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ブレイン・コンピュータ・インターフェースの可能性とスタートアップの参入機会

はじめに

ニューロテクノロジー(主に、ブレイン・コンピュータ・インターフェース=以下”BCI”)は、アメリカや中国においては投資が急激に加速している技術分野であり、AIやロボティクスの次の人間拡張・パラダイムシフト・社会変革を起こすテクノロジーになる可能性があると考えています。

筆者もまだまだ研究中の分野ではありますが、本稿では、BCIが未来において果たし得る役割、その技術的な課題、スタートアップにとっての挑戦機会、BCIの初期的な社会実装について整理していきたいと思います。

BCIが実現し得るソリューション

BCI技術は、人工内耳などの用途で、以前より医療の世界では使われているものです。とはいえ、BCIが一般社会に普及するまでには、まだそれなりの年数がかかるものと思われます。それこそ、侵襲的に身体機能(視力)を回復させるソリューションであるレーシック手術も、1870年頃にオランダの学者により発案された「屈折矯正手術」が源流にあるそうです。そしてレーシックという手術方法が開発されたのは1990年で、コンセプトの登場から一般市場投入レベルの技術の実現まで100年以上を要しています。

リサーチしている範囲では、いわゆるBCIやBMIは1970年頃からDARPAが本格的に研究に着手しているようです。BCIというコンセプト自体が本格的に登場したのがその少し前だとしても、一般人へのBCIの普及は現時点から少し先になるかもしれません。以下では、21世紀後半においてBCIが一般的に普及したとき、何が実現できるかについて考えてみたいと思います。

身体機能・認知機能の維持および回復

ロックイン症候群やALSの末期患者など、重度の運動障害により話すことや動くことができない人々が世の中には相当数存在します。また、事故により、運動能力(四肢の切断含む)や認知能力を事後的に失ってしまった人々も相当数存在します。こういった方々へのBCIソリューションの提供は、すでに社会実装フェーズにあります。

一般的な人々からすると、上記のようなケースは「例外」に思えるかもしれませんが、今後、大多数の人が当事者として直面するのは「延命問題」です。人間の生命体としての寿命はおそらく今後延びる一方ですが、そのときに私たちの体や脳がどれだけ健康でいられるか、すなわち、社会的な存在としての寿命の長さについては未知数なところがあります。身体機能・認知機能の低下は、他人事ではありません。

この点、生まれつき、事故、老化など原因を問わず、身体能力や認知能力が衰えた場合において、BCIは健全な思考やコミュニケーション、ひいては外界とのインタラクションを維持することを可能にします。実際に、スティーブン・ホーキング氏はその身体的な制約にもかかわらず、音声生成装置を使って世界とコミュニケーションしていました。これは、個人が外部とコミュニケーションをすることを可能にするという意味において、人間の尊厳を確保するテクノロジーです。将来的には、このようなユースケースの拡張パターンが社会に普及していくことが期待されます。

ところで、人間は社会的動物であり、社会における「役割」を実感することも、その尊厳確保に不可欠です。この点、BCIは身体能力や認知能力が衰えた個人が外界とインタラクションすることを可能にし、物理的条件によって制限されることのない就労機会も提供できます。例えば、麻痺した人がBMIを使ってロボットアームを遠隔制御し、身体的制約からすれば本来不可能なタスクを実行することができますし、また、リモートで済むような頭脳労働(デスクワーク)についてもこなすことができるようになるでしょう(例えば、copilotと協働することで、脳からの指示だけでコーディングも仕上げることができるようになるのではないでしょうか)。

ユーザーインターフェースの進化

GUI(Graphical User Interface)は、人間がコンピューターに対して指示を出す方法に革命を起こし、コンピューターを民主化しました。その後は、スマートフォンのタッチパネル操作を経てモバイルコンピューターが民主化され、いままさにLLMを活用した”自然言語UI”(=指を動かす必要すらない)にパラダイムが移行しつつあります。

今後は、BCIが人間とコンピュータの相互作用をさらにシームレスに変化させ、人間が念じるだけで(=タップ入力はもちろん、声を発する必要すらない)コンピューターやロボット、その他の機械を制御できるようになるかもしれません。これにより生産性が向上し、物理的な負担が軽減され、複雑なタスクがより管理しやすくなる可能性があります。

UIが変化することで、表現の手法も変化します。たとえば、デジタルカメラやコンピューターの登場によりアートのフォーマットが変わったように、BCIも芸術表現を変革します。アーティストが思考だけで視覚、聴覚、またはその他の芸術形態を創作できるようになり、新たな創造手法が発明される可能性があるでしょう。BCIにより、身体機能を損傷してしまい創作活動の停止を余儀なくされていたアーティストはもちろん、将来的には、心身が健康な状況においても、BCIを通じて新たな表現活動を行うことができるようになります。

