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修羅場を駆ける。

先週、F2 2020 バーレーンGPのレース2を見た後。
こういうエントリーを書いた。

今年のF2、最終戦サクヒールGPは8時間ほど前に終わった。
小林可夢偉以来、長らくいなかった日本人F1ドライバーが誕生した。

角田裕毅。

予選は今季4回目となるポールポジションを奪取。
これはカラム・アイロットの5回に次ぐ2番手。
決勝・レース1ではスタートダッシュを決めたが、1コーナーのリスク回避のために3番手に順位を落とした。
この時点で、彼の頭には明確な仕事があった。

「タイヤを労り、フルに使い、最後に必ず勝つ」

F2はF1と違い、マシンは基本的に画一化されている。
もちろんチームはマシンの性能を引き出すため、セッティングを研究し、範囲内で改良し、レースで速い戦略を練る。
そのためタイム差はF1より縮まり、混戦となる。

いわば、チーム力は勿論だが、ドライバーの力量が試される。

レース1・フィーチャーレースはタイヤ交換が義務付けられている。
ハードとソフトを履いてレースを走らねばならない。
ハードは耐久性は高いがグリップ力は低い、ソフトはその逆だ。
つまり、それぞれのタイヤ性能を引き出すことが重要となる。
言い換えると「一瞬だけ速く走ってもタイヤを労らなければ勝てない」レースなのだ。

角田裕毅の特徴の一つは、とてもクレバーだということ。
レーサーの本能である「何がなんでも速く走りたい」という欲求を高い次元でコントロールできるのだ。
3番手に下がり、前を行くドライバーのスタイルを考え、我慢することで自分の履くタイヤを労って、終盤にトップに立つことが最良と一瞬で判断した。

前車と付かず離れずのポジションをキープして、タイヤの性能で差を詰めていく。
あくまでも自分のペースを乱すこと無く、最終的に勝つことに集中したのだ。

16週目にソフトからハードにタイヤを交換し、48週、残り32週をどうやって走り抜けるか。
それをシミュレーションしながらレースを進めた。

角田裕毅の特徴のもう一つは、とても速いということ。
グリップが高いソフトから低いハードに交換したのだから、レースペースは当然落ちる。
その中でもタイヤ性能を引き出せる温度をコントロールし、終盤でも性能劣化しにくいギリギリのペースで走ることができる。
一瞬だけ速く走ってタイヤをいたずらに摩耗させても勝てない。
もちろん前車をオーバーテイクしなければいけないのだから、一瞬の速さも必要となる。

その一瞬の速さを見せるタイミングが絶妙で、極力タイヤを傷めないように抜いていく。

クルマの運転の基本中の基本だが、急が付く動作は危険だ。
急アクセル・急ハンドル・急ブレーキ。
レースでも同じで、急が付く動作をするとタイヤを痛め、タイムを落としてしまう。

角田裕毅のオーバーテイクは美しく、鋭く、速い。

タイヤが真っ直ぐを向いた状態でブレークがロックしないギリギリで相手の懐に入り、マシンを暴れさせないように素早くコーナーを抜けていき、ストレートで置き去りにする。
そのドライビングの中に、どこも急が付く動作はない。
ギリギリでブレーキし、ギリギリでハンドルを切り、ギリギリでアクセルを踏む。

このギリギリのラインをどこまで攻められるのか。
あと少しでブレーキがロックする、あと少しでマシンがコースを外れる、あと少しでタイヤが空転する。
そのあと少しの領域が、今までの日本人ドライバーにないくらいに紙一重なのだ。
決して紙一重は越えない。
一瞬の切れ味が凄まじい。

角田裕毅の特徴のもう一つは、とても学習能力が高いということ。

F2参戦初年度、序盤はマシントラブルや自身のミス、レーシングアクシデントでポイントを稼ぐことができなかった。
ギリギリの領域でのコントロール、タイヤマネージメントがまだ雑だった。
それをたった数週間で学習し、自分の手中に収めた。
課題を見つけ、解決し、それを本番で発揮する能力。
その速さは今までの日本人ドライバーに無いレベルだ。

角田裕毅の特徴の最後は、とても精神的に強いということ。

これも今までの日本人ドライバーの中では傑出している。
バーレーンGPを終えた角田裕毅の年間ランキングは5位。
F1に進むためにはこの5位をなんとしても維持しなければならない。
だからといって、守りに入ったレースをすればその5位の立場も危うい。

一番は圧倒的に勝ち、ランキングを上げることだ。

近年のF1ドライバーでも活躍する若手は1年でF2を卒業する。
何年も居るような場所ではなく、1年で結果を出して、すぐに卒業することがF1チームへのアピールとなる。
角田裕毅にもレッドブル・ホンダ育成ドライバーとしてそれが求められ、凄まじい重圧の中で今回のレースを迎えた。

