高校野球で「リーグ戦」? 〜考察とか考案とか〜

今年、2023年の「夏の甲子園」も、この記事を投稿した8月19日で準々決勝までを終えてベスト4が出揃いました。
「高校野球」「甲子園」について、ここ数年は特に様々な立場や角度からの意見・提言を見るようになりました。ぼくも野球好きとして意見はありますが(投手の球数制限とか夏の開催時期・球場についてとかね)、テーマとして扱うには高校野球は包括されるカテゴリが多くて言おうにも最初のとっかかりがないので、とりあえず直近で目にした「リーグ戦」について記事を書きます。


トーナメントはトーナメントであっていいし、リーグ戦もリーグ戦であっていい。

この記事を読まれている方なら説明は不要だと思いますが、高校野球の「軸」には春のセンバツ、夏の甲子園の2つが挙げられると思います。その脇を固めるように秋の神宮大会だったり国体であったり、センバツの後に行われる春の都道府県レベルでの大会があったりするはずです。
高校野球に絞って言えば、大会のほとんどはトーナメント方式ですよね。
トーナメントにはトーナメントの利点があるし、日本の高校野球の歴史を見るとほとんどの期間を「トーナメントで過ごした」わけで。ファンはもちろんそうでない人も馴染みがあるし、日本人の感性としては「トーナメントが生み出すドラマ」が強く響くんだとは思います。

高校野球におけるトーナメントの懸念点として「エースピッチャーに負担が集まりやすい」、「全ての選手に出場機会を与えられない」などが考えられます。
後者についてはその解決手段として「リーグ戦」があると思うので後述しますが、前者については球数制限を設ける、今年からの施策としてクーリングタイムを設けるなどしてなんとか負担を軽減しようとしています。
日本のスポーツ界では多分日本相撲協会と並んで「サンドバッグになりがち」な高野連ですが(あくまでぼくの偏見。大相撲のファンでもあるぼくとしては不本意なんだけど…………これもいずれ話す時は来るでしょう)、全く無策でいるわけではないんです。

それを踏まえた上で、ぼくは別に「トーナメントを無理に無くさなくてもいいんじゃない?」と思います。
単純に今ある仕組みを変えるのが困難だし、変えたあとのシステムが常に優れているとは限らない、と言う消極的な理由もありますが、普通に考えたら「リーグ戦」=「試合数が多くなる」=「それはそれで各所への負担が大きくなる」と言う考えも出来るはず。
春のセンバツ・夏の甲子園の開催球場である阪神甲子園球場は、プロ野球の阪神タイガースも抱えていますし、高校野球を優先して阪神タイガースをおざなりにするとそれはそれで「ちょっと違うよね」となる話でしょう。
「伝統」や「歴史」は、無くすのは簡単だけど維持するのは難しいんです。確かに抱える問題の少なくない甲子園ですが、別に開催すること自体は間違っていないと思うので、「無理に無くそうとするならそれは違うんじゃないかな」と。

で、執筆途中に思い出したことがあって。
野球とは違うスポーツで、かつ小学生・中学生のカテゴリだったと思うんですけど、どこかで「これまであった全国大会を廃止した」と言う話を聞いたことがあるんです。
この話を聞いた時に、「なるほどな」と思ったのは覚えています。
義務教育終了後の高校生ならともかく、小学生・中学生の範囲だと、「全国大会があることで生まれる弊害が小さくない」。それ故の「全国大会廃止」だったと思いますが、それを高校生に当てはめてもいいのかも知れません。

それでもうちょっと言うと、リーグ戦とトーナメントは対立関係である必要はなく、相互に影響を及ぼしていいと思うんです。
リーグ戦で今いる選手を起用して、成長を促しつつ戦力を見極める。トーナメント大会が来れば、見極め成長させた選手をチームとして編成して戦う。
そう言う考えがあってもいいんじゃないか、と。

