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小児科を卒業した娘の決意の話。

身体の弱いお子さんが
かかりつけ医を小児科から
内科に移行するときって何歳なんだろう。

一般的には15歳まで、もしくは18歳までは小児科で診てくれるとか。

娘は19歳でやっと小児科を卒業した。
ややオーバー気味の利用

大きくなれば医者の世話になるのも減少しているかなぁと思っていたがそうではなさそうだ。

医者にいく。
美容院の予約をする。
役所で手続きする。
といった生活のあれやこれやを
じっくりと自分でしていくようにシフトするのも療育手帳を持つ娘へ私がしてあげる大事なことだと思う。

娘を妊娠した時は家の近くの産婦人科で出産予定だった。
でも「血液不適合妊娠」ということで
東邦大学大森病院で出産した。

血液不適合妊娠で一番心配なことは黄疸ということで大学病院に通ったんだけど結果、黄疸はそんなになく予定日より早く破水により低出生体重児でNICUへ

どちらにせよ大学病院でよかった・・・
NICUでの担当医がその後、
ご縁があって娘のかかりつけ医になる

大学病院を退院し、娘が1歳過ぎた頃
近くで小児科を開業することになり乳児検診を
良かったら看護師の練習のために来てくれませんか?と
直々にNICUの担当医の先生から連絡があった。
驚いたのと先生がいてくれたおかげで
ホッとして涙が出そうになったことが何度もある。

NICUを退院するときに2000gの娘が保育器から出て自宅に戻るのが不安です、と私が言うと
先生はじーっと優しい目で保育器の中の娘を見つめて
「だいじょうぶ、かなちゃんは生きる力があるから」

その時の先生のまなざしを私は一生忘れない。
NICUで先生はたくさんの赤ちゃんを見てきただろう。
その言葉が最高のエールだと今も思っている

19歳の冬、インフルエンザになった娘は
発熱後、少し解熱したので家の中を歩くと突然意識を失った。
その経過を小児科で話すと
「かかりつけの内科はあるかな?」

おそらく自律神経の問題とか色々、そろそろ小児科ではなく
大人としてかかりつけ医の内科医さんのところへ行こうねと
大好きな小児科の先生から紹介状が手渡された。

本人はこだわりが非常に強く
大人になっても先生じゃなきゃ信頼できない!と言っていたが
信頼する先生に言われてはもう仕方ない。

先生は笑顔で
「でも、何かあればお薬だすし大丈夫」と。

私たちにとっては命を繋いでくれた恩人、神様みたいな人だったので
その日が突然やってきて私も娘も
ぽかんとしてしまった。

でも、それでよかったと思う。
そして勇気を出して小児科の先生がおすすめしてくれた内科の女医さんのところへ。

昔ながらの街の中のお医者さん
という雰囲気だが、待合室はいっぱい。
人気の先生なのかもね、と娘と話す。

これまで気づけなかった低血圧による自律神経のバランスの悪さに対してや皮膚のこと、生理のこと色々話を聞いて処方してくれた。

私は親としてのカンだけれど
この先生なら大丈夫そうって思った。

娘は今回のインフルエンザで
ようやく錠剤を呑むことを克服し
おかげで血圧を上げる薬もちゃんと飲めたみたいだ。

みんながなんなく出来ることが
みんなの100倍大変な娘の辛さは
母である私にも気づきにくい
時にはズルにも見える

がんばれ、がんばれと思ってしまう。
でも、もうそう思うことすら疲れてしまった自分もいる

情けないけど
ぜんぜん娘のカラダの状態を今を理解しきれていない
だから私も毎日
新しい朝がきたら
新しい自分として何度も何度も
娘と歩もうと思う

長くなりました。
読んでくれた方ありがとうございました。



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