゆれる金物の類を手に取り、祈るように眠る女の腹に突き立てる、一人びとり。 2「アンヤオハンヤアンヤオ

          いのっているのです

          まず一編の詩を紹介します。青春を第二次世界大戦の戦火の下で送るほかなかった詩人が、戦時中の「蛆虫(うじむし)の共感」に反発した意味を、よく汲みながら読んでください。 準備する 茨木のり子 〈むかしひとびとの間には/あたたかい共感が流れていたものだ〉/少し年老いてこころないひとたちが語る たしかに地下壕のなかで/見知らぬひとたちとにがいパンを/分けあったし/べたべたと/誰とでも手をとって/猛火の下を逃げまわった 弱

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          大地をどう踏むか〜高校演劇・春フェス2016観劇記〜

          形式は作品の身体だ。身体のない心や自分は存在しない。自分をどうしようもなく縛り付けるものでありながら、それなくしては存在自体が不可能になるもの。形式は容赦なく作品を縛り付ける。既成のドラマや表現や観客の期待の着地点へと。だから本質的な表現者は皆、形式に抗う。既存の形式を破壊し、そこを脱出しようとする。だが大切なのは、形式の破壊と見えるものは必ず新しい形式の創造であるということだ。なぜならば、破壊が破壊しか意味せず新しい形式がそこに生み出されていないならば、それは作品自

          大地をどう踏むか〜高校演劇・春フェス2016観劇記〜

          剪断応力 〜小沢健二「流動体」への批判〜

          小沢健二の「右傾化」あるいは「全体主義化」についてはすでにツイッター上などで諸氏の指摘がある。それは端的に「小沢健二よ、お前もか!」と嘆息せざるを得ない悲惨事であり、しかもそれは小沢健二の認識不足や状況判断の誤りに起因するだけではなく、かねてからの思想信条の率直な告白でもあるらしいという点で、事態は一層深刻である。やれやれ。 まず事実関係を整理する。1990年代を中心に活躍したミュージシャン・小沢健二の19年ぶりのシングルCD「流動体について/神秘的」が20

          剪断応力 〜小沢健二「流動体」への批判〜