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短編小説「乞水母」(こいくらげ)──非おむろ

 梅雨が明けたところで、男の顔に笑みが戻ることはなかった。この男を仮に甲としよう。この者、破戒僧である。仏門を追い出され、水道局からも馘首され、郵便配達の仕事でも揉め事を起こした。銀行強盗に失敗した甲は、野菜泥棒を繰り返しながら湧き水で喉を潤しつつ暫く漁村を転々としたが、紀州の片隅のさる海辺の集落で、もう、二進(にっち)も三進(さっち)もいかなくなり、大の字にぶっ倒れてしまった。仰向けである。心身が、疲弊していた。
 乙、という男も同じ時、その集落にいた。旅をしていた、と言えば聞こえはいいが、力士を挫折して無職となったこの乙という男は、独自の科学理論を信じ、お手製のコンデンサで盗電行為を繰り返して口を糊(のり)していた。糊、といっても、木工用ボンドの類ではない。貧し気(げ)な粥(かゆ)で、何とか餓死から逃れていた、という意味だ。口を餬(こ)していたのだ。まあ、実際には、バッテリーならば判らぬでもないが、コンデンサで電(いなずま)は盗み得ないわけだが。

 暗い朝(あした)。

 甲も乙も面識は無い。また、両者共にこの集落に縁(えん)も所縁(ゆかり)もありゃしない──地名さえ知らぬ。曇りし天(そら)の下(もと)で白浪(しらなみ)は、これから一日が始まるぞ、という新鮮な気持ちとは全く無縁な、憂鬱そうな所作で、岩壁を犯していた。美(は)しき砂浜があるのはそれは他所(よそ)の村のことで、この集落は岩肌険しき崖にて、海と隔たっていた。無理矢理に海に出ることは不可能では無いが、無事に帰って来ることはなかなかに難しいというような状況であった。鎹(かすがい)に似た金具が岩壁に打ち付けてあり、それを梯子のようにして上下が〝一応〟出来るようになっていたが、それは海難者への〝気休め〟としての設備であり、漁をしたり等して、釣果(ちょうか)を両手いっぱいに持ち帰ること能うようなバリアフリーな構造は、一切存在しておらぬ。

 扨(さて)。

 この集落は海沿いであるにもかかわらず、豆を育てて生きている農民達の空間であるわけだが、そんな地元の人々とは一切関係の無い甲と乙が、海沿いの崖の上に存在している。甲が大の字に倒れているところへ、乙がふらふらと歩いて来たという状況だ。

乙(……? 行き倒れの者か? 南無(なむ)。)

 乙は、もうあまり働いていない頭で、南無(なむ)、等と思いながらも、干芋(ほしいも)や乾飯(かれいい)の一つでも持っていないかな? と、甲へと近付いていった。

甲(……お、通行人か……。)

 甲は図らずもと云(い)おうか、未必の故意と述べようか、兎(と)まれ角(こう)まれ、〝死んだ風(ふり)〟をしている形となる。大の字で仰向けであるからして、随分とまあ豪放磊落な死んだ風(ふり)もあったものだが、大胆な体勢は〝逆に〟真実味があるやも判らぬ。

 甲は、匕首(あいくち)よりも更に小さな小刀(こがたな)──子ども用の包丁の如き刃物──を袈裟懸けの頭陀袋に忍ばせていた。袋の口とその小刀の柄が丁度良い角度でkissしており、何時(いつ)でも抜刀すること能(あた)う。
 甲は、最早、乙の生命を害(そこの)うても已(や)む莫(な)し、仏(ほとけ)と成(な)りて御呉(おく)れや、という心持(こころもち)であった。強盗殺人も強姦殺人も強盗強姦殺人も、当然犯罪であると、甲とて、知っていたが、その上で、斯(か)く心持(こころもち)であった。
 鷗の一羽も舞わぬ、静寂の曇り空。淡(あわ)き潮(うしお)の匂いは、さりとて、重く、二人の胸中を灰色に染め抜いている。永遠(とわ)と見紛(みまご)う曇天に、よたり、よたりと、跫(あしおと)が一式(ひとつ)、閑(しず)か。

