憂鬱だ、YOSAKOIソーラン。


ハッキリ言おう。

僕はYOSAKOIソーラン祭りが大嫌いだ。
本当に大嫌いだ。
だからその期間は街に出ない。

勿論、嫌いなのには理由があるわけで。

エンターテイメントとしてつまらないでしょ、ハッキリ言って。
素人さんの「創作ダンスコンテスト」って面白いですか?

これが徳島の阿波踊りなり、鹿児島のおはら祭ならわかるんですよ。
時代を受け継いでなお変わらない踊りで魅了する。
すごくわかりますし、見て「おおっ」と心躍ります。
言ってしまうと過去へのタイムスリップなんです。
上手かろうが下手だろうが、その光景が過去と現代をつないでいるんです。

それに、僕の地元・台東区はお祭りが大変多く、代表格は三社祭でしょう。
僕自身は神輿を担いだりはしませんが、子供の頃に山車を引いてそれなりに楽しんでいました。

で、三社祭って基本的に「暴れたい」という欲求が一気に発散されるんですよ。
暴れたい、喧嘩したいから御輿を担ぐってのが基本でしょう。
神事だからどうこうじゃなくて、純粋に暴れたい。
まあ、モンモン入れてる人は担げないようになったらしいですが、
僕は人混みが好きじゃないので眺めるだけですがね。
でも、人間の抑圧された願望を解き放つってのは楽しいんでしょう。
本能の開放とも言えるでしょう。
理解できますし、お祭りってそう言うものと認識して育ったので。

これは一種のエンターテイメントで「火事と喧嘩は江戸の華」という名残を懐かしむってことなんですよ。

だたねえ…
コンテストじゃないですか。
いい踊りをして一番になりたい。
見て見て!私たちすごいでしょ?という自己満足と承認欲求の押し付け。
それがチームとなってブワッと広がる。
高校生の部活や大学生のサークル活動をいい大人たちがやっている感じ。

人間の原始的な本能がない。
自己満足と承認欲求を満たすためには打算が入りますから、本能の階層が高いんですよね。
ドロッとした欲望なんですよ。
それによさこい節とソーラン節のハイブリッド化することで、タイムスリップ現象も起きない。
過去と現代が結びつかない。
今年で25年目らしいのですが。

別に踊っている人やチームのバックグラウンドなんか知らないし、赤の他人ですから全く入り込めない。
言ってしまうと内輪なんですよ。
パンフレットを買って読んで、知るなんて作業、面倒ですもん。

突然、新体操の大会に放り込まれて見ろ!って言うのと一緒。
いや、新体操のほうがスポーツとして成り立っているから比べちゃいけないね。失敬。
ああ、カバディでいいや、カバディ。
カバディカバディカバディカバディ。
カバディ好きな人にはごめんなさい。
セパタクロー?
セパタクロー好きな人にもごめんなさい。
失敬失敬。

まだ酔っ払いどうしの喧嘩の方が赤の他人でもエンターテイメント性は高いですよ。
あれまあ、羽目外しすぎちゃってと笑うことができる。
いいぞ〜もっとやれ〜!ってね。
他人だもん。

それにその期間に街に出ると、否が応でも目に入るでしょ。
あの衣装とメイクの集団が。
マナーの良し悪し以前の問題で「全員が同じ衣装で同じメイク」って怖くないですか?
帰属意識への欲求とも加えておきましょうか。
僕はゾワゾワッとするんですよねえ。
それらが群れをなしてやってくる。

騒いでいようが大人しかろうが関係ないんですよ。
気にならない人も間違いなくいましょうがね、あの言いようのない「集団の群れ」が気持ち悪いんですよ。

せめて、メイクは落とさないかね?

もうさ、札幌ドームでやりましょうよ。
問題があって数回で取りやめになったらしいけど。
大通公園でやる必要、ある?
ファイターズも移転するんだし、ノウハウを蓄積するにも札幌ドームでやった方がいいと思うんだよね。

見に行きたい人、見たくない人をちゃんと分けられるし。
札幌ドームの収益も下がるんだし。

あ〜あ、外に出たくねえ。