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ぜっこーちょー校長先生に褒められて絶好調!な私の話。

子供が考える共同マガジンでお世話になっているぜっこーちょー校長先生。

読みやすくてホッコリする文章に心動かされ、時には熱い思いの丈をコメントにいれている私です。

昨日もコメント欄にて熱い想いをぶちまけてしまいました。

子育てもだいぶ落ち着いた今の私がぜっこーちょー校長先生のお話になぜ熱い想いになってしまうか?

それは子育てスタートした頃の私が、不安で押しつぶされそうになる毎日の中で慣れない育児に疲労困憊し、一人で泣いていたことを思い出すからかもしれません。

それまでは勉強ならば教科書みれば答えがわかり、仕事ならば言われた通りにやればなんとかこなしてきた自分。

結婚し、母になり、この手で命を育てるとき、どうやら我が子はマニュアル通りではうまくいかないぞ、なぜだと慌てました。

お兄ちゃんは、新しい靴で大泣き、食べない、寝ない、石焼き芋の音で号泣、寝返り遅い、ウンチのたび泣いて大騒ぎ、、

娘は喋るの遅い、たべない、ウルトラ人見知り、ひとり遊びしかしない、、など。

待ってくれ!子どもって、もっとお友達とたわむれて何でもモグモグたべて、誰でもスクスク育つんじゃないのか?

その頃、自閉症スペクトラムなんていう言葉は聞いた事もない知らない世界。理解できるわけがないのです。自分も周りも。

2人とも手先が不器用で、お兄ちゃんは幼稚園の先生の手を焼かせていました。

「おたくのお子さんだけに手をかけることは出来ません」そぉ言われて、頭をノックアウトされた気持ち。今も忘れません。

自分の子どもが迷惑をかけている。
そう思って我が子を可愛いと言えるのか。

だけど、私はやっぱり「お母さん、お母さん」って呼んで100%私に身をゆだねて生きている2人を毎日毎日、家でどうにかこうにか育てました。

ぜっこーちょー校長先生のお話を読んでいると、あの時の私がぐっとこらえてやってきたことを自分で褒めてあげたくなって涙が出るんだと思います。

幼稚園、小学校、中学校の間は過酷でした。ずっと家族の中では「よくやったね!すごいよ」そんな思いでサポートしてきました。

もちろん、平気でそんな声かけは出来ない自分もいました。周りと比べる自分の弱さに何度も戦って泣きました。時には「なんでうちの子だけできないの?」って大泣きもしました。

でも。泣いても変わらないんですよね・・・泣いてると子どもがビックリして、なんなら「お母さんだいじょうぶ?」って言われるんです。

「だいじょうぶ、ありがとう。ごめんね。さぁごはん食べようか。」

夜は毎晩絵本を読みました。今も面白かった絵本どれ?と娘に聞くと「お母さんが勝手に作ってしまったそばひめちゃんの話」と言われると2人で大爆笑します。

※そばひめちゃんはアンパンマンのキャラクターで幼稚園に行くのが嫌な女の子の話です。

そしてもう1つこちらの記事を読んで今の私は確信します。折り目の合っていない羽の短い、尾がぐちゃっとした折り鶴も完璧な折り鶴!

きっと。ぜっこーちょー校長先生は子どもたちに向けて書かれただろうけど、先生に聞きました。これ今の自分に向けていいですか?と。

すると、先生は

「もちろんです、僕自身も改めて今の自分に贈りました」と。

折り紙で娘が去年のハロウィンに今の高校のクラスメイトと折り紙にチャレンジしたときのことを思い出しました。

娘の幼稚園は手先が不器用でも好きにさせてくれたので、下手な折り紙も楽しんだけどやっぱり簡単なものしか折れずハート型ばっかり折っていた娘。今も部屋に飾っています。

しかし、なんとこんな大作を高校生になり作ったよ!と自慢げに帰宅した娘。

明蓬館高等学校は男の子が多く、しかも飾りつけが得意な子もいない。悩んだ挙句、みんなでYouTubeを見てチャレンジしたとか。

一度のめりこむと、とことんやる仲間たちと作った折り紙を娘の幼稚園の先生に見せてあげたいなぁと涙がでました。

先生は不器用な娘のことをそっと見守ってくれて「この子がやりたいと思った時に必ず、やりますから!」と私に笑顔でエールを送ってくれていました。まさに言葉通りです。

長くなりましたが、昨夜も一緒にnoteを読みながら、「えぇ!価値より価格が低めだと思う」などビジネスセンスを光らせる娘と夜な夜な語りあっている今が幸せです。

ここまでお読み下さり、ありがとうございます。この投稿は今出会えて感謝している、ぜっこーちょー校長先生に捧げます。(勝手に!)

ではまた。

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