僕の「コト」の作り方

キライなのだが一応、Webディレクターは「クリエイティブ職」であるらしい。

何がキライかと言うと「クリエイティブ」という言葉なのだが。
創造してます!クリエイトしてます!クリエイターです!
言えるほど自信家でもないし、 妄想家でもない。

神様じゃあるまいし。

まあ、一応「ゼロベーススタート」を得意にしているので、そういう意識は全く無いわけでもないが。
小っ恥ずかしい。

ところで、Webサイトに限らずこういう文章を書いたり企画を起こしたりする場合。
つまり「コト」を作る時にどういう手順を僕は踏んでいるのか。

テーマを決めたり、起承転結や序破急の構成、参考情報やリサーチは…

全くしない!

この文章だって「僕の「コト」の作り方 」というタイトルをつけてしまったからなし崩し的に書いているのだ。
的確な表現かわからないが「その場の思いつき」なのである。
タイトルをつけた以上、さてどういう言葉を紡ぐかなと考えながら書いている。

これが良いか悪いかなんて僕にはわからないけども、ヨノナカに溢れる「コトの作り方指南書」的には悪いんだろう。
なので参考にはしないでほしい。

さて僕の脳内の動き。
説明が本当に難しいのだが、核心や目的を写真を何枚も撮り続けるようなものだ。
だから最初はピンぼけもするし、露出も合わないし、シャッタースピードもおかしい。
逆光かもしれないし順光かもしれない。
それを何枚も撮り続けるうちに、全体像が見えてくる。
もっと撮り続けると細かい部分まで映し出される。
解像度を上げていく感じ。
色調を調整したり、陰を気にしたり。

そうやっていくと、ある1枚の写真が撮れる。

それが求めたものだったりする。

非常に抽象的で、曖昧で、根拠がない。
でもそうやって脳みそを動かしているのだから仕方ない。
実際に今書いているものもそうだ。

ある一方「コトの見方」も同じだったりする。

僕は文章の読み下しが非常に苦手だ。
小学校の時の国語の時間、この読み下しがイヤで仕方なかった。
今でもイヤだ。

何故か。
文字を追って読めないからである。
僕にとって「文章を読む」というのは撮影だ。
ページを捲り、撮り、ページを捲る。
この繰り返しなのだ。

だからなのか、300ページくらいの小説は30分くらいで1回目を読み終える。
でも、ピンぼけだ。
それを2〜3回続けて始めて理解できる。

で、だ。

双方に共通するのは「撮る」行為なのだ。
言い換えれば「情報を脳に焼き付ける」のかもしれない。
いや、そうなんだろう。

これもまた難しいのだが、そうすることで「情報の立体化」ができるのだ。
だとすると焼き付けはちょっと違うな。

情報を3Dプリンターの要領で積み重ねる。
あ、これだね。
そういうことです。

これは僕の強みだ。
自分が求めたものを先入観なく、感情を抜いて立体視できる、否定できる、肯定できる。
だから考えても気に入らなければ簡単にボツにする。
作るスピードも速いし、角度を変えればいいんだから。

反面、フィクションで泣けないというデメリットもあるが。
どうしても冷めた見方しか出来ない。
全米を泣かせるより、僕を泣かせるほうがよっぽど困難だ。
ディズニーもジブリもキライ、というか自分の世界から遠い感覚。
あってもいいけど、それはそっちで宜しくやってくださいと。

ということで
「僕の「コト」の作り方は、情報を3Dプリンターの要領で積み重ねる」
でした。

あ〜、よかったよかった。ちゃんと着地できた。
こういうことを繰り返して生きているのです、よ。