BCIという新しいUIは、ゲームやVRにも革命をもたらし、より没入感のある体験を提供することになるはずです。ユーザーは、思考だけでゲーム内のキャラクターや仮想環境を操作し、現状のVRでの実現が困難な嗅覚や味覚、繊細な触覚も含めて、リアルで魅力的な体験を享受できるようになります。

情報流通・コミュニケーションの刷新(認知機能の強化)

中長期スパンで考えた場合、BCIは、情報流通に革命を起こす可能性があります。この点については、こちらの記事を参照ください。例えば教育という切り口においては、BCIは、脳というデバイスに情報を直接「ダウンロード」することを可能にし、学習プロセスを加速させる可能性があります。これは、認知機能の「強化」と捉えることも可能です。

また、最終的には直接的な脳対脳通信を可能にし、人々が話し言葉や書かれた言語を必要とせずに思考、感情、経験を共有できるようになる可能性があります。これにより、個々人間のつながりがより深いものになり、社会的相互作用の原理が根本的に変わる可能性があります。

あの世界的SF小説「三体」で有名な劉慈欣の短編集に、以下のような描写があります。

「ならば、個体間の情報伝達方法は?」
「非常に原始的で、たいへん珍しい方法です。彼らの体には、きわめて薄い振動する器官が備えられています。彼らはそれを使って、酸素と窒素を主体とするこの惑星の大気を振動させて疎密波をつくりだし、この音波に情報をのせて伝達します。受信にも同様の薄膜器官が用いられ、音波から情報をとりだします
「その方法による情報伝達速度は?」
「おおよそのところ、毎秒 1ビットから 10ビットです
「なに?」この答えを聞いた旗艦の全員が笑い出した。「たしかです。われわれもはじめは信じられませんでしたが、くりかえし確認したので、まちがいありません」

劉慈欣「円 劉慈欣短編集」

つまり、音波を用いるという人間のコミュニケーション手法が、笑えてしまうくらい極めて非効率的である可能性があるということです。脳対脳通信が実現すれば、こういった非効率性も克服できるようになるでしょう。

コンピューティングパワー(AI)の補完

AIが日常生活に加速度的に浸透し、進化を続ける中で、コンピューティングパワーへの要求も急速に増加していくことが予想されます。もちろん、第一次的には発電技術やコンピューティング技術のブレイクスルーにより対応することになると思われますが、一方で、それを上回る速度でAIアプリケーションの急速な拡大が進んだ場合、BCIを活用できる可能性があります。

人間の脳は、現状のGPUなどと比較すると、信じられないほど強力で、計算効率の高いコンピューティングマシンです(と捉えることができます)。人間の脳をデジタルシステムに直接接続することで、BCIは来るべき汎AI社会において必要となるコンピューティングパワーを維持することができるようになるかもしれません。

このとき、(それこそ攻殻機動隊のワンシーンで描かれたように)人間の脳の一部を、分散型の演算処理システムとして借りるということもアプローチもあり得るかもしれませんが、一方で、AIとBCIの分業もアプローチとして有用だと思われます。すなわち、BCI(人間)は直感的・予感的な処理といったAIだと膨大な演算が必要になるようなあいまいなタスクに集中し、AIはそれ以外の演算に集中してもらい、人間とAIそれぞれ単独では対処できないような複雑なタスクに立ち向かうことができるようになるかもしれません。

不老不死(デジタル領域への意識のアップロード)

さらに長期スパンで考えた場合、BCIは、いつか個人の意識をデジタル領域にアップロードすることを可能にするかもしれません。これにより、人々の思考、記憶、経験を仮想環境に保存できるようになります。Amazon PrimeのSF/コメディドラマ「Upload」の世界線の実現です。

なお、意識をアップロードしても、オリジナルの生体に宿る意識は残るので、厳密にはコピーが生まれるだけとの考え方もあります。しかし、コピーが残っていれば、生体的な死は回避できずとも社会的な死は免れることができるようになり、十分に画期的なことではないでしょうか。

これは、デジタル世界での、あるいはデジタル x アナログ世界での”人間”同士の相互作用に新たな可能性を開くのみならず、人間の存在自体が生物学的形態によって制約されなくなり、”人間”の定義が変わる可能性もあります。

BCIの技術的課題

BCIは非常に大きな可能性を秘めていますが、解決すべき多くの技術的課題が残されています。

まず、BCIにおいては高解像度でリアルタイムかつ非侵襲的な方法で脳から神経信号を取得する方法を編み出すことが重要になります。たとえば、現状のEEGやMEGでは、空間分解能やノイズ処理に制限があります。

複雑でノイズの多い神経信号を正確に解釈することも重要です。BCIシステムで利用者の意図を解読し、実行可能なコマンドに変換するためには、高度なアルゴリズムやAIが必要となります。この点については、直近のニューラルネットワークの加速度的な進化に期待したいところです。