「教育」と「勝負」の狭間で、出場機会を与える意義は必ずあるはず。

このタイミングで出しますが、「高校野球とリーグ戦」について記事を書こうと思ったのは、以下の記事を見かけたからです。

タイトルにある「LIGA Agresiva」については、以下にホームページを添付します。

特にLIGA Agresibaのホームページでは「Liga Agresivaについて」を読んでいただければと思うんですが、「リーグ戦だから出来ること」があるのは重視したいところ。
「リーグ戦で出来てトーナメントで出来ないこと」のひとつに、選手・指導者ともに「トライアル・アンド・エラー」が出来ることがあります。一発勝負で負けたら終わりのトーナメントでは出来ないとは言わないけど難しいそれを、リーグ戦ではやりやすいはずです。

で、見出しには「教育」と言う言葉を使ったんですが。
高校野球はショービジネス化されていますけど、あくまで「学生の部活動」である以上「教育としての要素もある」。スポーツを利用しているのでその中で「勝負にこだわる」にしても、その勝負への姿勢も含めて「指導者による教育のひとつ」だと思います。特に野球の指導者(あえて「高校」に限らない)は旧態依然としている人が多いイメージがあるので、それを変えるために理念を持ったリーグを運営するのは「そうあるべき」姿勢であるでしょう。
「トライアル・アンド・エラー」の姿勢は何も野球だけでなく、社会に出れば様々な場面で要求されるスキルです。その仕組みを、野球部なら野球を通して学ぶことが出来れば、それが「教育」としても理に適う。野球のプレーだけでも、PDCAサイクルを回してクオリティを高める思考回路を選手に築かせられれば、それがひとつの成功だと思うんです。

「教育と勝負」についてもうちょっと言うと、スポーツをやるのであれば勝敗が分かれるのは避けられないので、よく揶揄して言われる「運動会で順位をつけない」とか「おててつないでいっしょにゴール」を目指したいんならスポーツなんかやらないほうがいいし見ないほうがいいんですよ。世の中そんな甘くないもん。
野球に限らない話ですけど、スポーツをやる以上能力によってどうしても優劣の差は出るし、勝敗も分かれる。じゃあその中で、「スポーツを通して何を学ぶか」と言うのはもっと選手も指導者も、その他第三者も考えていいんじゃないかなと思います。
その学びは、トーナメントだけだと勝利至上主義に走りやすくなるから不十分になるかな、と言うのがぼくの持論です。

起こる議論も、全ては「すべての選手のために」。

高校野球の問題点の一つに、「試合に出られない選手が出る」があると思います。その「試合に出られない」の指す「試合」が公式戦だけなのか、練習試合も含むのかはぼくには詳しく分かりません。公式戦は後述しますが、もし仮に「練習試合にも出さない」指導者がいるんだとしたら、それは指導者側に大きな欠陥があると言い切っていいです。
が、「トーナメント方式の公式戦に出られない」に関してはもうしょうがないんじゃないかな、と。「優劣の差は出る」と先述しましたが、社会に出れば特に「どこかでその『理不尽な不平等さ』を受け入れなきゃいけない」と思うから、それを実感する舞台が学生生活への存在を許すことについてぼくは否定しきれない。
それでも一方で、スポーツをプレーするのに「試合に出られない」のでは絶対面白くない。最悪「やる意味がない」くらい言っても許されると思います。それを解決できるのが「リーグ戦」でしょう。

ぼくは「トーナメントとリーグ戦を両立させよう」派です。これも先述しましたが、リーグ戦で選手をあまねく試合に出場させて、選手一人ひとりにPDCAサイクルを回させながら成長を促す。それで野球の実力を上げるのはもちろん他にも役立てられる思考回路を築いて、人間として成長出来ればそれが「高校野球が果たす役割」として大義名分を得られると思います。
そんな大それたことまでは言わなくとも、「試合の出場機会を与える」ことに関しては平等であるべきだし、スポーツをプレーするのならそこの「楽しさ」は保証されるべきです。

高校野球の「在り方」に関しては、冒頭でも言った通り様々な議題があって様々な意見があると思います。
「無くせ」とかそう言うのは切り捨てていいとしても、与太話もあるだろうけど提言は思想によってスタート地点が違っても「現状をよりよくしたい」人がすることだと思うので、こういう意見もあるんだなと思っていただければ。

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