F2 2020 最終戦、サクヒールGP。
角田裕毅はポールポジションを獲り、年間ランキングポイント4を加算した。
レース1ではポールトゥウィンを果たし、25+4で29のポイントを獲得、年間ランキングで3位に躍り出た。
この時点でF1参戦に必要なスーパーライセンスポイント40を獲得した。

ただ、これだけでは終わらなかった。

36週で行われるレース2、スプリントレース。
今季最終レース。
8番手グリッドからスタートし、先行集団の激しい争いから付かず離れずのペースでレースを進めた。
レース2はタイヤ交換義務がない。
そのため、ハードのみで36週を走り切る必要がある。
数ヶ月前は一番の課題だったタイヤマネージメントをしっかり果たし、ファステストラップを記録しながら、タイヤの劣化した先行集団を次々とパスしていく。

結果2位表彰台。
年間ランキングポイント14を更に加算。
サクヒールGPだけでポイント43を加算し、200ポイント3位で今季のレースを終えた。

今年のチャンピオンは皇帝ミハエル・シューマッハの息子のミック・シューマッハ、215。F2参戦2年目。
2位はカラム・アイロットで201。F2参戦は通算4年目。

F2経験者に肉薄したルーキーである角田裕毅。
レースにタラレバは無いが、もしレーシングアクシデントが1つでも少なかったらチャンピオンになれた可能性は非常に高い。

これは日本人贔屓ではなく、世界のスポーツメディアから言われていることだ。

角田裕毅は類まれな才能がある。

DAZNで配信されているF2のフリー走行や予選は英語実況だ。
その中でも"Yuki Tsunoda"と何回耳にしたことか。

現時点で最も成功した日本人ドライバーは佐藤琢磨だ。
1977年1月生まれ。
学年は違うが僕と同い年。
2001年にはイギリスF3でチャンピオンを獲得し、当時「F3で最も成功したドライバー」と評された。
当時24歳。
2002年に25歳でF1デビュー。
2004年、ヨーロッパGPで日本人F1ドライバーとして初のフロントローを獲得。
さらに同年3位表彰台にも登ったが、その後の佐藤琢磨のF1活動は決して恵まれたものではなかった。

アメリカのインディカー・シリーズに活躍の場を求めた。
インディカー・シリーズではアジア人として最高の成績である6勝、ポールポジション10回を果たし、さらに世界三大レースの一つであるIndy500を2勝している。
104回行われたIndy500で複数回優勝したドライバーは20人しかいない。
43歳になった今でも円熟味を増している。

佐藤琢磨のF1活動を表すと「速くて、脆い」と言えるだろう。
一瞬の切れ味は鋭く、現時点でも予選2番手は日本人ドライバーとして最高位だ。
ただ決勝での荒いミスやチームの環境の変化、弱小チームへの移籍など、当時の佐藤琢磨は自力でF1の「良いシート」を確保できるだけの強さはなかった。

角田裕毅は佐藤琢磨とは異なる。
2000年5月生まれ、現在20歳。
F1デビューは21歳となる。
速さがある。
若さがある。
精神的な強さがある。
そしてなにより、今の佐藤琢磨と同レベルのクレバーである。

30年弱モータースポーツを見てきたが、角田裕毅は衝撃的な存在だ。
日本人ドライバーでここまで若く、完成度が高く、伸びしろを持った人はいない。

なにもかもが異次元だ。
申し訳ないが、今までの日本人F1ドライバーとはレベルが違う。
公称161cmと小柄で小学生にも見えるほど童顔な角田裕毅だが、彼のレースは勿論、所作や言葉には底知れない強さを感じる。

一人のアスリートとしても、もしかしたらイチローや北島康介などを凌ぐ「日本が誇るタレント」を持っているのかもしれない。

前のエントリーはこう締めくくった。

「日本よ、世界よ。角田裕毅はこれで終わらないぞ。」

この言葉は軽かった。
まだまだ彼を言葉では表現し尽くせない。

角田裕毅は、世界のモータースポーツの歴史を書き換えることだろう。
人気が低迷して久しい日本のモータースポーツ界に突如として現れ、あっという間にF1まで駈けた。
その道のりは決して楽なものではなく、修羅の道と言えただろう。

F1はそれ以上に魑魅魍魎、欧州の戦争の歴史を源とした、修羅場である。
平和な日本とは全く異なる。
富と名声。
国と政治。
鉄と血と油。
火薬の匂い。
そして生と死が染み付いた修羅場だ。
人間の薄汚い部分が滲み出る修羅場だ。

日本人として、なんていう小さな枠に収まらない。
モータースポーツを変えるほどの人物。

「角田裕毅は衝撃的な存在である」

角田裕毅はその修羅場を駈ける。


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