また、利用者の意図とそれに対応する行動の間の時間遅延(レイテンシー)を最小限に抑えることは、シームレスで効率的なBCI操作に欠かせません。レイテンシーの短縮には、信号処理、デコーディングなどおける技術的進歩が必要となります。

加えて、BCIには当面はパーソナライズ(個人に対するチューニング)も必要になります。神経の特徴は人によって、また同じ人でも時間の経過とともに大きく異なることがあるためです。利用者の独自の神経パターンを学習し、それに適応するシステムを開発することが、最適な性能を実現するために求められるでしょう。

もちろん、BCIはデバイスとしてより洗練されることも求められます。現在のBCIハードウェアは、かさばったり、ジェルを利用するほかなく不快感を与えたり、侵襲的な埋め込みが必要なことがあります。コンパクトでユーザーフレンドリーで快適なデバイスを開発しなければ、BCIが一般社会に普及することはないでしょう。とりわけ、侵襲型のBCIデバイスの場合、生体適合性と長期的な安定性を確保することが欠かせません。これはまさにニューラリンクが直面している課題ではありますが、組織損傷、炎症、免疫反応を最小限に抑えつつ、長期間機能を維持するためのデバイスの開発が求められます。

その他、データを不正アクセスや悪用から保護することも重要となるでしょう。人間の脳が「オンライン」に接続されるようになった暁には、(攻殻機動隊に出てくる「攻性防壁」のような)超高度なセキュリティ技術が求められるでしょう。

BCIにおけるスタートアップの機会

ソフトウェア業界でよく見られるように、最終的には大手テクノロジー企業が市場をリードするかもしれません。資金、研究開発能力、人材へのアクセス、製造・供給チェーン、既存製品・サービスとの統合などの利点を活用できるため、BCIという新興技術の領域においても、一定の優位性があります。

しかし、個人的には、スタートアップがこれらの技術的課題を克服し、BCIの未来を形作る上で重要な役割を果たす余地が大いにあると考えています。BCIに関連するリスクが、大手テクノロジー企業にとっては容認しがたいものが多く、初動に遅れが出る可能性があるからです。

まず、大手テクノロジー企業は、確立されたブランドや評判を守る必要があります。BCIの開発(特に動物実験など)や導入に関する論争が、彼らの評判や世間のイメージに大きなダメージを与える可能性があります。また、BCIの規制環境は流動的であり、広範な製品ポートフォリオとグローバルな事業を持つ大手テクノロジー企業は、新しい規制に素早く適応することに苦労するかもしれません。さらに、BCIはデータセキュリティや技術の悪用に関する倫理的およびプライバシー上の懸念を引き起こします。既にデータ収集やプライバシー慣行について検証を受けている大手テクノロジー企業は、BCI分野に進出すると、一般の疑念や批判が高まるかもしれません。

リスク許容度を持つスタートアップこそ、BCI開発のフロンティアを押し広げることに挑戦するべきです。

BCIの初期的社会実装=喫緊のニーズへの対処

前述のように、BCI分野には数多くの技術的課題が存在します。これらの問題すべてに一度に取り組むことは困難で時間がかかります。

先行投資が必要であることを考慮すると、適切なステップを設計し、資金調達を実行しなければ、途中で資金が尽きてしまいます。したがって、中長期的な技術・ビジネスのマイルストーンを設計し、最も喫緊の課題に対処する解決策を実現することに焦点を当て、BCIの社会実装を順を追って進める必要があります。

そして、BCIが最も喫緊に対処すべきニーズは、障害や健康状態のある個人の「尊厳の回復」の領域なのではないかと考えております。

例えば、BCIは、ロックイン症候群、ALS、四肢麻痺などの重度の運動障害を持つ人々が、思考だけで効果的にコミュニケーションできるようにすることが期待されています。これは彼らの生活の質を大幅に向上させ、個人の尊厳を回復させることができます。BCIはまた、パーキンソン病、てんかん、アルツハイマー病などの神経障害の診断、治療、管理にも役立ちます。これには、深部脳刺激、発作の予測、認知機能低下の早期検出などの技術が含まれます。

また、BCI技術は、うつ病、不安、PTSD、認知症、その他の精神障害などの問題に対処するメンタルヘルス分野での活用も期待されています。ご存じのとおり、メンタルヘルスはすでに大きな社会問題となりつつあり、今後もこの傾向が加速していくと予想されます。技術の急速な変化(LLMの急激な進化を含む)やグローバル化により、個人間(さらには個人とテクノロジー間)の競争が激化し、不確実性や雇用の不安定性が高まっています。これにより、働きすぎ、燃え尽き症候群、絶え間ないプレッシャーなど、メンタルヘルスに悪影響を与える要因が増加する一方です。

さいごに

BCIは、第一次的には「人間の尊厳を回復する」という大きなテーマに挑戦する技術となりえます。こういったBCIのポテンシャルを評価・探求し、技術的な課題に一つ一つ対処していくことで、人類は次の産業革命をもたらすことができるはずです。

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