 乙が、よたよた、と〝死んでいる甲〟の荷を改めに近付いて来る。


 甲は、乙が、その生命を刹那にて過たず〝冒涜されることが出来る〟間合いへ入って来るのを、手に汗を垂らして待っている。
 

 もう、十尺。

 
 九尺。

 八。

 七。

 あと六歩程か。

 ……。



「おい、ボケ!」



 岩壁の下から突如響いた、高音の人語に、二人は思わずそちらを見やった。

 

 刹那。

 

甲・乙「「うわああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」」


 死んだ風(ふり)をしていたことと小刀を握っていることが露見した人間と、死んだ風(ふり)をしていたことと小刀を握っていることを情報として眼前につきつけられた人間。何(ど)うやら、殺し合いが始まるような予感だ。
 併(しか)し乍(なが)ら、崖の下の海の方からの高い声が喚き立て、甲と乙は再びそちらへ意識を向けざるを得なかった。


「おーい! お前ら、いつもの連中ではないな?」


 水母(くらげ)が喋っていた。




 この、朝の海辺に突然現れた大型の水母は、曇天であるにもかかわらず透(す)き透(とお)って綺麗であったが、よく見ると、〝膝から上〟の半透明の人間が水母の上に乗っかるような形で、いた。ケンタウロスは下半身が馬の男だが、この存在──便宜上、丙、と呼称しよう──は下半身が水母の女だ。


丙「お前ら、豆は? いつもの連中から、話は聞いているわけか?」


 ここで、読者の皆様に多少謝っておかねばならぬことがある。どうやら今までの文章で、多少の誤植があったようだ。
(この文章は廉価で雇ったワケアリの労働者達に、木製の版画で文字を拾わせている為、多少の誤植は大目に見て頂きたい。)

 大した誤植では無い、甲も乙も男ではなく女だったというだけだ。甲は元尼のスレンダーなクールビューティーで大人びたガールでポニーテールが西日本一似合う狐目の美少女、乙は元女力士の小柄な巨乳の苦労人で優しい短髪垂れ目の理系女子なわけだが、勿論こんな些末な情報の変化で今更読後感なぞ変わるわけもなかろう。
(もし、登場人物が襤褸襤褸(ぼろぼろ)のおじさんから旅する美少女に変わっただけで印象が異なるようならば、それは読者が病的なまでに外見至上主義(ルッキズム)に毒された性欲魔人であるだけだ。おじさんも、美少女も、同じ蛋白質やろがい。ちゃうんけ?)

 丙も美女であった。丙はゆるふわパーマな全裸の美女で、勝ち気な高い声を出してはいるものの、外見で云えば寧ろかなり洗練された深窓の令嬢の如き気品を漂わせていた。

 ちなみに、今は令和である。


甲「貴様! 私を殺そうとしただろう!」
乙「あ、あなたこそ、そんな刃物なんか持っちゃったりなんかしちゃったりして……。」
丙「こらーッ! お前ら、オレっちを無視するなーッ! いつもの豆呉(く)れや豆!」



と、いうわけで、三人は二十分後に到着した村の若い衆に拐(かどわ)かされ、穴という穴を美(は)しく一生犯されましたとさ。



めでたしめでたし!



あと、序(つい)でにこの二百年後──令和二百五年とか、そこらへんやね──に、隕石がこの集落に落下したけど、そこに附着していた微生物がいろいろと影響を与えて、霊VS人VS知能を持った茸(きのこ)……みたいな一大三つ巴ゲリラ戦みたいなやつが発生した……けど、霊の正体は実はムー大陸の民がホログラムで霊を演出していただけだったし、知能を持った茸(きのこ)は畢竟(ひっきょう)、人類よりも高い道徳心や倫理観を獲得したので、共存してゆく形となったわ!
エロで頭がいっぱいのお前らインターネット利用者とは大違いやね!

はいはい、壮大壮大!



んで、またちょっと経ってまた石(いし)が隕(お)ちてきて、今度はタイムトンネルが開いちゃって、和歌山県民のみが二十三世紀と十四世紀を往き来できる世の中になったんだけど……まあ、色々、恋愛譚とか、あるわな!
あるのよ!
でもまあ、それはいいわ!

はい!


皆も、豆を食う時は、よく噛んで食おうね!





ワイも、よく、噛むようにするわ!













気合いだ!




               〈了〉



2023/06/23   非おむろ「乞水母」(こいくらげ)







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