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北三陸のアポロンとディオニソス…


朝ドラ『あまちゃん』は
『喜劇の誕生』?
アキの成長変化をニーチェ的に…



もう8年前になるが、あのドラマは、視る人にいったい何を訴えようとしていたのかを、わかったようで、なんとなく忘れてしまった。




潜ってみっか、一緒に…



夏婆っぱの一言が
アキのスイッチを入れた。


ねぇ、おばあちゃん

海の中、きれい?


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船べりに立つアキ

押すなよ、絶対押すなよ!
とは言ってないが…
押すしかねぇべさ…ここは

押した…!?

ババァ、本気で押しやがった!



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哲学だか何だか知らねえが

海きれい?なんて聞いてねえで
自分で潜って見てこい!
というわけだ


それから徐々に変わりはじめるアキ



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駅や漁港を散歩するアキは
すごく楽しそう…

ほんとうの自分を、見つけたような…

こういうのを、自分探しの旅
というのか…?



東京でのあの子は
感情を表に出さない内気な子

殻に閉じこもって
家族にも友達にも心を開かない

うんめぇ~とか
かっけぇ~とか
じぇじぇじぇ
とか絶対言わない子なんです




防波堤から海をのぞき込むアキ


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いやいやいや
服濡れちゃうし

パンツも…

こえぇ…



地味で暗くて
向上心も協調性も
存在感も個性も華もない
何かパッとしない子に
なっちゃったんじゃないの



なっちゃった…、ということは
本来のアキではなかった
ということ…、だから…



ちがう…

ちがうもん!!



考えることを断ち切ったように
アキは、自分で海に飛び込んだ…

そこから、アキは変わった。
海に潜る前と後では、明らかにちがう。
醉神ディオニソスの洗礼だったのか?

酒というよりも、惚れ薬オキシトシン
が効いてるようでもある…


アキとユイの
アポロン的、ディオニソス的相克



やっと自分の新天地を見出だし
変わり始めたアキの前に
究極のアポロンが現れる…



ありゃ、…ユイちゃん…
これ… おらの孫だ
東京から遊びに来てんど


高校生?


んだ、2年生だ


へへぇ、なまってる


じぇじぇ


わたしも高二
よろしくね


この時の、アキの目ん玉の大きいこと…

何でこんなド田舎に
都会的な女子高生がいるんだべ!?…
みたいな

一瞬、東京での苦い記憶が、よみがえったかもしれない。だがユイの友好的な態度に、アキのトラウマは氷解し始めた。そして、ユイの〝夢想〟に〝陶酔〟しはじめる





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なんでそんなに
東京にこだわるの?
あっ、ゴメン。
私も、お兄さんと一緒で
東京から逃げてきた
負け犬だから…






私、アイドルになるの




ボーッとしてるアキでさえ
東京でアイドルなんて…
ステーキばかり食って
頭がおかしくなった…
という感想は、至極全うだ…





アイドルになりた~い!!




と、トンネルの向こう側に叫ぶユイ



かっけぇ~



アキはユイとともアイドルを目指し
一緒に東京で活躍するつもりだったが…
上京する前日、ユイの父親が倒れ、アキは一人で東京へ向かうことに…

駅での別れは『銀河鉄道の夜』のジョパンニとカンパネルラのようだった…

東京から逃げてきた負け犬だから…

というその東京で、アキは一人で闘わなければならない…
インスタント東北弁を武器に…


ところで、アポロン的、ディオニソス的とは、それぞれ〝夢想的〟〝陶酔的〟だと云われるが、夢想も陶酔も、同じようなものじゃないか?と、思うのだが…

これは、考え方のひとつとして
全くの私見だが…

アポロン的(夢想)…

空想のなかで理想像を思い描き、夢見る。完全さを求めるため、現実を受け入れられないことも…
ディオニソス的(陶酔)…

決して理想的ではない自分の運命を、嘆くことなく肯定し、現実と闘うことに陶酔する。


「芸術とは、汚れた現実から生まれるものだ」と、映画『ベニスに死す』で、作曲に苦悩するグスタフに、友人アルフレッドが強調した。
ヴィスコンティは、まさにニーチェの『悲劇の誕生』アポロン、ディオニソスの相克を描いたのだろう。
つい、美少年タジオに目を奪われるが、彼は単にアポロン的な象徴だったようだ。



「アイドルになりたい!」と、自分を理想像のトップに据えて、夢想するユイだが…
むしろ目指す東京そのものが、ユイにとっての夢想世界なのだろう。

それに対して

東京での生活が、嫌になったが、北三陸に来てからスイッチが入り、何かに陶酔しながら現実と闘いはじめるアキ…

このちがいが見えてくる。


だが、ふたたび東京へ来たアキは、今度は何に陶酔していたのか?

「アイドルになりてぇ」というより、むしろ挫折した高校生活のリベンジなのか、再び東京で力を出しきる自分自身に陶酔したのではないか?

そのきっかけを与えたのが、大吉であり、夏婆っぱ、春子、そしてユイだったのだ。

結果的に、途中から参戦した春子との、「親の仇討ち劇」となってしまったが、アキの精神的な強さの成長は素晴らしい。

一方、ユイは東京へ向かおうとすると、何度も行く手を阻まれる。父親の病気。母の疾走、そして震災津波…
生まれてから一度も北三陸から出なかったという夏婆とも重なる。

従来の朝ドラなら、悲劇のヒロインとしてユイが主役的だか、ここが『あまちゃん』のいいところ…

あんなに可愛いアキちゃんに、ブスとかブサイクと言ったり、そのシニカルなパラドックスが、湿っぽくならないポジティブなアキの魅力を引き立てる…。
悲劇ならぬ『喜劇の誕生』だ…




夏婆っぱと春子



おめえさんは、どうなんだ…
東京とここど、どっちが好きだ?


そんなの決まってるじゃん


どっちだ?


東京に決まってるじゃん


夏婆っぱは、生まれて64年
北三陸から出たことがない、と言う。


北三陸の町以外
なぁんも知らね
だけど、ここが一番いい
っていうことだけは知ってる…
まちがいねえ、その土地を
おめえは捨てたんだど


このドラマでは、東京と北三陸との対比が様々な人々の想いとして、繰り返し現れる。



アギは今
自分で変わろうとしてる
変わらなくちゃなんねえのは
むしろ春子
おめえさんの方でねえの…




そして
東京から戻ったアキと、ユイ



で…、アキちゃんは
なんで帰ってきたの?


決まってるべ!
ここが一番いいとこだって
ユイちゃんに教えるためだ


一回も東京さ行ったことない
ユイちゃんのかわりに
オラが東京さ行って芸能界とか
この目で見て色々経験して
でも結局ここが一番いい
北三陸が一番いいぞって
教えてやるためだ


本当に…
本当にここが一番いい?


まちげえねえべ!




『あまちゃん』が放映された2013年は、東日本大震災や原発事故から二年が経過していたが、社会の空気は、まだショックから完全に癒えていたわけではなかった。

あのドラマからは、夢を追うとは〝無い物ねだり〟をすることではなく、現実をあるがままに受け止め、そのなかで実現できるものを見出だすことだと、アキの行動力や逞しさを通して教えられたような気がするのだ。


当時の空気にも重なるような、今の世の中にも、そんな強さが必要になっているようだ。

https://youtu.be/zVbub7_-LnM
あまちゃん 『潮騒のメモリー』

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